第九章 感情の欠片は追憶の中に

【追憶の九 咲いた花に口付けを】








____5年前の追憶____





「中也や、少し頼まれ事を引き受けてはくれんかのう?」


紅葉のその頼みを二つ返事で了承した中也は一枚の紙を持って資料室へと向かう。その紙に書かれているのは必要な資料の一覧。紅葉が捜してきてくれと頼んだ資料達だ。ポートマフィア内には階級関係なく誰もが入れる資料室や幹部クラスしか入れない資料室など色んな区分のものがあるが今回中也が捜している物はどうやら閲覧制限は低い物らしい。



資料室の中は紙と埃の匂いが充満していた。古いものから新しいものまで隙間なく棚に並べられた資料。この中から頼まれた物を見つけるのは些か大変そうだ。


取り敢えず紙に記載されている情報を頼りに探してみるかと辺りを見渡した中也だったが、突然先程閉めたはずの扉が開いて驚いた。しかし、入ってきたのは中也もよく知る人物。


「なんだルナ、手前も此処に用か?」

『ううん。中也に逢いたくて捜してたの』

「っ、そ、そうか」


あまりにも素直なルナに胸が高鳴った中也だが、それを悟られないように咳払いをして平静を装う。しかし、内心ではそれはそれは舞い上がっていた。前はルナと逢う事すら難しかったのに、最近ではルナの方からこうして逢いに来てくれる。それはルナ自身が変わったからなのだろう。勿論、いい意味で。


『中也は仕事中?』

「まあな。姐さんにコレに載っている資料を捜してこいって頼まれてよ」


中也は資料リストが書かれた紙切れを指で挟んでそれをルナに見せた。小さな文字が幾つも並んでいるのを見ると大分量があるように思える。


『中也、私も一緒に捜すよ』

「おっ?マジか、助かる。幾ら俺でもこの数じゃ時間掛っちまうからからよォ」


こっから上の奴頼む、と紙の真ん中あたりを指さした中也にルナは頷いて目的の資料を捜し始めた。



***



ルナはファイリングされた資料の束を備え付けの机に置き、手をはたく。分厚いものから薄い物までそれぞれだがちゃんとどれも綺麗に保管されてあって見つけるのが楽だった。とりあえずルナはそれをそこに置いたまま中也の元へ向かう。3番目あたりの通路で本棚を見上げながら眉を潜めている中也を見つけたルナは『こっちは全部見つけたよ』と声を掛けた。


『そっちはあと幾つ?』

「一つだ。どうにもこれだけが見つからねぇ。二年前のもんだから年代はこの辺りであってると思うんだが」


ルナは中也が持っているリストの紙を覗いてまだ見つけていないものの情報を見る。それは二年前に作成された書類らしい。他に書いてある情報はその書類の表題くらいで。


『…あ、これ慥か太宰が書いたやつ』

「は?」

『そんな重要じゃないからって適当に書いてた』


中也の額に青筋が浮かび、ぐしゃりと紙は握り潰されてしまった。


「糞鯖のこったァ、どうせそのまま適当なとこに仕舞ったんだろうよクソが」


流石にあの太宰でも二年前に今の中也への嫌がらせを思いついて適当に仕舞ったとは思えないが、結果的には太宰の所為で今中也は迷惑している訳だ。中也の怒りが募るのも仕方ない。


それでも紅葉に頼まれたものだ。ここで諦める訳にはいかない。仕方なく二人でそれを捜す事にした。



––––––––––––そして、二時間が経過した……。



「み、見つからねえ"ぇ"ぇぇ」


呻き声を上げながら深く重い溜息を吐き出した中也は棚に手を付いて項垂れる。今中也は壮大な疲労感を感じていた。無理もない。今迄順調に進んでいたのに最後に残ったたった一つの書類捜しに二時間掛かっているのだ。それが太宰の所為であるなら尚更。


憤懣と疲労感が募りに募ってげっそりとしている中也を見てルナは早く捜してあげようと意気込む。年代別を無視して違う本棚に並べられている資料を一ずつ漏らさず捜してみる。一番下の段から一番上の段までじっくりと。


『あ、』


自分の身長よりも高い段を見上げ、こっちにもないかと諦めた時だった。見つけた表題。間違いないあれだ。


『中也、あったよー』


声を大きくしてそう云えば物凄い速さで中也が駆けつけてきて、「本当かァ!?出来したぜルナ!!」と耀かんばかりの笑顔を咲かせた。


手を伸ばして見つけた資料を取ろうと試みるがルナの身長じゃ全く届きそうもない。仕方なく本棚に足を掛けて登ったルナ。


「替わるか?手前じゃ届かねぇだろ?」

『中也の身長でも無理だよ』

「てめっ、さらりと毒吐くよな」


眉をピクピクと吊り上げている中也を余所にルナは足場に力を入れた。きしっと木製の棚が音を立てる。なんとか届いた目的の資料を掴み引っ張ってみるが、両側の資料が分厚いのかそれは中々抜けなかった。


「おい、どうした?」

『取れないっ、あ、取れた』


力を込めて引っこ抜けば取れた。一瞬バランスを崩しそうになったが直ぐに体勢を直して地面に着地したルナは手に取ったその資料を開いた。うん、間違いなくこれだ。



––––––––––ギシッ。



突然、響いた音。その後にも続く不可解な音に何だと見上げたルナの目に飛び込んできたのは、此方に倒れてくる本棚だった。


「危ねぇルナっ!!」


その叫びと共にルナの躰は中也の腕に包まれる。ルナは目を見開いた。それは中也が倒れてきた本棚から庇うようにルナの上に覆い被さったからだ。


音が止み、シンと静まり返る。


運良く本棚は反対側の本棚に凭れ掛かり完全に倒れる事はなかった。若し、こんな重量があるものの下敷きになったら潰されてしまっただろう。でも、ルナは本棚が倒れてきた事よりも、中也が咄嗟に自分を庇ってくれた事の方が驚きだった。


