第十八章 過去と未来の交錯点




カーテンから溢れる朝日の眩しさに中也は目を覚ました。


「(やべ…寝ちまった……)」


寝ぼけながらそんな事を思った。昨夜の情事後、眠るルナの横で彼女の寝顔を眺めていたらそのまま自分も眠ってしまったらしい。中也は欠伸を零して起き上がり、隣で眠るルナの顔を覗き込む。


「……戻ったのか?」


昨日の16歳のルナとは違う。本来の歳に戻りつつある姿。中也は眠るルナに手を伸ばして、その頬に触れる。長い睫毛が揺れ、ゆっくりとオッドアイの瞳が開かれた。


『————ん、中也?』


目を擦りながら起き上がったルナ。掛けていた布がパサリと落ちて白い裸体が露わになる。昨日より胸がでかい。昨夜の幼さの残る躰から変わり大人の女体だ。だが、元の姿より若干小さい気がする。


『如何したの?中也。私のおっぱいジロジロ見て。えっち』


ジーッと胸を凝視してくる中也を見てルナは自身の胸を腕で隠し、態とらしく口を尖らせた。


「ち、違えよ!確認してただけだ!」

『何の確認?変な中也。……て、なんで私、中也の部屋にいるんだろう。昨日は仕事で夜遅かったからイヴと寝た筈なのに』


腕を組んで頭を捻るルナ。如何やら昨夜の記憶はなく、恐らく本来のルナではない。18か19歳頃のルナだ。


「訳は今から話す。驚くなよ」


中也は16歳のルナにも話した内容、つまりこの事件について今の18歳のルナに話した。中也の話を聞いて目を丸くしたルナは自身の躰を不思議そうに眺める。


『ふーん。じゃあ、今の私の記憶と躰は過去に戻ってる状態なんだ。私にとっては未来にいる感覚だけど…』


信じ難い話であるが、此処で中也が嘘を吐く理由もないだろう。ルナはベッドから降りて仕事着に着替えていく中也を見やる。つまり、今の中也は未来の姿って事だ。ルナにとっては2年後の中也が今目の前にいる事になる。


『中也、2年経ってもあんまり変わらないね。身長が』

「喧嘩売ってんのか?」


中也はルナの失礼な発言に青筋を浮かべる。そんな中也を見てルナは可笑しそうに笑った。冗談を云うルナはなんだか久し振りで思わず中也は頬を緩ませた。


『でも、一体誰の異能なの?』

「判らねぇ。まだ俺達に異能をかけた犯人の出所を掴めてねぇからな」

『へぇ、厄介な相手なんだ』


ルナも着替える為ベッドから降りた。そこでふと気付く。


『そう云えば何で私裸なの?』

「………。」


ちらり、とルナは中也を見る。中也は目を逸らした。中也の顔にはダラダラと汗が流れている。昨夜の情事の事は省いて説明した。まさか16歳の処女であるルナを抱いたとは話せまい。頼むからそれ以上は聞くな、と心中で願いながら背を向けていれば『ま、いっか』という声が聞こえ、深掘りはされずに安堵した。


『私今夜の任務……あ、そっか私の今日は今日じゃないんだ。今何時だろ?』

「8時だな。取り敢えず首領の処行くぞ」

『うん。あれ?中也あの時計ズレてるよ』


ルナがベッドの脇に置いてある時計を指差す。指の先を辿るとそこには綺麗な装飾が施してある時計があった。一瞬何の時計だか判らなかったが、思い出した。慥か数週間前に階段から落ちそうになっていた老婦を助けた際にお礼として貰った物だ。


