第三章 死を奏でる旋律の館
広々とした空間に置かれた一つの棺。
大の大人が入れる程大きく古びたそれは一見普通の棺だ。
だが、それはある男の異能力によって決して壊すことはおろか開ける事もままならない程の物へとなっていた。
そう、人の力では壊すことが出来ない棺の筈だったのだ。まあ、それは人智を超えた力を除いての話だが。
バキッィィ、と物凄い勢いで棺の中から生えてきた腕。それは人の何十倍もある巨大な獣の腕で、いとも簡単に棺を破壊した。
その腕と共に溢れ出てきた水。
それが全て流れると同時に棺は粉々に砕け散った。そして、獣の腕は音もなく消える。
その棺の中から出てきたのはルナと中也。
二人は酸素を取り込もうとゲホゲホと咳き込んで吸い込んだ水を吐き出した。
『ちゅう、や……大丈夫?』
「ああ…、何とかな」
水中でルナが呟いた言葉。それはイヴの名だ。そして、二人は水が溜まった棺から脱出する事が出来た。異能力がかかっている棺であっても、イヴの力に敵う事は出来ないのだから。
『服がびしょびしょ。早く着替えないと風邪ひいちゃう』
「呑気な事云ってねぇで行くぞ。犯人の野郎、許せねぇ」
『うん、そうだね許せない。折角、いい雰囲気だったのに』
「いや、そうじゃねぇ阿保か」
もし、あのまま水が流れ込んでこなかったら、敵の攻撃がなかったら。
あの暗くて狭い空間で、私達はどうなっていただろうか。お互いの距離が近くて、心臓の鼓動が鳴り止まないあの時間。
もし、あのままもう一度唇が触れ合っていたら……。
「おいルナ。何してんだ?行くぞ」
なんて、こんな状況でそんな事を考えるのは、やっぱり中也がいるからだ。
『うん』
さあ、舐めた真似をしてくれた敵をぶっ飛ばしに行こうか。
**
「羅生門!」
黒刃が屍人を裂く。だが、それはもう既に死んでいる者。裂いても斬り刻んでも動き出すそれはキリがなかった。死んでいるものを殺すことは出来ないのだから。この屍人達は倒し、男の首を取るのは困難だ。
「くっ!数が多い」
樋口は屍人に銃を放ちながら叫んだ。あれからずっと銃弾を使っているが一向に数が減らない。このままでは、先に銃弾が底をついてしまう。
そして、その時は早かった。
カチカチと虚しくなる銃が樋口の戦う手を奪う。敵はまだいるというのに。
腐りかけた屍人が樋口の目の前まで来た時、再び彼女の表情に恐怖の色が浮かび上がった。
その表情をにんまりと笑みを浮かべて眺める男は歓喜の声を零した。
「そう、そうです!その表情!嗚呼、素晴らしい。まるであの日の光景が蘇るようだ」
男はステージを照らすライトの光に目を細めながら、数週間前の出来事を思い出した。
「あれは素晴らしかった。横浜の街全てが恐怖の色に染まった。手形の痣が付いた一般人がお互いを殺し合い、街を焼いたあの光景」
男が云うその光景。それは数週間前、組合によって行われた緊急プラン、精神操作の異能を持つQを使い行われた悲劇。恐怖と残虐を絵に表したようなあの光景の事だった。
「結局あの素晴らしい光景は武装探偵社によって止められてしまいましたが。まあ、いいでしょう。僕は今、この館の中で充分楽しんでますからね。だから、貴方達もいい加減諦めて僕のコレクションになって下さい」
男は笑みを浮かべたまま冷たい瞳を芥川と樋口に向ける。それに答えるように屍人が樋口に向かって手を伸ばした。
その瞬間。
屍人は何処からか飛んできた物に弾け飛ばされた。屍人の体ごと壁に刺さった物は扉。それは赤黒く重力に包まれている。
樋口はハッとして、扉が飛んできた方向へと視線を向けた。
「とんだ変態野郎だ」
『気色悪い男は嫌われるよ』
扉が無くなった入口の前に立っていたのは中也とルナ。
その二人の姿を見た時、樋口は涙が溢れそうな程の安心感に包まれた。
「ルナさん!中也さん!」
思わず叫ぶように呼んでしまった二人の名前。そんな樋口に目を向けてルナはにこりと笑った。
『心配かけてごめんね、樋口ちゃん。龍ちゃんも』
「いえ、最初から心配などしておりませぬ」
『またまたぁ。ちょっとは心配してたくせにぃ〜』
