第十二章 願いは鏡花水月の如し





「如何いう事だ…」


ルナの足元でイヴの影が消えたり、出たりを繰り返す。その様子を眺めながら中也は神妙な面持ちでルナに問うた。


ルナは中也の問いを暫く黙考した後、胸から手を離して、揺れ動く影がゆっくりと自分の中に消えるのを見届ける。


『イヴが出て来られないのは、此処が現実の世界じゃないからだと思う』

「現実じゃねぇ?それこそ如何いう事だ。異能空間って事か?」


もし此処が本当に異能空間なのであれば、何時誰が異能を発動させたのだろう。そんな異能を使える者は此処にはいない。たとえその異能力者が近くにいたとしても、もしその者に敵意があればルナも中也も直ぐに気付いた筈だ。


『何処の誰か知らないけど、これが異能力者の仕業なら相当なものだね。何かされたとしたら、湖で起きたあの光かな』

「かもしれねぇな。如何する?こんな歩いても森を抜けねぇ理由が分かったんだ。罠かもしれねぇが、この看板に従ってみるか?」


矢印が描かれた如何にも怪しい看板を親指で指した中也にルナは『そうだね』と頷く。此処で立ち止まっていても仕方ない。此処が現実世界でないなら、尚更早く脱出した方がいいだろう。中也とルナは警戒しながら看板の案内に従い、森を進む。


そして、矢印が指す方へ歩いて数十分後、嘘のように森を抜けた。森を抜けた先、目の前の景色に2人は目を瞬かせる。


辺りに広がるのは花畑だった。色とりどりの花が風に揺れ甘い香りを漂わせる。一つも枯れることなく満開に咲いている花。その花が花道を作っているかのように並ぶ道の先には大きな建物があった。


『ねぇ、中也。私達って田舎に旅行に来てたよね?』

「…嗚呼、多分な」



その建物は遠目でも判る程に立派なお屋敷だ。



『行ってみる?明らかに怪しいけど』

「嗚呼。だが、異能力者がいるかもしれねぇ。何があっても絶対ぇ俺から離れんな。お前今イヴ呼ばねぇんだろ」

『うん、わかった』


花に囲まれた道を歩きながら、中也とルナは慎重な足取りで遠くに聳え立つお屋敷を目指す。



花畑を抜けて屋敷の前に辿り着くとその屋敷の豪華さが窺えた。西洋風のその造りは近くで見ると一段と美しく、汚れひとつない。入口と思われる大きな扉を静かに開く。外観の大きさからエントランスは広々としたものを想像していたが、そこは意外にもこじんまりしていた。


ふと、部屋の中央に視線をやった二人。小さな双眸と目が合う。

 
『わぁ可愛い。兎だ』

「何で兎がンな処にいんだよ」


真っ白な兎がそこにいた。部屋の中央にちょこんと座っているその白兎は中也とルナを見据えたまま動かない。何故こんな場所に兎がいるのだろう。怪しい物を見る目で兎を睨み付ける中也とは対照的に、ねぇ撫でてもいいかな、と全く危機感がないルナ。


「やめとけ。得体が知れ」

『あれ、この兎首に時計つけてる』

「おい」


中也の忠告も聞かずに兎の前に屈んだルナが兎の首に時計が付いている事に気づき、カチカチと針が動いていくのを眺めた。しかし、その針が12を指した瞬間、突然浮遊感に襲われる。


そのまま重力に従い落ちる体。何が起こったのかルナは暗い穴に落ちながら考える。多分、床が抜けたのだ。


『如何しよう中也。落ちちゃってるけど』

「もう落ちるしかねぇだろ。意味わかんねぇけどな。相手の異能力が知れねぇ以上如何しようもねぇよ」

『だね』


と、冷静に会話する2人だが今現在暗い穴を真っ逆さまに落ちている状態である。何秒間くらい落ちただろう。漸く見えてきた光に着地の準備をする。光が迫り、暗い穴を抜け、よく判らない部屋に着地した。


