第十八章 過去と未来の交錯点




この摩訶不思議な事件は、組織内でも一部の者しか知らなかった為、変な噂が立つことも無く比較的平穏に幕を閉じた。そしてその夜、中也とルナは中也の部屋で今回の事件について語っていた。


「結局、あの時計を持ってた婆さんも無関係で、巡り巡って来ただけとはな。鏡の湖での事と云い、天才異能技師サマとその孫に振り回されっぱなしだな俺等」

『慥かに。何か因果があるのかもね』

「勘弁してくれ」


一件落着したはいいものの、記憶と体が過去に戻るという不思議な時間軸を過ごしていた中也とルナはまだ夢にでもいるような感覚だった。過去に戻っていた時の記憶は一切なく、互いが互いの幼少期と共に過ごしていたらしいが、一体どんな事を話して、どんな風に過ごしていたのだろうか。


ちらり、と中也はルナを見た。


ルナは鼻唄を歌いながら携帯を弄っている。何を見ているのかと画面を覗けばそこには自分に似た小さな子供が映っている。


「……何見てやがんだ」

『幼児化した中也だよ。可愛いでしょ』


顔を綻ばせて写真を見せてくるルナ。いつの間に撮っていたのか、既にルナの携帯の中には百を裕に超える程の中也が幼児化した時の写真があり、しっかりアルバムまで作られている。


「何で写真なんか撮ってんだよ」

『だって物凄く可愛いかったんだもん。もう見れないんだし、こんな貴重な機会を逃す訳ないじゃない。はー、ほんとに可愛いかったなミニ中也』

「……。」


幼い中也の寝顔写真にちゅっと口付けするルナに複雑な気持ちになる。こんな事に妬いてしまうのも如何かと思うが、それとは別に中也はルナに強く云えない理由があった。チラッと自身の携帯を見る。実はルナが幼児化した時に寝顔を隠し撮っていたなんて口が裂けても云えない。


「そう云や、幼児化した時のお前、全然起きなかったな」


ふと、中也が云った言葉に携帯を弄っていたルナの手が止まる。オッドアイの瞳がゆっくりと此方を向いた。


『それって、何歳くらいの時?』

「見た感じ3、4歳くらいだな」

『……そう』


ルナは携帯を閉じて机に置いた。空になったティーカップに新しい紅茶を注ぐ。何も云わずに注がれる水面を眺めているルナを中也は見据える。ルナはカップを手に取り、そっと一口紅茶を飲んだ。


『訊かないの?』

「何が?」

「中也が訊きたい事だよ。如何して目覚めなかったのか、って」

「訊いてもいいのか?」


それはルナの過去に繋がる問いだ。菊池ルナの過去は組織の中で機密事項だ。だから、幹部でさえルナの過去を知らない。それは恋人である中也も例外ではなかった。だから、今まで中也も詮索する事はなかった。


『私と中也って少し似ているよね』


ルナはカップを置きながら、ぽつりと呟いた。


『中也も荒覇吐の所為で過去の記憶を失くしてるでしょ。私も同じ。生まれた時の記憶なんてものはないの』


ルナは机に置いたカップの縁を指で撫で、揺れる水面に映る自分を見据えながら続けた。


『私の始まりはイヴで、それ以前の記憶はない』



何処で、如何やって生まれたのか。


何の為に生まれたのか。


初めての記憶がイヴのいた空間だった。


そして———————。



『憶えているのは、ずっと息のできない闇の中にいた事』


苦しみ、痛み。

それが絶え間なく与えられていた。


だけど、何も感じずにそこに存在していた。


『光なんて全くなかった…』

「ルナ?」


暗く沈んだオッドアイの瞳に光が戻り、中也に向けられた。ルナは自分が何を話していたのか判らなくなり、頭を振って頭のモヤを払う。


『えへへ、なーんてね。実際私も過去の自分なんて知らないからよく判んないや。幼児化した時に目覚めなかったのは、屹度中也の腕の中が気持ちよかったからだよ。ほら、私って中也の傍以外じゃ眠れないし』


さ、この話はお終いと手を叩いたルナ。シュークリームでも食べよと立ちあがろうとしたルナの手を引き、背後から抱き締めた。


「悪ィ。厭な事思い出せちまったな」

『…なんで、中也が謝るの』


中也の声がいつもより震えていた。何でそんな声で謝るのだろう。中也は少しも悪くないのに。本当は中也も知りたい事、聞きたい事が沢山ある筈だ。でも、屹度過去の事を中也に話したら悲しませる。だから、云わない。でも、ずっと一緒にいるのに話せない事があるのは少し悲しい。



「——————俺はお前の傍にいるからな」



その言葉に涙が溢れそうになった。中也はずっと支えてくれている。過去も昔も。屹度、この躰と記憶が過去に戻っていた時も過去の自分は感じていただろう。中也の優しさを。目が覚めなくても、意思がなくても、感情が乏しくても。ずっと中也の想いを感じていた筈だ。


