第六章 救済の標べ
____そして、数時間後。
“織田作之助が死んだ”
ルナの耳に届いたのは何の抑揚もないそんな報せだった。織田作之助が命を賭してミミックの指揮官ジイドを倒した事で、ミミックはほぼ壊滅し、抗争は終わりを告げた。
街はいつもの活況を取り戻し、いつもの様に時が流れていく。
*
太宰は或る一室にいた。
ポートマフィア本部にある自分の執務室だ。彼は暖炉に火をつけ、パチパチと音を立てて燃えていく炎を見つめる。彼は寒さ故に暖をとっている訳ではない。今の季節、暖は必要ないものだ。
太宰の手には黒い外套があった。それは太宰の物だ。太宰がマフィアに加入した時に森が彼に贈った物。太宰はそれを赤く燃えあがる炎に投げ入れた。
燃えていく外套、それは少しづつ灰へと変わっていき、跡形も無く消えていく。
その外套が燃え尽きるのを太宰は最後まで見届けた後、音もなく静かに部屋を出た。
太宰は暗い誰もいない廊下を歩く。いつも歩いていた廊下なのにそこが深く暗い迷宮のようで、進める足が囚われているように重く感じた。
進む道に開かるように立つ人影があった。その姿を見て太宰が驚く事はなかった。彼女がそこにいる事が判っていたからだ。
『…何処に行くの?』
「教えない」
太宰は顔に包帯を付けていない。
久し振りに見た右目は闇に染まらず光を求める瞳。
太宰は止まらずルナの横を通る。そしてその儘彼は歩いていく。何も云わずに。迷いのない足取りで。
『……何で、』
小さな呟きだった。だから太宰は歩みを止めなかったのだろうか。否。恐らく聞こえていた。でも、止まらなかったのだ。
ルナは何も云わずに通り過ぎた太宰に振り返り、叫びに近い声を張り上げた。
『何で何も云わないの!?私が織田作之助を殺したのよ!喩えそれが首領の命令でも。アンタは私を殺したい程憎んでいるはずでしょ!?』
私は首領に異能開業許可証を手に入れる為の計略を聞かされた時から、知っていた。
織田作之助は死ぬ運命にあるのだと。
太宰の友人はポートマフィアの為に死ぬのだと。
私は首領の命令に従って任務を遂行した。
間接的であれ、私が彼を殺した。
だから、太宰は私を憎む筈。
大切な者を奪ったものへの復讐心。
人を殺せば必ず生まれる怨讐。
何度も見てきたの。
私が殺した他組織の残党は仲間の仇を取る為に飽きもせず私を殺しに来る。
そして、皆、同じ事を云う。
「殺してやる!仇である貴様を!仲間達の無念は必ず!」
血だらけの体で憎悪の瞳で私を見る。
それは死ぬまで消えることはない。
決して途切れない恨みの連鎖。
相手を殺すまで千切れない鎖。
だのに、何故?
太宰が彼等と同じように私を憎み仇を取りに来てくれたら、また一つ、私は“何か”を知り得る事が出来るのに。
憎しみや怨み。
その正体を理解できる筈だったのに。
ここで太宰が織田作之助の仇を討つために私を殺しに来てくれなきゃ……。
その“何か”の正体を私は未だ手に入れてなかった事になるでしょう?
蝋燭の火が広がるようにルナの心奥から靄が沁み渡る。神経を伝って指先が震える。その震える手でルナは自身の胸元の服を掴んだ。震えは止まらない。
その時、太宰が足を止めた。
だが、振り向きはしない。
「珍しいじゃないか、ルナ。中也以外にそんな感情を剥き出しにするなんて」
『…感情?』
「嗚呼、感情だ。人形の君が持ってしまった“人の心”だよ」
太宰は此方に振り返った。
太宰は笑っていた。大切な何かを見つけたような無垢な子供の顔で。
「私はポートマフィアを辞める。
___人を救う仕事がしたいんだ」