「は!?」


中也が目を見開いて、直ぐに嫌悪感丸出しの変な顔をした。ルナもそこにいた人物に目を瞬かせる。相手も目を瞠って固まっていた。


「ぇ……え?何でルナちゃんと中也さんが…」

「はあ、厭な予感が当たってしまったか」


そこにいたのは、昨日偶然にも旅館で逢った太宰と敦だった。中也の拳がぷるぷると震える。


「何で毎度毎度手前が居やがる糞太宰!巫山戯んな!帰れや!!」

「はあ、逢ってそうそう怒鳴らないでくれ給え。本当五月蝿い」

「手前さえいなけりゃ怒鳴ってねぇよ!」


相変わらずな二人にルナは溜息を吐き出して、『中也、落ち着いて』と怒鳴り散らす中也の袖を引っ張る。抑、何故太宰と敦が此処にいるのかは置いといて、可笑しな点がある。


『ねぇ、太宰』


ルナが太宰の名を呼んだ瞬間、中也が一瞬眉を顰める。それに気付きながらもルナは続けた。


『アンタが此処に居るって事は、此処は異能空間じゃないの?』


ルナの言葉に中也もハッとする。そうだ、此処は現実世界ではない。異能空間な筈だ。ならば何故異能力無効化をもつ太宰が此処にいるのだろうか。


「へぇ、気付いてたのかい。此処が現実世界でないって事」

『…知ってるの?此処が何処なのか』

「まぁ、大体はね。抑、私がこの地に来たのは或る人に依頼されてきたからなのだよ」


二人の会話を黙って聞いていた敦「依頼?そうだったんですか?」と太宰に問いかける。またお得意の療養中という口実を使ったサボりだと思っていた。太宰はニッコリと笑って「あれ、云ってなかったっけ?」と態とらしく首を傾げた。その様子を見て中也はこの餓鬼も此奴に苦労してんだな、と同情の念を送る。


「んで?此処が異能空間じゃねぇなら何なんだよ」

「いいや。異能空間でない訳じゃない。依頼人の話ではこの世界を展開している物があるんだ。恐らくそれに触れなければ異能無効化は発動しないのだろう」

「チッ、何だよ。んじゃあ、それを見つけなきゃ出られねぇって事か。なら、さっさとこの部屋出て探すぞ」

「少し待ち給えよ」

「五月蝿ぇ。俺はさっさと出てぇんだよ」


折角の旅行を邪魔されているのだ。中也の機嫌が悪くなるのは仕方ない。早足にこの部屋にあった扉に向かう中也の後にルナも続く。しかし、中也は扉の前に立ったままドアを開く様子がない。不思議に思い、中也の背から扉を覗き込むとその理由が判った。ガチャガチャと中也がドアノブを回すが全く開かないのである。


「……おい、開かねぇぞ」

「だから云っただろう。少し待ち給えとね」

「開かねえとは云ってねぇだろうが!くそ、如何なってんだこの扉ァ!!」


乱暴に扉を殴ったり蹴りまくる中也はもう何処ぞの不良だ。その様子に流石のルナも『もう落ち着いてよ中也』と扉に乱暴をする中也を止めた。しかし、中也の力でさえ壊れるどころか傷さえつかないこの扉も普通の扉ではないのだろう。



