第三章 死を奏でる旋律の館
青白い手によって壁の中に引き摺り込まれてから、如何なったのだろうか?
ルナは瞳を開けて辺りを見渡した。
『……真っ暗』
一寸の光もない闇。何も見えない其処は自分が何処にいるのかも分からない。それに何となく息苦しい。
「ルナ?そこにいンのか?」
その時、ルナの耳に聞こえた声。その声はとても近くに聞こえた気がしたのは気のせいか?
『中也?私はいるよ』
暗いその場所では中也もルナもお互いは見えていない。
『これ…私寝転がってる?』
「俺も体制がきちィ。どうなってやがんだ」
『あ、待って。コンタクト取ってみる。右目だけなら見えるかもしれない』
ルナは何とか腕を動かし、自身の右手に指を当てて右目のコンタクトを外す。そして、その血のような赤い右目を開いた。
『……なッ!』
そして、右目を開けたルナはこの館に入ってから初めて驚いた声を上げた。同時に一気に頰が熱を帯びたのを感じたルナ。
「どうしたルナ?何が見えんだ」
『……な、何も』
ルナが驚いたのは、中也の顔が目の前にあったから。
今の二人の体制。簡単に云えば仰向けに寝転がるルナの上に中也が馬乗りに覆い被さっている状態。そして、お互いの唇が触れ合いそうな程に近づいた二人の距離。
「あァ?嘘付け。先刻の声、明らかに何か見えたンだろ。云え」
『ちょっ、近い!近いから!』
「はあ?…痛っ!」
更に近づいて来ようとした中也の肩を手で押し返したルナ。押し返したと同時にゴンッと鈍い音が鳴り、中也が痛みに声を漏らす。
「ッ……な、ンなんだ」
『ごめん、大丈夫?』
「大丈夫な訳あるか!思いっ切り押し返しやがって。ったく、一体何処だ此処は」
中也は頭をぶつけた上を背中で押し返す。直ぐに背中に触れた固いもの。片足を後ろに手を前に伸ばしてみても同じように固い何かにぶつかった。
「何だ此処、何かに入ってのか?」
『箱の中かな……、狭いし』
「くそっ、ビクともしねぇ」
中也が力を込めて背中で上を押すが頑丈なそこは一ミリも動くことはない。
『(……顔が、近いんだよなぁ)』
唇に触れる中也の吐息。
それを感じる度にルナは唇をキュッと結び中也に気付かれぬように振る舞うが、それは中也が自分の体重を支えていた腕の力を抜いた瞬間に無意味に変わった。
『んっ』
「…っ!?」
触れた唇と唇。
そこに帯びる熱がお互いの唇に伝わってゆく。
中也は数秒思考を停止した後、自身の唇に触れる何かを理解した。
いつも重ねる度に伝わってくる温かな熱と柔らかい感触。その熱と感触は一度触れれば堪らなく欲しくなるもの。
故に、その触れたものは何か?
その答えは中也にとって簡単なものだった。
「…悪り」
唇を離したと同時に出た言葉。
俺は何を謝ってンだ、と心の中で疑問を零しながらも反射的に謝ってしまった。
『……だから、近いって云ったじゃん』
小さな声でそう呟いたルナ。そんなルナの言葉に反論しようと口を開いた時、中也は段々と暗闇に慣れてきた自身の目を恨んだ。
目の前にあるルナの顔が見えたからだ。
ゆらゆらと揺れるオッドアイの瞳は宝石のようで、ほんのりと赤く染まった頰に、恥ずかしそうにキュッと結ばれた桃色の唇。
暗闇の中に浮かぶ艶美の色が一層映え、触れる吐息と感じる熱が伝わってくる。
「…ルナ」
無意識に零した彼女の名が狭い空間にまるで波紋のように広がり、響いた。
視線が交われば、縫い止められた糸のように解けなくなる。
如何してだろう。
中也に名を呼ばれ、視線が絡み合っただけ。なのに、何故こんなにも心が動く。何故感情が溢れる。
ルナは自身の鳴り止まぬ心臓の鼓動に問うた。
何故、中也といるだけで感情が生まれるのだろうと。
お互い視線を交わしたまま時が止まる。
___ピチャン……
『……?』
だがその時、微かに聞こえてきた音に意識を動かされた。
体に帯びた熱が背中から感じた冷たさに消えいき、その冷たさが段々と大きくなってくるのを感じたルナが中也から視線をずらした。
「如何した?」
『…水』
「水?」
ルナが呟いた単語をそのまま返した中也は首を傾げたが、地面についていた手に感じた冷たさにその意味を理解した。
そして、視界に入った光景に額から冷や汗が伝うのを感じた。
何処からか溢れてくる水。それが流れ込んできて水が溜まり始めたのだ。
「おいおいおい嘘だろ!?」
この狭い空間の中。水が溜まるのは数分と掛からないだろう。そうなれば、呼吸する事は不可能。
水はどんどん流れ込んできて、ルナと中也の体が浸っていく。最初に体が全て水に浸ったのは中也の下いるルナ。
『っ!』
「ルナ!!」
中也は水に呑み込まれていくルナの頭を引き寄せた。だが、一刻も早く此処から脱出しなくてはものの数秒でルナも中也も水の中だ。
「チッ、くそっ!!」
水は、中也のその声と共に二人の体を呑み込んだ。