第七章 快楽は毒なり薬なり




窓から薄っすらと零れる朝日が、ルナの顔を照らした。その眩しさにルナは薄く瞳を開いて、避けるように寝返りを打ち、柔らかい白銀の毛並みに顔を埋めた。


『矢っ張りあまり眠れなかったな…』


少し掠れた声で呟いたルナ。イヴから体を離して、目尻を指で押さえた。浅い眠りには慣れているが、当然の如く心地よさは残らない。


この部屋には寝台がなかった。
それはルナにとって不必要な物だから。人間が必要とする睡眠とはどうしたって無防備だ。その為、ルナは絶対に寝台を使わないし、イヴを現実に呼んでいる、、、、、、、、時しか体を休めない。


だけど、中也の傍だけは違った。中也が傍に居てくれる時だけ、ルナは浅い眠りから解放される。安心して眠りにつけた。


それが出来なかった昨夜はルナにとって良い物とは云えない懐かしい眠りだったのだろう。


『今日、如何しようかイヴ』


ルナは伏せているイヴを撫で乍ら一つ溜息を吐いた。中也の執務室に云っても胸が苦しくなるだけ。なら、行かない方が気持ち的に楽だ。そう考えたルナは今日一日中手入れでもしようと体中に仕込んでいる暗器を取り出した。



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朝、自室で目を覚ました中也。怠い体と目元に出来た隈に昨夜は寝付けなかったと悟る。そんな体を無理矢理動かして支度を終え、執務室に向えば扉の前には既に久坂がいた。「お早う御座います」とお辞儀をした久坂に「早ェな」と返して執務室に入り、早々に昨日の続きの仕事を始めた。


「中原幹部、寝不足ですか?」


書類を手に抱えた久坂が執務椅子に座る中也の顔を覗き込んでそう問う。


「嗚呼、どうも寝付けなくてな」


重く息を吐き出し乍らそう答えた中也を心配そうに見つめた久坂が書類を机に置く。


「珈琲淹れますね」

「おう、悪りぃな」


いいえ、と笑顔で給湯処に向かった久坂を見送り手元の書類を目で追う。だが、どうも内容が頭に入ってこず、無意識に視線はソファの方へと向く。



『ねぇ中也!このシュークリーム凄っく美味しい!』

『中也!仕事なんて後回しにして外にデェトしに行こうよォ』

『今日は疾く帰ろうね中也』

『へへ、なーに?中也』



ソファの上でシュークリームを頬張り乍ら此方に振り返って嬉しそうに笑うルナの姿が見えた気がした。


いつも俺が此処に座って仕事をしている間、ルナはそこのソファでダラけている。仕事もせず、書類整理も手伝わない。おまけに仕事の邪魔をしてくる。仕事が進まねェと怒鳴ればヘラヘラと笑う。


だから、ルナが居ない今仕事が進む筈だ。なのに、実際どうだ?仕事が進むどころか、資料の内容さえ頭に入ってこない。そのソファにルナがいないだけでだ。


今、何処で何をしているのか。
何で此処に来ないのか。

それが気になって仕方ねェ。


夜、手前が傍に居ないだけで寝付けない。
朝、腕の中に手前が居ないだけで喪失感に駆られる。
今、手前の笑顔が見れないだけで胸がざわつく。


ルナ、手前は如何なんだよ。



「…何で、会いに来ねぇンだ」

「中原幹部?」


ハッと我に返った中也は視線をソファから外し久坂を見る。お盆の上に珈琲が入ったカップを乗せて、不思議そうに首を傾げていた。


「否、何でもねェよ。珈琲サンキューな」


受け取ったカップに口を付けて一口飲んだ。苦味が口内に広がり、重い瞼が少し軽くなった気がする。もう一口飲もうとカップを傾けた時、久坂がジッと此方を見ている事に気付く。


「如何かしたか?」

「いえ、その……」


中也の問いに歯切れが悪い言葉を繰り返す久坂。お盆を抱き締めるように豊満な胸に抱え乍ら俯く久坂は中也に視線をチラチラと投げた。


「中原幹部は、その…、ルナ様とはどの様なご関係なのですか?」

「は、はァ!?」


いきなり出てきたルナの名に中也はカップを机にダンッと置いて、久坂を凝視する。昨日から変な質問ばかりしてくる久坂。何て答えればいいのか戸惑った中也だが、一度冷静になり昨日の首領の言葉を思い出す。


「どの様なっつーか。何もねェよ。彼奴は首領の娘だぜ」

「ですが、昨日も此処に居られましたよね。中原幹部とは親しいように見えましたが…」

「そりゃ、まぁアレだ」


アレって何だと自分の云っている事にも首を傾げ乍ら首の裏を掻いた中也はこれ以上何て云えばいいのか行き詰まった。だが、そんな中也を救うかのように扉の叩音が部屋に響く。


「中原幹部、少しお時間宜しいですか?」


部屋に入ってきたのは黒服の中也の部下。中也は「おう」と答えて早々にカップの珈琲を飲み干して立ち上がった。


「悪りぃ久坂。一寸空けるが、書類は昨日と同じように纏めといてくれ」


片手で謝罪して黒服の男と共に部屋を出て行った中也。残された久坂は机の上に散らばった書類を揃えて空を見つめる。


「本当に、可愛い人」


空気に零すようそう呟いた久坂の口元には小さな弧が描かれていた。











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