「またかよ。壊れてんだなコレ。この前針を巻き直したばっかで………」

『中也?』


時計の針を正常な時間に戻そうとした中也の手が止まる。時計を凝視したまま固まっている中也を不思議に思いルナは呼びかけるが、中也は目を見開いたまま手を震わせている。


『おーい、ちゅーやー?』

「この時計……そうだ…針が狂ってて、それで針を元に戻した。あの夜…俺が幼児化する前の夜に」

『………つまり?』

「……つまり」




***




「つまり、君達が過去の姿に戻っていたのはこの時計が原因であると」


首領執務室。森、紅葉、中也、ルナが机に置かれた時計を囲むように立ち、犯人と思われる時計を凝視した。


「この時計がのう。と云うと、これをお主に渡した老人が能力者の犯人かえ?」

「そこまでは判りませんが、慥かに俺が幼児化したと云う日がこの時計の針を弄った日である事は間違いないです。恐らくルナも幼児化する前この時計の針を動かしたんじゃないかと」


全員の視線がルナに向く。そんな目で見られても困るとルナは眉を下げる。こんな時計は見たこともないし、抑も記憶にある筈がない。


『知らないよ。今の私は過去の私なんだから』

「だろうな。だが、これだけ他に手掛かりが見つからない以上、今一番怪しいのはこの時計だ。調べてみる価値はあるだろ」

「そうじゃのう。一層の事、壊すと云う手もあるが、ルナに何か悪い影響があるかもしれんしのう」

「慥かにリスクを考えるならば荒技はしたくないねぇ。異能で作られた物を解除するには矢張り異能無効化か」


森のその言葉に中也が思い切り顔を顰めた。異能無効化と云えば一人しかいない。


「太宰の小僧に頼む心算かえ?あの小僧の事じゃ、見返りが大きくなるぞ」

「首領、あの野郎に頼るくらいなら俺が死に物狂いで別の方法を探します」


ギリギリと歯を鳴らしながら首を振る中也。紅葉の云う通り太宰に頼めば十倍、否、百倍の見返りを求められるに違いない。


三人の会話を聞いていたルナだが話についていけてなかった。当たり前のように出てきたその名前に違和感を持つ。そして、辿り着いた答えを問うた。


『……太宰、見つかったの?』


全員が口を閉じてルナを見た。何故ルナがそう問うたのか数秒して理解した。今のルナはニ年前のルナだ。太宰はポートマフィアを裏切って失踪し、姿をくらましていた。今のルナの記憶は太宰が消えた後のまま。武装探偵社として、ポートマフィアの敵として現れた事を今のルナは知らない。中也も紅葉もルナの問いに何と答えたらいいか判らなかった。だが、森だけは笑みを零したままルナの問いに答えた。


「嗚呼、見つけたよ。太宰君は今別の組織に所属している。また戻ってこないかと勧誘しているのだけれど、のらりくらりと躱されてしまってねぇ」

『…そう』


ルナは無表情に相槌を打った。それ以上ルナが太宰の事を聞くことも森が答える事もなかった。一瞬、形容し難い空気が森とルナの間で流れたが中也も紅葉もそれに触れないようにした。


「兎に角、あの老人を探してみます。何か手掛かりを持っているかもしれませんから」

「そうだね。そうしておくれ」

『面倒くさいしもう壊しちゃえば?よっと』

「は?……おい莫迦ッ手前!」


突然のルナの行動に中也は瞠目する。時計を手に取ったルナは何の躊躇いもなくそれを空中に投げた。そして、『壊して、イヴ』とルナが云った瞬間、ルナから出てきた影が獣の爪となり、その時計に爪を立てる。一瞬、時計が光を纏い防御を張った。だが、その防御を諸共せずにイヴの爪は時計を真っ二つ切り裂いた。