『中也、ありがと』


ルナは振り返って中也にキスをした。
感謝と愛しさを込めて。



愛らしい接吻が口に落とされて、中也は少しむず痒い気持ちになった。頬を指で掻いて照れている中也の反応がいつもと違くてルナは首を傾げる。


『如何かしたの?』
 
「いや何か…お前からのキスは久し振りな気がしてな」


それは恐らく過去に戻っていたからだろう。数日間互いが過去に戻り過ごしていたから本来の姿と記憶を持つ二人がこうやって共に過ごすのは懐かしい。しかし、ルナは中也の言葉に疑念を持つ。


お前から・・・・?…てことは、キスはしてたんだ。過去の私と」

「は!?いやその…それは…だな」


ジトッとルナの視線が刺さる。何故か額からだらだらと汗が出た。明らかに挙動不審になった中也の反応に確信する。恐らく、否、これは絶対キスしていた。過去の自分への嫉妬心がルナの中で沸々と煮えたぎる。


『そっか。中也ってば過去の私とイチャイチャしてたんだ。ふーん。私に内緒でコソコソと』

「こ、コソコソなんてしてねぇよ。つか過去っつっても手前は手前だろ!妬くな自分に!」


中也から離れ、ソファに座る中也の前に仁王立ちになったルナは冷や汗をかく中也を更に問い詰める。


『何時の頃の私に手を出した訳?年齢によっては首領と同類だから』

「餓鬼の頃の手前には手を出してねぇよ!……16歳はセーフだよな」

『へぇ、16歳ね』

「あ」


中也が思わず滑らせた口をルナは聞き逃さなかった。16歳と云えば四年前だから、中也とルナは既に恋人同士だ。だから、キスをするのも可笑しな話ではない。恋仲なら雰囲気によってはキスくらいしてしまうだろう。そう雰囲気によっては……。


『…キスだけ?』

「あ?」

『16歳の私としたのは、キスだけ?』


まさかの問いに中也の喉が詰まる。答えはNOだ。キス以外に、セックスもした。だが、そんな事今のルナに云える筈もない。冷え切った瞳でこちらを見下ろしているルナ。まさに修羅場。まるで浮気の真偽を問い詰められている光景のようだ。


ダラダラと汗が流れる。


『若しかして、シたの?過去の私とえっち』

「……っ、わ、悪ィ」


もう云い逃れは出来ない。まさか過去のルナと致した事をルナ自身に咎められるとは思いもしなかった。ルナを悲しませただろうか。抑もこれは浮気になるのだろうか。否それが浮気であるかないかを決める権利はやってしまった中也にはない。


『ぷっ、ふふ』


もうどんな罰も受けると心に決めて頭を下げていた中也だが、頭上から吹き出したようなルナの笑い声が聞こえて来た。恐る恐る顔を上げればルナは口許を抑えて笑いを堪えていた。


『中也ったら、そんなこの世の終わりみたいな顔しちゃって、くふふ』

「怒ってねぇのか?」

『妬きはするけど、怒らないよ。だって、相手は過去の私だもの。怒りようがないじゃない。まあ、相手が何処の馬の骨かも判らない女なら話は別だけど』


絶対零度の眼光が光って身震いする。ルナ以外の女と関係を持つのは死んでも有り得ないが、もしそうなったら命はねぇな、と肝に銘じた。


『でも、そっか。中也も過去の私とシちゃったんだ』

「………“も”?」


ルナの言葉に今度は中也が眉を寄せた。ルナは中也が座るソファの前に屈み、てへ、と舌を出した。


『私も17歳の中也の童貞、奪っちゃった』


あまりにも衝撃的な発言に中也は目を見開いて固まる。口をあんぐり開けて放心状態の中也を見て、ルナは眉を下げ、赦しを乞う子犬のような瞳で中也を見上げる。


『過去の中也とシちゃって、中也は怒る?』

「怒ッ……っ」


怒れる訳ない。そんな上目遣いで云われてしまったら…ではなくて、自分も同じ事を過去のルナとしている手前、ルナを怒れる訳がない。


「怒らねぇよ。………滅茶苦茶妬くがな」

『えへへ』


ルナは何処か嬉しそうに微笑んだ。まさか互いが互いの過去の自分としていたとは思いもしなかったが、これでおあいこだろう。



中也はルナの手を引き寄せて、向かい合うように自分の膝の上に乗せる。そして、ルナの唇に口付けた。時間軸が違おうと互いの唇に触れていた筈なのに、何だか懐かしい。唇の柔らかさも、舌の感触も、熱を帯びた息遣いも。


『ん、んぅ、んっ』

「ん」


求めるように口付けを交わす。


名残惜しげに唇を離せば混ざり合った二人の唾液が舌を繋いだ。熱を帯びた青い瞳とオッドアイの瞳が交わる。


「ルナ、シてぇ」

『うん、私も』


中也の手がルナの服に手を掛けた。





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