第一章 虎穴に入らずんば虎子を得ず



積み上げられた箱の中からシュークリームを一つ取り出し頬張るルナ。そのシュークリームは約束通り中也が買ってきたものだ。


その美味しさを噛み締めていたルナの耳に機械音が入る。シュークリームを頬張りながらポケットから携帯を取り出して通話に出た。


『もひもひ?』

「やあ、ルナちゃん。今いいかね?」

『いま、おはつたいむれす』


口にシュークリームを入れたままなので上手く喋れていないが察しのいい森は特に気にせず要件を伝え始める。

「数日前、芥川君が襲撃したカルマトランジットの残党が傭兵を雇った、と云う情報は聞いているね?」

『はひ』

「どうやら彼等は芥川君への復讐の機会を狙っているようなのだよ。彼は優秀だから、私としても安安と彼を失いたくはない」


もぐもぐ、と口を動かしながら口を挟まずに森の言葉に耳を傾けるルナ。通話口からは、しかしねぇ、と間延びした声が発せられる。

「今回は彼の独断行動が過ぎた故だね、自業自得だ。そして、その責任は彼にあり、またそんな彼を止められなかった彼の部下にもあると、私は思うのだよ」


ごくり、と飲み込んだルナは座っていたソファの背凭れに背中を預け口角を上げた。


『だから、今下に潜り込んだ鼠は放っておいていい、と?』

「話が早くて助かるよ」

『彼女、結構頑張ってると思うけど?』

「勿論頑張りは大事だよ。だが、偶には刺激が必要だ」

『悪い大人』


ルナはそれだけ云って通話を切った。特にする事もないので再び一番上から箱を取る。『頑張れ、樋口ちゃん』 と誰に云うでもなく呟いたルナはシュークリームを齧った。



***


その後、カルマトランジットの残党が雇った傭兵が昏睡状態の芥川を拉致し、それを聞きつけた樋口が単身で救助に向かった。力のない彼女には無謀に等しい行動だったが、黒蜥蜴の増援により事なきを得た。

首領の思惑通り、彼女にはいい刺激になった事だろう。



そして、芥川も樋口も無事に帰ってきた数時間後、ルナはシュークリームの箱を一つ持ってポートマフィア内の治療室に向かっていた。治療室に辿り着いたルナは、叩音もせずにその扉を開ける。


『やあやあ龍ちゃん!元気!?調子はいかが?』


全身包帯だらけで人工呼吸器を付けている重度の怪我人に問う質問ではないが、そんなの呑気なルナには関係ないのだ。無遠慮にずかずかと部屋に入りベッドの隅にあった椅子をベッド脇まで引っ張り出して、そこに腰かけた。

「……。」

天井の一点を見据えたまま呼吸を繰り返す芥川。彼は暫く立つことも儘ならないだろう。そんな芥川の傷を見て、ルナは苦笑する。そして、膝の上に立てた腕で頬杖をついた。


『随分派手にやられたね。そんなに強かったの?人虎君は』


その言葉にピクリと指を動かした芥川。悔しさで握り締めようとした手には力が入らない。この傷が自身の敗北を証明しているようで、芥川の頭には憎っくき人虎と嘲笑う太宰の顔が交互の浮かんだ。


「貴方の手に掛れば人虎の命など塵も同然」

『でも、龍ちゃんをここまで追い詰めたんだもの。その強さ、興味あるなぁ』


目線を天井からルナに向けた芥川。そこで初めてルナが右目にコンタクトを付けていない事に気付く。芥川を見ず遠くを見つめ口角を上げているルナを見て、芥川は胸の奥深くに黒ずんだ感情が呼び起こされるのを感じた。


「ルナさんが興味を持つ程の男ではありませぬ」


そう発した声は酷く掠れていた。そんな芥川に一度目を向けたルナは椅子から立ち上がり、動けない芥川の顔を覗き込む。急に目の前にルナの顔が来て、目を見開いた芥川。オッドアイの瞳に吸い込まれそうになり、芥川は息を飲み込んだ。


『次、龍ちゃんの勝利の報告を期待してるね』


それだけ云って治療室を出て行ったルナ。その背中を見つめて、芥川は次の闘いで決して負けられない理由がもう一つ出来たのだった。



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