第四章 恋路に在りしは恋敵




次の日の夕方、ルナはパティシエの青年と約束した公園へと訪れていた。


辿り着いたその場には青年以外誰もいなくて、真剣な瞳を此方に向ける青年にルナは近寄る。


「来てくれたんだね」


口元に優しい笑みを浮かべた青年。だが、すぐに笑みを消して真剣な顔になる青年にルナは首を傾げた。


『如何したの?パティシエ君』


青年はここに来て迷っていた。自分の想いをルナに伝えるべきか否か。


ここで想いを伝えてしまったら彼女はもう店に来てくれないのではないか?


彼の頭にそんな不安があった。


けれど、背中から照らす夕日が背中を押してくれているように感じた青年は大きく息を吸ってルナにもう一度視線を向けた。


「ルナちゃん。僕はお菓子を作る時、ずっと君の事を考えてた。初めて会った時、君の笑顔を見たあの時、僕は君の為にシュークリームを作りたいって思ったんだ」


キョトンとした顔で青年を見乍ら青年の言葉を聞くルナ。だが、青年は続ける。


「僕は、君が好きだ」


青年のいきなりの告白。何度か顔を合わせただけの一般人の青年がどんな思いでそんな事を云っているのかはルナには判らない。しかし、一生懸命想いを告げてくれた事は判った。


『そう。ありがと』


それだけ云ってルナは踵を返す。それだけの返事に青年は歯を食いしばる。判っていた、こうなる事は。でも、それでも青年は初めての恋に終止符を打てなかった。



そして、青年は去っていくルナの肩を掴みその可憐な体を引き寄せた。


小柄な体のルナは青年の腕の中にすっぽりと嵌まるように抱き締められる。


___中也と、違う匂い……。


ルナは青年の腕の中でそんな事を考えていた。



「君が僕の事興味ない事も判ってる。けど、諦められない」


青年の声は震えている。震えは声だけじゃなく抱きしめる腕からも伝わって彼の言葉が冗談ではない事が窺える。


そして、青年はゆっくりとルナを離した。


「少しでもいい、僕の事を考えて欲しい。返事はそれからでお願い」


それだけ云って、青年は去っていく。
一人残されたルナは去っていく青年の背中から視線を夕日へと移した。何処までも続く紅の空。ルナは何も考えずに唯その紅を眺めていたのだった。




そして、そんなルナの後ろ姿を見ていた一人の男。彼は建物の陰に隠れながら額から冷や汗を垂らした。


「ま、マジか。ヤベェな見てはいけねぇモンを見た気がする」


トレードマークの絆創膏を鼻に付けた青年はポツリと夕焼けの空に向かって呟いたのだった。




**


俺の名は立原道造。
数時間前、俺は上司であるルナさんが一般人の男に抱き締められている現場を見た。


遠くからで何を話しているのかは判らなかったが、ルナさんが男から離れようとした瞬間に男に抱き締められて……。


「はぁぁぁ」


これから俺は中也さんの部屋へと行かなくてはならない。任務の書類確認の為だ。夕方に見た事を話すべきか。否、ここは黙っていた方がいいかもしれない。


しかし、もしあの男が敵組織の刺客だったら?ルナさんを陥れようといているなら、話は別だ。直ぐにでも中也さんに忠告しておくべきではないのか?


そんな事を考えていれば辿り着いた部屋の前。仕方なく叩音をして返事を聞いてから中へと入った。


「おう、立原か」

「うす…書類の確認お願いします」


書類を手渡し中也さんが確認する間机の前に立って葛藤していた。云うべきか、云わないべきか。


「そう云や立原。手前、ルナ見てねェか?」


書類から目を離さないままそう問うた中也さんの言葉に俺はだらだらと冷や汗を流す。見てない、と云えばいい口はまるで壊れた機械のように動かない。


「ルナ、さん…いないンすか?」

「ああ。急に出掛けてくる、つったきり帰ってこねェんだよ。ったく何処で何してんだあの莫迦」


溜息を吐きながらそう云った中也さんの言葉は乱暴だが、ルナさんの事を心配しているよう事が感じられた。


「あの、中也さん。
___実は、ですね……」


そして、気付けば俺の口は勝手に動いていたのだった。



***



ルナはある店に向かっていた。
それはいつも大好物のシュークリームを買う店だ。


それは夕日が沈む前の時間。


パティシエの青年が閉店の片付けをしている時、先刻公園で別れた筈のルナが此方に向かって歩いてきていた。


僕の事を考えてくれ、と彼女に伝えた。そして、返事は早くても明日になるだろうと思っていた青年の考えはルナが訪れた事で間違いだったと悟った。


『返事しにきたよ。パティシエ君』


口元に笑みを浮かべてそう云ったルナに悲しそうに苦笑する青年。


「少しは僕の事、考えてくれた?」


その問いにルナは答えなかった。何も云わずに唯ジッと青年を見据えるだけ。その瞳を見て、青年は確信した。彼女の瞳に僕はこれっぽっちも入っていない事に。そしてそれは会った時からそうであった事に。


「…そっか」


青年は消え入りそうな声でそう呟いた後、ルナの目の前まで歩み寄った。そして、ルナのアメジスト色の両目を見詰める。


「でも、それでも僕は」


青年はルナの腕を掴んで顔を近づけた。
それは焦りが生んだ突然の行動。


青年の唇がルナのそれに触れるその瞬間、
ルナの体が後ろへと引っ張られた。


驚いたのは青年だけではなく、ルナも目を見開いて背後を振り返る。



「手前、俺の女に何してやがる」



いつもより低い声がルナの頭上から発せられた。


『…中也』


名を呟いたルナ。
だが、中也はルナには視線を向けずに青年を睨みつけている。人を殺してしまう程の殺気を漂わせ乍ら。


中也から発せられるその殺気を感じてゴクリと唾を飲み込んだ青年。




黒帽子を被るこの人は先刻確かにルナちゃんの事を“俺の女”と云った。


この人が、ルナちゃんの恋人?


僕の中にそんな疑惑が浮かんだ。
肌に突き刺さるようなこの殺気から判ったのは、彼が普通の人ではないという事だ。屹度彼は僕が知らない世界の人。そんな人がルナちゃんの恋人なんて。




青年は拳を握りしめた。
そして、負けじと中也を睨みつける。


「貴方は本当にルナちゃんが好きなんですか?」

「あ"ァ?」


圧倒的な威圧感。低い声から感じられる中也の怒りに青年は一瞬たじろぐが、拳を握りしめて意を決意した瞳を中也に向けた。


「僕は、ルナちゃんが好きです。本気で彼女の事を想ってます」


睨み合う中也と青年。
その間に挟まれてルナは何も云えずに黙ったまま。どう反応すればいいのか今のルナには判らなかった。



「此奴の事何も知らねぇ野郎が巫山戯た事吐かしてンじゃねェ」



中也はそう吐き捨てるように青年に云った後、ルナの腕を引っ張って歩き出す。


青年は去っていく二人の後ろ姿を見据えてたままその場から動けずにいたのだった。







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