第五章 死んで花実が咲くものか
敦と鏡花、そして依頼主の少年の三人は横浜の街を当ても無く彷徨っていた。
探している人物は裏社会の人間。そう簡単に見つかる筈もないし、まして一般人に聞き込みをしても有益な情報が得られる筈もない。敦は頭を抱え乍ら携帯を見詰めた。
「太宰さんに連絡を入れてみたけど音沙汰ないし。あの人の事だから何処かで自殺でもしているのかも」
裏社会の事なら元ポートマフィアである太宰なら知っているだろうかと考えた敦。だが、その本人との連絡が付かないのだ。完全に情報不足の今、何としても先ずは情報を得たい。
「警察にでも掛け合ってみるか。ね、鏡花ちゃん。
……鏡花ちゃん?」
同意を求めて鏡花の方へと声を掛けた敦だが、鏡花の様子がいつもと違う事に気付き敦はその小さな肩を揺らす。すると、鏡花はハッと我に返って敦を見上げた。
「大丈夫?」
「…平気。少し考え事してただけ」
思い詰めたような顔をしていた鏡花だが、敦が声を掛けたことでいつもの表情に戻り歩き出した。敦はそんな鏡花を心配しながらもその後を追いかける。しかしその時、少年が敦の服を後ろに引っ張った。突然の事で驚きながらも足を止めた敦は少年の方を振り返る。
「如何したの?」
「あれ、美味そう」
少年が指差した方向。それは移動式のクレープ屋。甘い匂いが香るその店は子供を惹きつける魅力的な雰囲気が漂っていた。
「私も食べたい」
何時の間にか戻ってきていた鏡花が瞳を輝かせながら少年の隣に立つ。敦はそんな二人に苦笑しながらも少し休憩でもと思い二人に小銭を渡した。
「二人とも買ってきていいよ。僕はそこに座って待ってるから」
「直ぐ戻ってくる」
「うん」
手を振って二人を見送った敦は一息ついてベンチに腰掛けた。潮風の匂いが鼻を擽り心地よさに瞳を閉じた敦。彼の頭にはまだ二つの葛藤があった。もしこのまま少年の両親の仇が見つからないのなら、それはそれで善いのではないか。彼は何の力もない一般人。然もまだ幼い。そんな彼が復讐の為に今後の人生までも犠牲にしてしまったら。そんな事を考えては、でも、とまた葛藤する。
「こんな時、太宰さんならどうするのかな……」
あの人なら、屹度あの少年を正しい道へ導いて救ってくれるのだろう。
敦は太宰と出会った頃の事を思い出しながらそんな事を考えていた、____その時。
空の色とは違う水浅葱色。
それが視界の端に映り、敦は目を見開きながらベンチから立ち上がった。背凭れの後ろから此方を覗き込むように見据えていた彼女は笑顔を向けて笑う。
『ふふ、また会ったね』
「っ…ルナ、ちゃん」
よっ、と云いながらベンチの背凭れに足を掛けて此方側に飛び越えて来たルナは伸びをし乍ら潮の香りを乗せた空気を吸い込んだ。
そんなルナを未だに目を丸くし乍ら見据えている敦は彼女と会った事に驚いているわけではない。敦が驚いた理由、それはすぐ近くの距離にいたのに全く気配を感じなかった事だ。敦とて武装探偵社。常日頃から警戒心は持つようにと心掛けている。だから、誰かが近くにいれば気配で察知出来る筈なのだ。
なのに何故?
『私の顔に何か付いてる?』
「え…、いや何も!」
固まったままジッと見てしまっていた事に気付いた敦は不思議そうに首を傾げるルナに慌ててそう返した。
その返しにルナは安心したように『よかった。シュークリームの食べ残しが付いてるのかと思ったよ』 と笑う。また、食べていたのかと苦笑した敦だが、先刻のは屹度自分が気を抜いていただけかもしれないと納得して気にしない事にした。
「それにしてもこんな処で会うなんて偶然だね」
『そうねぇ。でもまあ、私も外出禁止が解けたし、人虎君も外に出やすくなっただろうからこれから会う機会も増えるかもね』
「うんそうだ、ね……え?じんこ?」
冷たい風が二人の間に吹いた。まるで体の熱まで攫い乍ら吹いたそれは海より氷より冷たい。
「おおーい、クレープ買ってきたぞぉ!」
少年の声に敦は振り返る。此方に小走りで駆けてくる少年と鏡花。だが、数米の距離を開けて鏡花がピタリと足を止める。そして、力が抜けたように手に持っていたクレープを地面に落としたと同時に我に返ったように鏡花は敦に走り寄った。
「その人から疾く離れて!」
いつも冷静な鏡花が声を荒げ乍ら焦る様を見て敦は驚きながらもルナと自分の間に立った鏡花の背を見据える。それはまるで敦を庇っているような行動だった。
敦を背にした鏡花は目の前に立つルナを睨み付けながら帯に仕込んでいる短刀に手を伸ばした。
『それを抜く必要はないよ、鏡花ちゃん』
だが、短刀に手が届く前にルナの制止の声が鏡花の動きを止める。ルナは笑顔のまま鏡花を見据えてそのまま続けた。
『私は散歩しているだけ。だから、人虎君と会ったのは唯の偶然。それに今は首領に探偵社との敵対は禁止されているから何もしないよ。……まあ、でも』
「ッ!」
『そっちがその気なら話は別だけど?』
その瞬間、鏡花は全身を凍らせた。脳が逃げろと警告を発しているのに体が云う事を聞かない。鉛のような体は自分の体なのにビクともしなかった。だが、それは敦も同じ。ルナから発せられた微かな殺気は金縛りのように重く全身に伸し掛る。
『なーんて冗談だよ』
撫ぜ撫ぜと鏡花の頭を優しく撫でたルナはにこりと笑顔を浮かべ乍らそう云った。その声に恐る恐るルナの方を見た鏡花はルナのその表情から危害を加えないと云うのは本当だと悟る。
『それじゃ、私行くね。久し振りに会えて良かったよ』
ルナは最後にそう云って二人の横を通り過ぎた。
本当に唯の散歩だったのに。まさかあの二人に会うなんてこの街も案外狭いなぁ。そんな事を考えながら数米歩いた先に、一人佇んでいる少年が視界に入った。クレープを手に此方をジッと見据えている。
その少年の横も通り過ぎて、私は晴れやかな空の下、散歩を再開させた。明日は中也と出掛けられるかなとちょっとの期待を胸に込め乍ら。