「大丈夫かルナ!?怪我ねぇか!?」


本棚と本棚の小さな狭い隙間でルナは倒れた反対側の本棚に背をつけてへたりと座り込んだまま心配してくれる中也を見上げた。


『うん…、平気だよ』


そう云えばほっと安堵の息を吐き出す中也。誰かに庇われる事なんてないルナは何だか不思議な気持ちだった。


「はあぁ。マジであ、いっ!てててぇ!」


安心したのも束の間、中也の頭の上に降ってきた資料達。どさどさと分厚いものも容赦なく中也の頭を殴りながら地面へと落ちた。


「ッ、いってぇな。何だってンだ、ったくよォ」


自身の頭を帽子の上から摩って落ちた資料を睨み付ける中也を見て、ルナの胸の内から湧き上がる感情。折角倒れる本棚から守ってくれたのに、自分が落ちてきた資料を頭から浴びるなんて。


『ぷっ、』

「あ?」


何だかそんな中也が。



『ふふ、あはは。中也ってば、ふふっ』



––––––––––迚も可笑しくて。



どうしても笑ってしまう。



中也は目を見開いて目の前で声を上げて笑うルナを凝視する。目を細め、小さな白い歯を見せて、可笑しそうに笑うルナ。その笑顔は能面のような無表情とはかけ離れたもの。可笑しいから、面白いから笑う。そんな人間が当たり前にする当たり前の表情。それを感情を持たなかったルナが今しているのだ。出逢った頃には想像もつかない程のその笑顔で。


「わ、笑うなっ」

『へへ、だって可笑しんだもん』


照れ隠しにニヤけるルナの頬を引っ張っる中也だが、本当は堪らない気持ちだった。中也の心に嬉しさや感動、色々な温かい感情が膨らむ。それと同時にずっと自分はこの瞬間を願っていた事に気づく。ずっとこんな風にルナに笑って欲しかった。声を上げて、心から笑って欲しかった。それが今、目の前で叶った。


「……嘘」

『え?』


頬から指を離してルナのオッドアイの瞳を見つめる。



「笑えよ、ルナ」



俺はずっとお前のその笑顔が見たかったんだ。



ふっ、と零れるように微笑んだ中也にルナの心臓は早鐘を打ち出す。熱くなった顔は多分赤い。見つめられる瞳から隠れるようにルナが視線を落とせば、それを許さない中也がルナの頬に手を添えて顔を上げさせる。海のような蒼い瞳と目が合った。


「ルナ」


中也はもう片方の手を後ろの本棚に付けた。近づいてくる中也の顔。ルナは赤い顔のまま咄嗟に目を閉じる。数秒もしないうちに、ふにっ、と唇と唇が触れ合った。


触れていただけだった唇が角度を変えて再び触れると、次に中也はルナの小さな唇を自身のそれで食むように味わう。


『んっ、』


如何したらいいか判らないとでも云うようにきゅっと閉じられた唇はどこか恥ずかしそうだ。それでも、それをもっと、と求めてしまうのが男の性と云うもの。


「ルナ、口開けろ」


いつもより低くて艶のある声がルナの耳を刺激する。まるでその声に誘われるように薄く唇を開いたルナ。その隙間に中也は自身の舌を差し入れた。


『あ…ふっ……んっ』


歯列をなぞるように舐めて舌先で上顎に触れる。そして、奥に縮こまっているルナの舌を絡め取る。ルナの肩がぴくっと小さく揺れた。貪るような接吻。深く深く唇同士を重ね合わせて、酸素さえ邪魔はさせない。


『はっ…、ん、ンンっ』

「んッ…、はあ、ルナ」


二人の唾液が混ざる音。口の中で互いの唾液が行ったり来たりを繰り返している。初めて味わうその感覚にルナの耳は真っ赤に染まり、縋るように中也の服を掴んだ。最初はされるがままだったルナの舌も中也の舌に応えるように辿々しく動く。中也は薄く目を開けて羞恥に耐えるルナの顔を見遣った。その瞬間、ぞくりと身体が熱を持って震えた。


「(やべぇな…。押し倒してぇ)」


これ以上その何ともいじらしいルナの姿を見ていると良からぬ欲望が膨れ上がってしまう。だが今はまだ手に入れたばかりのルナを大切にしたい。その想いの方が強い中也は静かに自身の中にある欲望を胸の奥深くに仕舞い込む。そして、名残惜し気にルナから唇を離した。


『はっ、はあっ』

「ルナ、苦しかったか?」


ふりふりとルナは首を横に振るが乱れた呼吸からは説得力がない。瞳を潤ませて俯くルナの頭に中也がそっと唇を落とせば、ルナは恥ずかしそうに中也を見上げた。


『ちゅ、うや』

「ん?」

『何で、キスしたの?』

「手前が可愛いから」

『かわ?』

「嗚呼、すっげぇ可愛い」


ひゃあ、とルナが変な声を漏らして自身の赤い耳を手で覆う。中也は悪戯な笑みを浮かべて「林檎みてぇだぞ?」とルナの頬を撫でた。そして、恥ずかしそうに呻るルナの顔を上げさせて、もう一度その桃色の唇に口付けたのだった。




その後、床に散らばる資料達に埋もれた例の資料を再び捜す羽目になる。




しかし、それに二人が気付くのはもう少し先のこと。









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