第十八章 過去と未来の交錯点
結局、あの捕虜の男は犯人ではなかった。ルナにかかった異能は解除できず終い。これで振り出しに戻り、手がかりも無くなってしまった。
浴室からシャワーの音が聞こえる。
頭から返り血を被ったルナをそのままにしておく訳にもいかず、部屋に戻り風呂に行かせた。ルナが上がるまで待っている間、中也の携帯に芥川から連絡が来た。敵組織の残党の殲滅が完了したらしい。
「他に怪しい異能力者はいなかったか?」
〈「はい。全て無能者の敗残兵です。数人捕虜として捕え拷問しましたが、有益な情報はありませぬ。これ以上奴等から手がかりを掴むのは困難かと」〉
「そうか。ご苦労だったな」
『中也、どれ着ればいい?』
——————バンッッ!!。
中也は持っていた携帯の画面を机に叩きつけた。芥川とは通話だけで此方側が見えない事は判っていたが、反射的に体が動いてしまった。
タオル一枚で出てきたルナをたとえ携帯越しでも見せる訳にはいかない。
〈「……中也さん?」〉
「奴等はもう用済みだ。適当に処理しろ。手前らも休め。じゃあな」
早口でそう云って中也は通話を切った。そして、箪笥から服を引っ張り出しそれをルナに渡す。
「これでも着とけ!」
『判った』
ルナは中也から服を受け取りそれに着替える。そこでふと中也は慌てて箪笥から引っ張り出した物が何だったかと疑問に思う。チラッとルナに視線を向ければ、ルナが来ていたのは自分のシャツだった。
「………。」
『何?』
「いや…」
咄嗟とは云えまるで自分の服を着せたみたいになった。だが、これはこれで唆られるものがある。湯上がりの色づいた彼女の肌に自分の服が触れてるこの状況……。
「わ、態とじゃねぇからな?」
『何が?』
赤くなった顔を片手で覆ってそう云った中也を不思議に思いルナは首を傾げた。
「そう云や、手前にかかっている異能を解くのはまだかかりそうだ。悪ィな」
『大丈夫。特に支障はない』
「それでも何かあったら俺に直ぐに云えよ」
ルナの頭をぽんぽんと優しく撫でた中也は「俺も風呂入ってくる」と浴室へ向かった。
部屋に一人残ったルナは視線を彷徨わせる。この部屋は中也が寝泊まりに使っている部屋で何回も来ている筈なのに、微かに記憶と違っている処がある。ルナは腰の高さ程の棚の前に立ち、そこにあった写真を手に取った。
写真に写っているのは、中也と彼の腕に抱きついて満面な笑顔を向ける女性。毛先が白銀の水浅葱色の髪で首には緑のマフラーを巻いている。それは紛れもなく自分。未来の自分の姿なのだ。
未来の自分はこんな風に笑うのかと不思議な気持ちだった。写真をそっと元にあった場所に置き、ルナは洗面所に駆け足で行く。そして、鏡に映る自分の姿を見た。
『……。』
顔の表情なんて気にした事がなかったが、あの写真に映る未来の自分と比べてみたら今の自分はまるで能面のようだ。ルナは鏡をジッと見据えながら両の人差し指で口角をくいっと上に上げてみた。不恰好な笑みができる。
『なんか違う』
もう少し上に上げてみる。やはり変な顔だ。
その時、浴室の扉が開いた。押し込められていた湯気が解放されたかのように部屋に流れる。濡れた髪を掻き上げて浴室から出てきた中也と目が合った。
「……何やってんだ?」
『どう?』
「何が?」
鏡の前で自身の口角をグイッと上げながら如何かと訊かれても答えようがない。一体ルナは何がしたいのか。中也は疑問に思いながら用意していたタオルを手に取った。
『……。』
ルナは鏡の前から離れて中也の近づき肌に触れる。突然の事に中也がビクッ肩を揺らした。そんな中也を他所にルナは中也の肌を指で撫でる。
「な、何してやがんだ手前は」
無言で体を触るルナ。触れる指先は冷んやりとしていて熱った体は敏感に反応する。中也は思わずルナの手を掴んだ。だが、ルナはジッと中也の体を見たまま『傷…』と呟く。ルナの視線の先にある自分の体を見やった。そこにあるのは傷跡だ。何時のものかは分からないが、傷はもうだいぶ薄くなっている。
「ただの傷跡だ。こんなの珍しくもねぇだろ」
『中也が傷付くのは…厭だ』
ルナの瞳が揺れた。その瞳を見て、思わず中也は掴んでいたルナの手を引き寄せる。そして、腕の中にルナを抱きしめた。
『中也?』
「ルナ」
中也はそのままルナに顔を近づける。唇が触れそうな距離まで近くなり、互いの吐息が唇に触れた。
「……。」
しかし、唇に触れる直前に中也は我に返った。二人の距離がそれ以上縮まる事はなく、中也はルナを回れ右させて浴室の扉を開けた。そして、「部屋戻ってろ」と浴室からルナを放り出してバダンと扉を閉める。
「……何やってんだ俺は」
浴室の扉に寄りかかりながら中也は自嘲した。ルナがあんな瞳をするものだから思わず口付けそうになった。いくら恋人とは云え今のルナは四年前のルナだ。記憶も躰も過去のルナに手を出すのはルナに悪い気がした。
「でも、ルナはルナだしな……いや矢っ張り駄目だろ餓鬼相手に」
中也はその場にしゃがみ込み謎の葛藤に自身の髪を掻きむしる。
あの頃は顔に感情が出にくかったルナだが、瞳を見れば判る。自分を思ってくれるあの瞳は変わらない。触れる指先も。白い肌も。
だから、如何しようもなくルナに触れたくなる。
「嗚呼、やべぇな」
———————抑えが効かなくなりそうだ。
