第一章 虎穴に入らずんば虎子を得ず




『は、半年ィィ!?』


中也の執務室に響いた声。それは今にも泣きそうで悲痛なルナのもの。そんなルナに背を向けながらせっせと手を動かして準備をしているのは中也。彼は先刻、首領から西方への出張の命をうけたばかりであった。


『厭だ厭だ!』

「仕方ねぇだろ。首領の命令なんだから」

『だって半年だよ!?半年間も会えないってことじゃん!そんなの厭!!』

「我儘云うな」

『じゃあ私も行く!トランクの中に入れて連れてって!』

「阿保」


無理なことを云うルナに拳骨をお見舞いしてから中也はまた手を動かした。この出張はとても急で今日の夜には此処を出発しなくてはならない。頭を殴られたルナはその部分を押さえながら、頰を膨らませる。


なんだってこの男はこんなにも平気なのか。半年間も会えないなんて私なら寂しくて耐えられないのに。それに、離れている時に危険な目に合ったらどうするんだ。


ルナは準備に手を動かしている中也の背中を見据えながら項垂れる。そして、どんどん支度が整っていく中也から目を離して、ソファに座り、足をぶらぶらと動かした。

急に大人しくなったルナを不思議に思い手を止めて振り返った中也の視線にはしゅん、と元気なく落ち込んでいるルナの姿。その姿はまさに捨てられた仔犬のよう。垂れ下がった頭の耳が見える気がした。


中也も半年間離れることは躊躇った。だが、首領の命令を断る選択肢はない。仕方ない事なのだ。それは駄々を捏ねるルナも理解している筈。だからこそ、我儘を云う事で寂しさを吐き出しているのかもしれない。心の内に溜めておくといつか破裂してしまうから。


後ろ髪を掻き、ルナに近づく中也。視界に入った黒の靴先と背凭れについた手に気づいたルナは顔を上げた。その瞬間に唇に触れた柔らかい感触。目を見開くルナの視界には中也の顔しか見えなかった。


「帰ったら、真っ先に手前に会いに行く」


唇を離し、優しく微笑んでルナの頰を撫でる中也。その言葉と表情に頰に熱が溜まり始めたのを感じたルナは恥ずかしそうに、でも、嬉しそうにこくこくと頷く。


『約束だよ』

「あぁ」


窓から差し込む夕陽が二人を照らす。それは再び執務室に重なる影を作り出したのだった。






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