コホッと咳き込み淡々とそう云った芥川を揶揄うルナはいつも通り。そんなルナを見て樋口の顔にも自然と笑みが浮かんだ。
「不愉快な表情ですね」
部屋に響いた声。愉快そうに不敵に笑っていた先程よりも低くなった声で男は呟いた。
「僕の異能力で恐怖の表情を見せない貴方達は実に不愉快だ。何故、恐れない?何故、笑える?何故、まだ生きている?貴方達には聞こえないのですか?死を奏でる美しき旋律が」
ブツブツと呟いている男の表情から笑みは消えて、代わりに壊れた人形のような不気味な表情へと変わり果てた。そして、「殺す、殺してやる!」と狂ったように叫び出す。
『中也』
「あぁ」
ルナと中也がお互いの顔を見て頷き、走り出した。それと同時に屍人達も二人の行方を阻むように襲いかかる。
掴もうと伸ばされた手を短刀で瞬時に斬り落とすルナ、向かってくる屍人を殴り飛ばす中也。二人の動きは一直線に男に向かって止まらない。
「おのれ!お前達早く奴等を殺せ!」
男の叫び声に全ての屍人が中也とルナに覆い被さる。男が手応えを感じ笑みを浮かべたが、その笑みはすぐさま消えて驚愕の表情へと変わった。
男の視線の先には地面に埋まる屍人達が中也を中心として倒れている。飛び散った肉片も同じように赤黒い重力に押さえつけられていた。
「
ニヤリと笑みを深めた中也。
男の視界に映るのは、その中也の笑みをバックに目の前にまで迫ったルナの姿。
『最後のコレクションは自分の表情で楽しみなよ』
ルナはその言葉を云い終えたと同時に、鋭利に光る短刀で男の首を刎ねた。
首から大量の血を吹き出しながら倒れていく体。床に転がった男の頭は、最後に死を感じた恐怖の表情を浮かべていた。
屍人達ももう動き出すことはせず、あるべき死体に戻った。もう、奴の異能力で無理矢理操られる事はない。安らかに成仏出来るだろう。
ルナは床に転がる男の頭を見据えた後、中也の傍に駆け寄り、拳を突き出す。
『任務完了だね、中也!』
笑みを浮かべてそう云ったルナに中也も笑みを浮かべて、その拳に自分の拳を合わせた。
「あぁ、任務完了だな」
少し離れた処で二人を眺めていた芥川と樋口も、笑い合い拳を合わせる二人の姿に笑みをこぼしたのだった。
***
任務を終え、次の日。
私は首領に提出する報告書を確認しながら、廊下を歩いていた。それを読むと頭に浮かぶのは炎に包まれた館。
二度と生きては出られない館の秘密を暴き、ルナさんと中也さんが犯人を倒してから直ぐにあの館を燃やした。あれだけの死体が転がるあの場所を残しておく訳もいかない。あの館で殺された者の弔いも込めて火を放つ事が最善だったからだ。
結局、今回の事件に関わる男の動機は自身の娯楽に過ぎなかったけれど、そんな娯楽に巻き込まれて命を失った者達は災難だったという他ない。
私達はマフィア。
他人の死に一々哀れむ事もない。
次の日にはまた別の任務で忙しくなって、この事件の全容は報告書に纏められて古びた資料の仲間入りだ。
時が経てば、あぁそんな事件もがあったな、くらいの話になるのだろう。
そんな事を考えていれば、後ろの方から聞こえてきた話し声。
振り返って其方に目を向ければ、明るく楽しそうに笑うルナさん。そして、そんなルナさんの隣にいるのは書類を手に持って歩く中也さん。
「今度こそ間違いはねぇんだろうな?」
『大丈夫!ちゃんと確認したもの!』
「まあ、見たところ大丈夫そうだが…」
『ほら!私だってやれば出来るでしょ?ねぇ褒めて褒めて!』
「あー、はいはい凄え凄え」
『心こもってない!!』
相変わらず仲が善くて羨ましい。
だけど、お二人を見ていると何故だか私まで心が温かくなって、お互いを信じ想い合っているお二人をずっと見ていたいなと思ってしまう。
『あ、樋口ちゃーん!樋口ちゃんも首領に提出するの?なら、一緒に行こうよ』
「はい!」
ルナさんの笑顔に私も心から笑顔が溢れた。
人の心に響くのは、笑顔の音色。
それは、きっとどんなものよりも
___美しき旋律。
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