その時突然、何処からか声が聞こえる。



〈「あら?誰か来てる……。お客様なんて久しぶりだわ。あ、ちょっと待ってね。えーっと、……わあ!今回は四人もいらっしゃるのね!」〉


突然、そんな陽気な声が部屋に響いた。その場にいた全員が声の主を探すが、その姿は見つからない。ただ部屋に響き渡るように楽しげな声がこだまする。


〈「あ、だめよ私。お客様にはちゃんと挨拶をしなくちゃ。こほん……。ご機嫌よう、皆さん。ようこそ、鏡の国へ」〉


その声は少女の声だった。姿は見えないが、その話し方からは育ちの良さが窺える。


「鏡の国?」

「訳判んねぇ事云ってねぇで出てきやがれ。手前が俺達をこの世界に招いた異能力者か」


聞き覚えのない単語に首を傾げる敦を他所に中也が啖呵を切りながら少女と思われる声の主に問う。


〈「あらやだどうしよう。まさかアレが世に云う“ヤ”からつく職業の人かしら。私初めて見たわ。怖いわぁ、接待には十分気を付けなきゃ」〉

「だってさ、ヤクザの中也君」

「うっせぇんだよ糞鯖。手前は黙ってろ」


まあこの4人のうち二人は似たような職業だが、それにしてもな、とルナは少女が云った言葉に首を捻った。


–––––––––––鏡の国。


確かに少女はそう云った。“鏡”。それは鏡の湖と呼ばれたあの湖と関係があるのか。無関係ではないだろう。だとすれば、あの謎の光も納得できる。


『ねぇ、先刻云った鏡の国って如何いう意味?』

〈「…あら、女の子。女の子のお客様は初めてだわ」〉

『質問の答えになってないんだけど』

〈「そんなに警戒しないで。確かに此処は現実の世界とは違う世界。でも安心して、此処はいい処よ。私の処まで来てくれたらこの世界から出る方法を教えて差し上げるわ。けれど、私の処に来る為には少し私のお遊びに付き合って頂くけれどね」〉


少女がそう云うと、真上からひらひらと宙を遊びながら何かが降ってくる。それをルナが手に取るのを見届けて、少女は笑った。


〈「ふふ、それでは皆さんルールを簡単に教えるわね。その紙書かれているお題に従えばいいだけ。簡単でしょ。そうすれば扉が開いて次の部屋に進めるわ。それでは、楽しませて頂くわ!またね!」〉


ぷつり、と聞こえなくなった声。ルナは手に取ったその紙を見て、そしてその場にいる全員に目で如何する?と訴えた。


「如何やら此処から出るには従うしかなさそうだね」

「チッ、それしかねぇか。ルナ、その紙何て書いてあんだ」

『んーっとね、【お題1 誰か一人を抱きしめることはぁと】って書いてある』

「……は?」


、、、、。


その場にいた全員の時が止まった。一体どんな事が書かれているのかと身構えていれば、実際に書かれていたその内容に言葉も出ない。


「え…えーと、つまりこれは…如何いう…」


恐る恐ると敦が黙ってしまった皆に目を配らせる。ルナは無表情で黙ったまま、中也は思い切り眉を顰めている。そして、最後に敦が目を向けた太宰はふむ、と顎に指を置いた後、ピンッと指を立てた。


「書かれている通りだろう。つまり、誰かが誰かを抱き締めればこの部屋から出られる。簡単な事さ」

「んな事で開くのかよ。あの扉俺の力でもびくともしねぇんだぞ。つか、誰が誰を抱き締めろってんだ百済ねぇ」

「何だい君?そんなのもう決まってるだろう。私は男と抱き合う趣味なんてないからね」

「は?ンなもん当……」


突然グイッと腕を引っ張られ、ルナが蹌踉めく。中也は急に傾いたルナの躰を支えようとした。しかし、その手は届かず目の前の光景に瞠目する。


「なっ…!?」


ぽすっと収まるように長い腕に包まれたルナは驚きで声を失う。背中に回るそれが包帯を巻いている腕であると判ったのに数秒を有したと思う。少し離れた処でそれを見ていた敦はというと口と目を開いて唖然としていた。




–––––––––––太宰が、ルナを抱き締めるその姿に。



「何しやがンだ手前ぇぇぇ!!!」


物凄い剣幕で叫びながら中也はルナを抱き締める太宰の腕を振り払い、勢いよくふんだくった。ルナは痛いと思いながら太宰に向かって怒鳴り散らす中也の腕にがっしりと抱えられる。


「手前!如何いう心算だあ"ァ!?」


ガルルル、とまるで獣のように唸る中也を無視して太宰は何事もなかったかのように扉に向かって行く。


「ほら、開いたよ。これで証明出来ただろ?お題に従えば簡単に開くのさ」

「それとこれとは話が別だ!手前よりによってルナをだきっ…ッ。あ"あ"くそっ!もう二度と此奴に近寄んじゃねぇ!!」

『(鼓膜破れそう…)』


目を吊り上げて叫ぶ中也にルナは溜息を吐き出す。でも、直ぐに取り返してくれたから嬉しかった。まさか、あそこで太宰に抱き締められるとは思わなかったが、自分も油断をしていたのだろう。一体如何いう心算なのか。



扉を開けて出て行く太宰を無表情に見据え、ルナは中也に視線を向ける。青筋を浮かべた中也が未だに唸りながら太宰を睨み付けていた。中也の腕の中、強く抱き締められて少し苦しいけど、安心する。ルナは中也に気付かれないようにそっと口許を緩ませた。








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