第五章 死んで花実が咲くものか
ルナは欠伸を零す口を片手で隠しながら、辿り着いた首領執務室の扉を開けた。
『ふあーぁ、眠い』
「おかえりなさい!ルナ」
ルナが扉をあけて直ぐ聞こえてきた可愛らしい声は床でお絵かきをしていたエリスのもの。パッと顔を輝かせたエリスが云った“おかえり”という言葉はルナが呼び出し以外で此処に帰って来る度に云うものだった。
何故なら、ルナの自室は首領執務室に直接続く部屋にあるからだ。しかし、自室と云ってもルナが仕事終わりに休む時は大体中也の部屋で過ごす為、あまり使われていなかったりする。抑、その部屋には寝具さえ置かれていない。家具がない其処は1つの窓と、大きい空間が広がっているだけの部屋。
「おかえり。寝不足かい?」
エリスに続いて云った森は書類に羽根ペンを走らせ乍らチラリとルナに視線を向けた。
『此間から働いてばかりなんだもの。それに、誰かさんの所為で幻のシュークリーム買えなかったからね』
ギロッと鋭い瞳を森に向けたルナ。そんなルナの瞳を見て、森は「そんな目で見ないでおくれ。結構応えるのだよ」と眉を下げる。
『シュークリームの恨みは深いですよ、首領』
「ごめんよぉ……。よし!それなら、今度休暇をあげよう!」
『ふんっ。休暇くらいでシュークリームちゃんの恨みは』
「勿論、中也君も休暇にするつもりだ」
『……許してあげます』
先程の不機嫌は何処へやらリズムの良い鼻歌を歌いながら自室に向かうルナに森は「そうそう」と呼び止めた。その声にドアノブに掛けた手を止めて顔だけ振り返ったルナ。
「明け方、ポートマフィアの武器輸送車が何者かに襲われたと報告が入った。運転手は射殺され、積まれていた銃火器が盗まれた」
『犯人は判ってるの?』
「我々と敵対する組織の一つさ。どうやら、君が此間殺した裏切り者の生き残りと手を組んだらしい」
『通信機から指示していた奴らかな』
「だろうね」
ルナは扉から手を離して顎に手を当てた。何かを考えているような素振りを見せた後、口元に笑みを浮かべた。そんなルナに視線を向けたまま指を組んだ森は再び口を開く。
「近々、抗争が起こるだろう。緊迫状態にある今、何方かの組織が狼煙を上げた瞬間に抗争は開始する」
『部隊の編成と配置は?』
「既に整っているよ」
机に置かれている紙をペラリと持ち上げてルナに差し出し笑みを深めた森。そんな彼を見て、ルナは溜息を吐いた。決して呆れているわけではない。差し出されたその紙を受け取り目を通す。
主に書かれているのは遊撃部隊に属している構成員の配置場所。ルナはざっと目を通して自分の配置場所がない事を確認すると、笑みを零した。
「君の好きなように動きなさい」
口元に弧を描きながらそう云った森の考えは何か?何処まで知っていてそう命じているのか。ルナには判断できなかったが、ルナがこれからしようと思っている事に口出しする様子はない。
『了解、首領』
ルナは一言そう云って、自室とは反対側の扉を開け、首領執務室を後にした。
***
「少年がいなくなっただと?」
国木田がいつも通り定時に探偵社に出勤し、その事務所の扉を開ければ浮かない顔をした敦がいた。詳細を聞けば、例の少年が姿を消したとか。
昨日の夜、両親の仇である菊池ルナに会った少年を敦と鏡花は無事に連れ戻した。傷一つなかった少年に安堵したが、その時から少年はまるで魂が抜けた抜け殻のようだった。何も話さない少年を心配しながらも敦は探偵社の宿舎に連れ帰り彼を布団に寝かせた。
だが、朝、目を覚ましたら……。
俯く敦に国木田を額に手を当てたまま溜息を吐き出した。今日も仕事は山の様にある。そんな中、行方不明の少年一人を探している時間も義務も探偵社にはない。
「敦、気掛かりだとは思うが今は目の前の仕事に専念しろ」
国木田はそれだけ云って仕事机に戻って行った。その言葉に頷いた敦だが、頭を過る小さな少年の姿を追うように窓から見える快晴の空を静かに見上げた。
それは、抗争の狼煙が上がる約十時間前___。