第十二章 願いは鏡花水月の如し




あの後、特に会話もないまま太宰達とは別れた。


山を降りる頃にはもう夕方で、ルナは濡れたままだったから直ぐに温泉に浸からせてやろうと宿屋に戻ったのだが、そこで違和感を感じた。


宿屋の女将が驚いた顔で俺達を見る。何事かと話を聞いたらその訳が判った。


如何やら俺達は七日間も宿に戻っていないらしい。つまり、俺達があの湖に行った日から此処に戻ってくるまで七日が経っていた。あの世界では半日くらいしか経っていないように感じていたが、現実では七日も時が進んでいたという訳だ。


「て、オイ七日って……休暇終わってんじゃねぇか…」


一週間という貴重な長期休みをまさかこんな形で終えるとは、流石に膝から崩れ落ちた。一週間、ルナを喜ばせる為に計画した旅行がなんてザマだ……。




***




旅行最後の露天風呂を堪能した後、中也とルナは宿の庭にある縁側に腰掛けて火照った躰を涼ませていた。



「はあああぁぁ」

『中也まだ気にしてるの?』



深い溜息を吐き出す中也にルナは乾かした髪を手で梳きながら問う。こんな事になった状況に淡々としているルナにカッと叫ぶ様に中也は詰め寄った。


「たり前ェだろうが!折角の旅行があの糞鯖の所為で台無しになるわ、やっと現実世界に戻ってきたと思ったら七日経ってるだァア!?ふっざけんなよ!貴重な長期休暇だぞ!?やっと手前を抱きまくれるってのに全然抱けてねぇッ!!」

『もう中也ったらそんな事考えてたの?初日にあれだけヤッといて』

「…手前は違ぇのかよ」

『そりゃあまあ、残念だけどさ。でもほら、お陰で見れるよ。花火』


幸運な事に今夜はこの宿場町が出来た記念祭らしく、夜に打ち上げ花火が上がるらしい。正常な時間軸で云うと昨日が休暇最終日で、予定ではもう横浜に帰っており、一夜中也の家で過ごしてからいつも通りの出勤をして今頃仕事をしている筈だったが、鏡の世界から宿に戻ってきた時にはもうその日だった。仕方なく森に電話して休みをもう一日増やして貰ったという訳だ。つまり、通常の予定ではこの花火は見れなかったのだから、ある意味運が良かったのかもしれない。





雲一つない夜空に花火が上がる。


今夜は花火日和の夜だ。


一つ上がればまた一つ、また一つと空に大輪の華が咲く。



ルナも中也もそれを静かに見上げた。繋いだ手の温もりを感じながら咲いては散っていくその美しさを眺める。



手を伸ばせば届きそうな程、視界いっぱいに広がる光の華。きらきらと夜空を飾る花火は息を呑むほど煌いて、その輝きは儚く消えていく。



一つ一つ儚く散っていく花火を眺めていたルナは中也を横目で見る。



先刻まで項垂れていたのに、今は見入るように夜空を見上げている。その横顔に見惚れてしまう。花火の色を映す中也の瞳はまるでイルミネーションの光で輝く横浜の海のようでとても綺麗だった。



ルナはもう一度夜空を見上げた。花火の音が心地よく、繋いだ手は温かい。中也と眺める花火はこんなにも美しく、この瞬間を何よりも愛おしく思った。




『(嗚呼、そうか…)』




同じだったんだ、アリスも。





『––––––––––永遠があればいいのに』




ぽつりとルナの口から零れた言葉。



中也が此方を見たのがわかった。花火を眺めたままルナは目を細める。



アリスも今の自分と同じ事を願ったんだ。



美しい世界で、誰よりも愛しい人と。



愛する人との幸せがずっと続くことを願っただけ。
ずっと傍にいたいと願っただけ。



ただそれだけだった。




人は誰しも“永遠”を願う。



アリスだってそうだった。でも、彼女は自ら約束された“永遠”を手放した。



それは屹度


“永遠”は今を生きる人の願いだからなのだろう。


この世に生まれ、生きる人は“永遠”がない事を知っているから。いつの日か訪れる別れを理解しているから。


だから人は、“永遠”を望み、“永遠”であることを祈る。



人は誰もが同じ。





––––––––––––今を生きるからこそ、“永遠”を願う。




ならばもし永遠を手に入れた時、アリスの恋人のようにそれを拒絶してしまうのだろうか。願いが叶わないと判っているからこそ人が“永遠”を願うなら、もしもそれが現実になったなら、一体どんな想いを抱くのだろう。




––––––––––私は?



ルナは心の中で思う。もし、自分が永遠を約束されたら。そこに中也がいてくれたら。



どんなに素敵で、幸せだろうか。



しかしそれも、今を生きるからこその想いなのかもしれない。結局、手に入れたものが幸せかどうかは、手に入れた者にしか判らない。


でも、それでいい。




『中也とずっと一緒にいたい』




だから、願おう。



今を生きるからこそ、願うのは自由なのだから。




ルナはそう云って幸せそうに笑った。花火の色彩がルナの頬を優しく照らす。中也はそんなルナに目を奪われた。その微笑みが儚く思えて、とても綺麗だったから。



「嗚呼、俺もだ」



中也はルナが花火のように消えてしまわないようにその色付く頬に手を当てて、優しく微笑み返した。





そして、花火が咲き開く夜空の下、中也とルナは永遠を願いながら、祈るように口付けを交わした。








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