第六章 救済の標べ
いつか、太宰が話していた。
「織田作はマフィアの中でも一段と変わっていてね。マフィアなのに殺しをしない。その所為であれだけの腕を持ちながら組織の最下級構成員。困った男だよ、本当に」
溜息を吐きながらも何処か楽しそうに彼の話をする太宰。その瞳には何時もの冷たさはなかった。太宰が“織田作”の話をする時に見せる表情だ。それを私は何度も見た。
時折、私の耳にも織田作之助の噂は入っていた。
“マフィアでありながら決して人を殺さない男”
私とは大違いだ。
だからこそ、少し気になったのかもしれない。
私は胸に引っ掛かるその蟠りをいつの日か中也に問うた事があった。
『ねぇ、中也。織田作之助って、知ってる?』
「織田?……嗚呼、太宰のダチか」
『どんな人?』
「…ンだよ。珍しいじゃねェか。手前が他人を気にすンのは」
少し不機嫌になった中也を疑問に思いながら中也の言葉に確かに、と納得した。他人なんてどうでもいい。関わりはないし、抑、興味なんてない。
『別に…、何となく』
そんなはっきりしない蟠りを心の奥底にしまった儘、それ以上織田作之助の話はしなかった。中也も何も云わなかった。
何となく、何だったのか。
今は、少し解った。
それは____、
彼は私が持たない何かを持っている。
そんな気がしたからだ。
***
うららかな陽光が差し込む暖かな日。
織田は難しい顔で横浜の街を歩いていた。両手いっぱいの駄菓子と玩具が入った袋を抱えて。
昨日の夜、織田が太宰と共に向かったいつもの酒場に坂口安吾は居た。いつもの席でいつもの酒を手に。太宰も織田もいつもの席に着き、いつもの酒を頼んだ。いつもと違うのは三人の心境と立場だけ。
マフィアと異能特務課。
決して杯を交わせる関係ではない。
最後に安吾が云った台詞を遮ったのは織田だった。
それ以上、誰も何も云わなかった。
見えない糸がぷつりと切れて、それは二度と繋がる日はない。
それを判っていても、心奥から消えない思いに蓋をする為、織田は子供達に会いに来た。子供達の笑顔を見れば、心が少しでも晴れるだろうと思ったからだ。
辿り着いた洋食屋。いつものように一階の扉を開ける。人当たりの良い笑みを浮かべる親爺さんが咖喱を作っていた。
___筈だった。
「何だ…?」
手元から袋が落ちた。
目を見開く織田の視界に入ったのは荒れ果てた店内。急いでカウンターの中を覗けば、男がフライパンを手に胸を二発撃たれ死んでいた。親爺さんだった。
織田は血の気が引くのを感じた。急いで階段を駆け上がる。子供達の名前を叫び乍ら。
蹴破るように開けた扉。部屋の中に子供達はいない。床に転がるクレヨンが大きな靴跡に踏み潰されている。冷や汗が背中に伝うのを感じながら部屋の中を見渡せば、二段ベッドの木版に紙が軍用ナイフで留められているのを見つけた。地図のようだった。
その時、突然に窓の外から車のエンジン音が織田の耳に入った。鈍器で背中を殴られたかのように覚醒して、急いで窓を開け、外を見る。一台の車があった。
その窓から見えのは、此方に必死に助けを求める子供達の顔。織田はほぼ無意識に二階の窓から飛び降りた。ただ必死に、子供達を助けるべく。
だが、遅かった。
大爆発した車。
その爆風に吹き飛ばされた体。
燃え上がるその場所からは黒い煙や火花が飛び上がり空へと上がっていく。
誰かの叫び声が辺りに響き渡った。
鋭く痛々しいまでの絶叫。
喉が枯れる痛みに織田は気付いた。
今叫んでいるのは、自分なのだと。
舞い上がっていく黒い煙。
高く高く燃え上がる赤い炎は空へ形を残さず消えていく。
少女は遠くからその黒と赤を見ていた。
瞬きもせず、ジッと眺めるその瞳は美しいオッドアイ。赤と黒が混ざり合った色から目を離さないままその少女、ルナは携帯を取り出しそれを耳に当てた。
『首領。指示通り任務完了しました』
何の感情も含まない声。
光のない空虚の瞳は遠くで燃え上がる炎を映したまま。
「流石だよ、ルナちゃん。やはり君に頼んでよかった。では、次だ。直ぐに私の元に戻って来なさい」
『了解』
通話を切ったルナの水浅葱色の髪がゆらゆらと風に靡く。ルナは誰かの叫び声が聞こえた気がした。
だが、それを振り切るようにルナは一つ、誰にも聞こえない声で、
『___。』
と呟いた。