音を立てて割れた時計が床に落ちた。その瞬間、時計から漏れ出した異能の光がルナを包む。


「ルナ!」


光が止み、ルナの躰が蹌踉めく。中也はルナが倒れる前にその躰を抱き止めた。意識を失ったルナ。だが、先程と少し雰囲気が違う。それは見慣れた本来の姿。


『—————ん』


微かに瞼を震わせてオッドアイの瞳がゆっくりと開かれた。


「ルナ、大丈夫か?」

『…ちゅ、や…………中也!』


意識が覚醒しカッと目を見開いたルナは中也の顔を覗き見る。危うく額を強打する処だったが、そんな事はお構いなしにルナは中也を見つめた。


『中也戻ったの!?髪、いつも通り。目つきも、悪い!いつもの中也だ!そうでしょ!?』

「目つき悪いは余計ェだ莫迦。それに“戻った”はこっちの台詞だぜ」


中也の言葉にきょとんと目を丸くしたルナは辺りを見渡す。慥か昨夜は17歳の中也と過ごしていた筈。記憶も体も過去に戻っていた中也が寝ている間に変わっていく事を調べる為にあの夜は眠らずに中也を見張る筈だったのだが、今いる此処は首領執務室。此方を見ている森と紅葉。そして、普段通りの中也と、中也に抱き止められている自分。


『えっと……如何云う事?』


理解が追いつかずルナは首を傾げた。





***




『つまり、この時計が今までの犯人で、それを私が壊したから異能が解けた、と。二年前の私ナイスじゃん』

「ナイスじゃねぇよ。もっと慎重に行動しやがれ」

『でも、戻ったんだから結果オーライでしょ。もう中也ったら心配し過ぎだよ』

「結果論で語んな。もしも手前の身にもっとやばい事が起きたら如何する心算だったんだ」

「はいはい、君達。反省会は後にしておくれ。先ずはこの時計が何の為に作られたのか調べなくては」


森は手を叩き口論する二人を諌めた。もしマフィアを陥れる為に渡された物なら野放しにしておく訳にもいかないからだ。


『この時計の装飾…なんか見た事あるんだよね』

「それは本当かね?」


ルナは壊れた時計を手に取りジッと見据える。雑貨などに興味はないから記憶が曖昧だが、その時計から何となく感じる既視感にルナは首を傾げた。何処かの骨董屋で見たのだろうか。それとも首領の買い物の付き添い時に見かけただけなのか。


記憶を辿りながらルナは壊れた時計を眺めた。そしてふと、時計の裏の淵に何かが刻まれている事に気付く。これは人の名前だろうか。


『—————ルイス・キャロル』


その名にルナは目を見開く。


「ルイス・キャロル?…どっかで聞いた事ある名前だな」


聞き覚えのある名前に中也は記憶の糸を手繰り寄せたが、次にルナが呟いた名前に記憶の糸が全て繋がった。


『アリスのお祖父さんの名前』


アリス。鏡の中の世界に住んでいた少女の名。


以前、中也とルナが療養旅行で訪れた地で体験した摩訶不思議な世界。その不思議な国でアリスは一人生きていた。歳を取らず、永遠を約束された世界で独り生きていた彼女。そんな彼女の祖父が最愛の孫娘に与えた世界を展開していたのが、彼が作った鏡だ。死してなお彼の異能が込められたその鏡は彼女を彼女の異能から守り続けた。


そして、屹度この時計も。


『そっか。この時計もアリスを守る為に作られた物の一つなんだ』


この時計が彼女の手に渡る事はなかったが、屹度ルイス・キャロルが作った全ての作品には孫娘への愛が込められた物。天才異能技師が最愛の孫娘の為に作るその物は彼女への愛で満ち溢れている。もう彼女の手には決して届く事はないが、彼の作品はこの世界に残り続けているのだろう。まるで彼女の生きた証を刻んでいるように。


『首領、もうこれ以上調べる必要はないよ。マフィアに危害はない。私が保証する』


ルナは最期に見たアリスの幸せそうな笑顔を思い出しながら静かに云った。何処か寂しげで揺らぎのないオッドアイの瞳を見て森はそれ以上詮索する事はなかったが、小さく微笑んで「君に一任しよう」と呟いた。


こうして、摩訶不思議な事件は幕を閉じたのだった。




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