第三章 死を奏でる旋律の館
「貴様が犯人だな」
洋楽の旋律。
10本の指でそれを奏でていた男は芥川の声に指を止めた。
それはルナと中也が壁の中へと吸い込まれて行って数十分後の出来事。芥川と樋口が再度館の中を歩き回っていた時に聴こえてきたのはピアノの音色だった。
その音に導かれるように辿り着いた部屋が今芥川と樋口、そしてピアノを弾いている男がいる此処。
部屋はまるで洋楽の演奏会に使われるかのように広々としていて、ピアノがあるステージを主役に光が照らす。
そのステージに置かれた高級ピアノとそのピアノの椅子に腰掛ける男。
「嗚呼、今回のお客様は実に素晴らしい」
感嘆の声音を滲ませそう呟いた男は鍵盤から指を離しながら天を仰いだ。
「こんなにも奇怪な館に恐怖する表情は一切なく、凛とした姿と精神。実に素晴らしい。だからこそ、それが恐怖に染まる
男は立ち上がり振り返った。その顔には歪んだ笑み。三日月のように細められた目が男の異常さを含んでいた。
「お喋りはそこまでだ。大人しく首を差し出せ。そうすれば一瞬で楽にさせてやる」
外套を鋭利に刃物に変形させ、そう云った芥川。彼の異能力《羅生門》は己の衣服を変幻自在に変えることが可能。
樋口も銃を構え同じく戦闘態勢に入った。
だが、男は自身に向けられた銃には見向きもせずに代わりに樋口に目を向けた。そして、にんまりと笑みを深める。
「見ていましたよ。貴方の恐怖に染まる顔を。四人の中で貴方が一番愉しませてくれた」
男のその言葉に樋口は銃を握る手の力を込めた。悔しさと情けなさで一杯だったからだ。
「気に病む事はありませんよ。僕の異能力で恐怖する事は至極当然の事。この館にある物全てを操り怪奇を起こす能力。まさに僕の趣味に合った天が与えてくれた異能力だ」
男がそう云った瞬間。
男の前の地面が裂けた。
「お喋りはそこまで、と宣告した筈。これ以上そのふざけた口を閉じぬのなら、次は貴様の体を裂く」
地面を裂いたのは芥川の外套。赤黒く浮かぶその刃に込められた殺意は本物だ。
「…芥川先輩」
「奴の言葉を聞いてやる義理はない」
樋口には前に立つ芥川の背中が大きく見えた。そして、やはり溢れでた想いに心の中で笑みを浮かべる。
私はこの人といると強くなれる、と。
樋口は芥川の背中をずっと見てきた。
いつか追いつくように、いつの日か隣に立てるように。
樋口は身を引き締め、もう一度銃を男に構える。
「やる気ですか…。僕は早く捕らえた二人の恐怖に染まった
「ふん、世迷言を。貴様などが殺せるお二人ではない」
「…そうですか。なら、貴方達から見せて下さい。そうして、仲間におなりなさい。彼等のね」
男は二回手を叩いた。
それが合図のように、湧き出てきた人達。
否、人と云って良いものか。
腐り、血に染まった体。
まるでゾンビのような姿で現れたもの。
それは、樋口がルナと辿り着いた部屋の中で見た死体達だった。
「生きた者を操るのは無理ですが、死体になれば操る事が出来る。さあ、貴方達も早く僕の
男の高らかな声で死体達は一斉に芥川と樋口に襲いかかった。
**
ゆらゆらと上がる気泡。
それは水の中でまるで踊るように上り、そして音もなく消えた。
ルナは冷たい水の中で、何も感じていなかった。
頭の中で感じたことは、何もない。
自分はこのまま息が出来なくて死ぬのか。
そんな恐怖は微塵もない。
呼吸が出来ない。
それによって唯々頭に浮かぶのは、過去の日々。
息が出来ない事が当然のような日常。
苦しさも恐怖も、感情も知らないあの頃の自分。
何も感じない。
__その筈だった。
ルナが水中で瞳を開けた時に見えたのは、中也。
今、中也も同じように水の中で呼吸をしていない。
息が出来なければ、人は死ぬ。
このままじゃ、中也が死ぬ。
そんなのは、嫌だ。
ルナの体を抱く中也の腕の力が抜けた。お互いの体が離れるその前に、ルナは水の中で手を伸ばす。
そして、呼吸を止めた中也の唇に口付ける。
ほんの少しの間でも息が出来るようにと。
重なる二人の唇の隙間から気泡が零れる。
それは一つの泡雫のように暗闇の中で光った。
『__。』
そして、唇を離した瞬間にルナは水の中で口を二回動かした。