第五章 死んで花実が咲くものか



「まさか、ルナちゃんがポートマフィアで、然も鏡花ちゃんの暗殺の師だったなんて……」

「黙っていて御免なさい」


人探しは一時中止にして探偵社に戻ってきた三人。疲れた様子の少年を下の喫茶処で休ませている間、敦と鏡花は神妙な面持ちで話し合っている。


敦はルナから向けられた殺気を思い出して身震いした。体の芯まで凍らせる程の殺気。それが彼女が常人の者ではないと物語っていたのだから。


「ちゃんとあの人の事を話しておくべきだった」

「鏡花ちゃんの所為じゃないよ」


慰めるような敦の声に鏡花は首を振って拳を握る。あの時、鏡花は短刀を抜けなかった。それはルナに止められたからではない。抜く事は意味がないと体が判っていたからだ。自分に短刀を抜く暇があったのなら、それはもう首を刈り取られている後だと、頭より先に体が理解していたから。


「あの人が本気だったら今此処に私達は座っていない」

「……。」


冷や汗が流れるのを感じた敦。
もし、ルナちゃんが本気で僕達を殺ろうとしていたら、屹度僕はシュークリーム屋で出会ったあの瞬間に殺されていたかもしれない。


震える脚を抑えるように手を当てた敦は落ち着かせようと短い息を吐き出して、机に置かれたお茶を飲み込んだ。


敦のその様子を見た鏡花は自分も同じようにお茶を啜った後、それを机に置いて敦に向き直る。


少年あの子の話を聞いた時、ずっと気になる事があった」

「気になる事?」

「両親の仇の特徴のこと…」

「心当たりがあるの!?」


机に乗り出しながら鏡花に詰め寄った敦だが、深刻な顔をした鏡花を前に大人しく座り直して鏡花が話し出すのを待った。お茶から上がる湯気が消えていく中、鏡花は昔、ポートマフィアにいた頃に聞いたある噂の事を思い出しながらゆっくりと口を開いた。



*


“菊池ルナの瞳は呪われた右目を持つオッドアイ”


偶々そんな噂を耳にした鏡花。菊池ルナは鏡花の暗殺の師。一介の構成員より彼女に会う機会がある。だから、その噂に疑問を抱くしかなかった。ルナの瞳はアメジスト色だ。右も左も同じ色。見間違うはずはないのに。


それは鏡花にとって初めて噂は噂でしかないと思ったものだった。


___しかし……。


噂の正体を知ったのは、暗殺の術を学んで数ヶ月後の事だった。


私が初めて、あの人の“殺戮”を見た時。
巨大な獣が人間をまるで紙切れのように裂き、喰いちぎり、食らった、あの殺戮の後……。
地面にへたり込む私に振り返ったあの人は自身の右眼に指を添えて何かを外した。


そこにあったのは、血のように赤い右眼。



*


湯のみから湯気は上がらなくなった。
時間は進んでいるのに鏡花と敦の二人だけ時間に取り残されたような感覚。


「じゃあ、ルナちゃんがあの子の両親の仇…」


敦は少年の話を聞いてから何処か元気がなかった鏡花の原因が今の話を聞いて漸く判った。相手が悪すぎるのだ。一般人の、然もまだ子供。そして、相手はポートマフィアであり腕利きの暗殺者。


「間違いであって欲しいと思った。菊池ルナあの人は、少年あの子がどうこう出来る相手じゃない。復讐をする前に殺されてしまう」

「やっぱり止めさせよう!あの子に復讐なんてさせちゃダメだ」


敦の言葉に鏡花は頷き立ち上がる。二人で少年が休んでいる一階の喫茶処へと向かった二人は扉を開けて茫然とした。そこには飲みかけの蜜柑ジュースが寂しく置かれているだけ。少年の姿はない。


「あ、あの!あの子は!?」

「数分前に探偵社のとこ戻るって云って行ったきりですけど、会いませんでした?」

「まさか…」


女給さんの言葉に敦は額から冷や汗が伝うのを感じた。もし、探偵社に戻ってきた少年が先刻の僕達の会話を聞いていたら?親の仇の犯人が判った少年が取る行動は容易く予想ができる。


「鏡花ちゃん!急いであの子を追おう!」


二人は少年の後を追って陽が落ちる街へ飛び出した。





**





『久し振りのデェトだね中也!』

「デェトじゃねぇよ莫迦。仕事だ仕事」


スキップしだしそうなルナの頭を小突いた中也。海の沿う道を歩いている二人は中也の云う通り仕事中である。詳しくはこれから港湾に行き、密輸品の確認をしにいくところである。


『首領も人使い荒いよまったく。組合戦終わった途端に私をあっちこっち使うんだから』

「それだけ頼られてるってこったろ。いい事じゃねェか」


ルナはこの仕事をルナに頼んだ時の森の顔を思い出す。エリス嬢に着替えをさせ乍ら「密輸品の確認に行っておくれ。あ、そうそうエリスちゃんにはどっちが似合うと思う?」と、後半の方を真剣な顔で云う森。


『あのロリコンに頼られてもねぇ…』


そう云って溜息を零したルナは太陽が沈んだ海に視線を移す。静かに凪いでいる海。今夜は雲があって月が姿を隠し水面には光は灯さない為か、綺麗な筈の海が酷く濁っているように見えた。


