第四章 恋路に在りしは恋敵



ルナがお店の店長と店に入って行った後、中也と青年の間には沈黙が訪れていた。殺伐とした雰囲気から一変して気不味い雰囲気漂う中、最初に声を発したのは青年の方だった。


「僕は唯、純粋にルナちゃんを可愛いと思ったんです」

「……。」

「僕が作ったシュークリームを美味しいって食べてくれて……、嬉しかった」


青年は店の中にいるルナを見詰めながらまるで独り言のように話す。それを黙って聞いている中也も青年と同じようにルナを見詰めた。


「でも、シュークリームが大好きな理由…それを訊いた時、彼女の心には貴方しかいないんだと判ってしまった」


悲しみを帯びた青年の声。その声に一瞬青年の方へと視線を移した中也だが、直ぐにルナに視線を戻した後口を開いた。


「手前、俺に聞いたな?アイツの事が本気で好きかって」

「…えぇ」

「好きだ。どうしようもねぇ程にな」


中也の瞳は真っ直ぐだ。真っ直ぐにルナに向かってその瞳はルナしか映さない。


青年は判っていた。
中也が彼女の事を本当に大切に思ってる事を。


二人の間をふわりと吹いた風が通り過ぎた時、店から出てきたルナが二人に近づいてくるのが見えた。


『殴ってなかったみたいだね。よかったよかった』


笑いながらそう云ったルナは二人の前で一度立ち止まった後、視線を青年に向けた。そして、真っ直ぐな瞳で青年を見据える。


『私は中也が好き。それは絶対に変わらない』


ルナは口元に微笑みを浮かべてそう云った。
揺るぎのない瞳と声。それは青年の想いに終止符を打つには充分過ぎるものだった。



青年は瞳を閉じて、悲しげな笑みを浮かべた。
そして、もう一度瞳を開けてルナを見詰める。


「君の口から聞けて善かった」


パティシエの青年が抱いた初恋は、まるで花弁のように儚く散った。だが、それは短い間しか咲かない花であれ、その時間に後悔などしない。何故なら、その初恋は短い間でも美しく咲いたものに変わりないのだから。



***



中也は前を歩くルナの背中を見据え乍ら何処か上の空でルナの後を追って歩いていた。



もし、ルナがマフィアではなく普通の女のように生きていたら…、俺達の今の関係はなかったのだろうか。


もし、ルナが殺しとは無縁の世界に生まれていたら今よりももっと笑って、幸せに暮らしていたのだろうか。


海を眺め乍ら歩く横顔が微笑ましげに海上に影を乗せて飛んでいく海鳥を見ているのを見て、俺はそんな事を考えずにはいられなかった。



もし、ルナが光の世界を求めたら……その時、俺はルナの背中を押してやれるのだろうか。


『中也』


それは大して大きな声でもなかった。だが、俺の思考を遮るには十分な程に俺の名を呼ぶ声が木霊した。


『何を考えてるの?』


いつの間にか歩みを止めていたルナが俺の方を向いて此方をジッと見ていた。俺自身も歩みを止めていた事を気付いたのはその数秒後だ。


「いや…、何でもねェよ」

『嘘。何か考えてたでしょ。例えば、もし私が光の世界を求めたら、とか』


完璧に的を当てたそれに中也は思わず視線をルナから逸らして、「読心術者かよ手前は」と呟いた。


『判るよ。中也は何時もそうだもの。
何時私の事を考えて、私の事で悩んでくれる。でもね__』


ルナは一度そこで言葉を止めて、一歩一歩と離れている間を埋めた。そして、風に揺られる髪を耳にかけたルナは美しく笑う。


『悩む必要なんてないよ。
だって、中也がいる場所が私の光だから』

「…ルナ」

『中也がいてくれたから私は感情を持つことが出来た。中也が傍にいるだけでこんなにも幸せだって思える。ありがと、中也』


その瞬間、無意識に伸びていた手がルナ腕を掴み引き寄せていた。小さな体を抱きしめて決して離さないように。


『中也、苦しいよ』

「…るせぇ」


ルナはそう云ったが全く嫌がる素振りを見せない。大人しく俺の腕の中に収まり、俺の背中に手を回した。


暫くルナを抱き締めてその体温を感じた後、その可憐な体をゆっくりと離して向き直る。潮の匂いを乗せた風が俺達の髪を遊ぶように吹き、そして通り過ぎた。


それが合図だったかのように何方ともなく距離が縮まって、気付いた時には互いの唇が重なっていた。


柔らかい唇から伝わってくる温度が移ってくれば、更なる熱さを求めてルナの口内へと舌を忍ばせる。少し舌を奥に入れれば、簡単に見つかったルナの舌。それを俺の舌で絡めて、味わった。


いつも甘いが今は一段と甘く感じる。


『んっ…』


洩れ出る吐息さえ呑み込みたくなる。
ルナの頭と腰に手を添えてぐっ引き寄せれば、ルナも俺の首に手を回して体を密着させた。




夕陽で出来た二つの影が一つに重なる時間。
それは長いようで短い時間。



それでも、この時間が永遠に続けばいいと願いながらルナと中也は夕日が沈むその時まで、甘く深い口付けに浸っていた。








***




それから数日が過ぎた___。


相変わらずシュークリームを食べ続けるルナはシュークリーム屋さんに買いに行こうとするが、その度に中也がそれを止める日々。いくらパティシエの青年がルナを諦めたとは云え、再び会って又想いが蘇るなんて事も有り得なくはないのだから。


その為、ルナがシュークリームを欲しがる度に黒服の構成員が買いに行く羽目になっているのだが。マフィアとしてプライドが高い彼等にとって可愛らしいお菓子屋に行くなど避け難い事であるが、ルナに逆らえる者など黒服達の中には存在しない。


いつしかシュークリーム係と命名された構成員は今日も今日とてシュークリームを購入してきて大量の箱をルナに渡し後、疲れ切った顔でお辞儀をしてルナの前から去った。


ルナはいつものようにソファに腰掛け一番上の箱を手に取り蓋を開ければ、そこにはいつものシュークリーム。美味しそうである。


だが、箱の隅にひっそりと置かれたカードが一つ。見覚えのあるそれを手に取ったルナは折り畳まれたそれを開いて、その文字を目で追った。



【ルナちゃんへ

あの後、君への想いを消そうとしたけど無理だった。やっぱり僕は君が好きで、君の為にシュークリームを作りたいって思う気持ちは変わらない。だから、この想いは思い出としてずっと僕の中に残しておくよ。

突然だけど、僕はこれから欧州にある国へパティシエの勉強をしに行く事にしたよ。多分、今後君に会う事はなくなるだろう。でも、僕は後悔はしていない。僕は僕の夢を追いかけて、僕の道を進んでいく。


中也さんとお幸せに。






最後迄手紙を読み終えたルナはカードを手に立ち上がり、暖炉に火を付けた。


揺れる炎。


火花を散らして燃えるそれに持っていたカードを投げ入れた。


カードは炎に包まれるように形を崩し、やがて黒い灰となって音もなく消えてゆく。



ルナは一度瞳を閉じた後、片手に持っていたシュークリームを一つ手に取り、それを齧る。



『…美味し』



ポツリと呟いたルナの声は炎がパチっと跳ねた音に重なり、空気へと溶け込んでいった。






第四章【完】_____Next、第五章へ
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