潮風が耳の側で音を立てて過ぎていくのを感じていた時、背後から走ってくる足元が聴こえてルナは振り返る。


「死ね!!」


叫びながら走ってくる小さな影が手に鋭利なナイフを光らせながらルナに突っ込んできた。


中也もいきなりのことに目を見開く。


まるで猪のように一直線に突き付けられたナイフ。子供であろうと走った勢いに乗ったそのナイフは人間の肉には十分な深さで刺さるだろう。まあ、避けられなければの話だが。


羽が舞うようにふわりと少年のナイフを躱したルナは勢いによろけた少年を怜悧な瞳で見下ろす。だが、少年も諦めなかったナイフをルナに向かって振り回して叫ぶ。


「父さんの、母さんの仇!殺してやる!」


唯乱暴にナイフを振り回しても当たるはずがない。少年の攻撃を余裕で避けながら少年を見据えるルナ。


『(確か、この子は人虎君達が連れてた…)』


ルナは見たことある顔を思い出し、そこで動きを止めた。ルナが動かなくなった事を好機と思った少年はルナに再びナイフを向けた。


だが、それは届く事なく代わりに誰かに背後から両腕を取られて手からナイフを落とす。カキン、キンッと音を立てて地面を滑ったナイフ。


少年は痛みに顔を歪ませて自分を捕まえている男を睨みつけた。


「餓鬼が危ねぇモン振り回すンじゃねェ。怪我すんぞ」


中也は呆れたように少年に向かって説教の如く忠告する。


『中也、怪我しそうだったのは私なんだけど』

「手前は余裕で躱してただろうが。それより、手前の知り合いか?この餓鬼」

『さあ?』


そう答えてルナは少年を見据える。中也に片手で両手首を押さえつけられている少年は「離せ離せ!」と体を捩っているが力の差は歴然だ。


ルナはそんな少年の様子を見ながら先刻少年が叫んでいた事を思い出す。


確か、親の仇がどうとか…。
大方、私が殺した奴の子供が私に復讐しにきた、と云ったところだろう。


ルナは溜息を吐きながら地面に転がっているナイフを拾い上げて少年に近づく。お互いの目があった瞬間。幼い少年からは想像もできないほどの憎悪が瞳に宿るのをルナは感じた。


『先刻、仇って云ってたよね』

「そうだ!俺がお前を殺してやるんだ!俺の父さんを殺したお前に俺が復讐してやる!」

『ふーん。で?なんで私が君の父親を殺したって判るの?』

「探偵社の奴らが云ってたんだ!お前が呪われた右眼を持つオッドアイだって!」


少年のその言葉にほんの少し表情を変えたのは中也だった。だが、ルナはピクリとも表情を変えずに少年を見据えている。


ルナはいつも赤い右目を左目と同じ色のコンタクトレンズで隠していた。それは大抵の時は付けてるものだが、ルナが戦闘際偶に外す時がある。


「(噂、つっーものは簡単にゃ消えねぇか…)」


心の中でそう呟きながら二人の様子を眺めている中也はこの状況に冷静な気持ちで向き合っていた。それは復讐やら敵討ちやら、そう云うものはマフィアなら珍しいものではないから。人を多く殺す仕事だ。恨みや憎しみの対象にもなる。マフィアってのは存外その繰り返しの仕事なのかもしれない。殺し恨み憎まれてまた殺し。その連鎖で成り立っている。そして今回はその恨みを買ったのが偶々ルナだったってだけ。


『それが父親を殺した者の特徴って訳ね』


ルナはそう云いながら右目に指を当てた。そして、顔を上げて目を開く。その瞬間、少年の喉がごくりと音を立てた。


鋭く細い瞳孔に血のように赤い瞳。


人間の瞳とは思えないその瞳が少年を吸い込むように覗いている。


『それで?父親の仇が目の前にいるけど君はどうするの?』

「殺す!殺して父さんと母さんの仇を取るんだ!」

「おい餓鬼、諦めろ。手前じゃ殺せねぇよ」

「うるさい!殺るって云ったら殺るんだ!」


駄々を捏ね始めた少年は地団駄を踏みながら叫ぶ。それはまるで玩具を強請る様だ。云っている事は物騒だが。


『離してあげたら中也』

「阿保か。また手前を殺そうとすンに決まってんだろうが」

『いいじゃん好きにさせれば。はい』

「おいルナ」


中也の静止を無視して少年にナイフを差し出したルナ。勿論少年は中也に押さえつけられている為それを受け取る事は出来ないが、離せば直ぐ様それをルナに振るうだろう。


たとえ子供でもポートマフィア首領補佐兼首領専属護衛であるルナの命を狙う奴がいれば、五大幹部としては見過ごせない。出来れば、穏便に事を済ませたいが…。


却説どうするかと中也が考えたその時___。


「待って下さい!」


その場に響いた声に全員が其方に視線を向ける。其処には息を切らしながら走ってくる敦と鏡花の姿。


「その子はまだ子供です。見逃してやって下さい」

「私からもお願い」


ルナと中也に頭を下げた二人。何度も許してやってくれてと頼む二人を見てルナと中也は顔を見合わせた。


「おいおいマフィアに命乞いかァ?」


最初に吹き出したのは中也。片手で顔を覆いながら喉を鳴らして笑っている。


「安心しろ。殺すつもりはねェ」


中也はそう云って敦に少年を渡す。敦は無事な様子の少年を見て安心したように一息吐いた後、再び中也とルナに視線を向けた。そして、気付いた。ルナの右目が血のように赤い瞳になっていた事を。


『じゃあ、私達は行くね』


ルナはにこりと微笑んで三人に笑顔を向けた後、歩き始める。


『ごめんね中也。余計な時間取らせて』

「構わねェよ。とっとと行くぞ」

『うん』


ルナは中也の後に続きながら思い出す。


踵を返す直前見えた少年の瞳を。それは深く濁った憎悪の塊。あの瞳に隠れるそれがまだ少年から消えていない事を悟ったルナは静かに凪ぐ海が荒れる様を密かに予感した。




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