第十八章 過去と未来の交錯点



「お、大きくなっている……幼いルナちゃんが…私の可愛いルナちゃんが、10歳にも満たなかったあの天使のようなルナちゃんが……。頼むよルナちゃんそれ以上成長しないで!」

「いや首領、成長もなにも元々のルナは20歳です」


朝食を済ませ中也はルナを連れて首領執務室に向かった。案の定、森は自分の守備範囲を超えたルナを見て肩を落としている。ルナは無表情に泣きながら「昨日のルナちゃんに戻っておくれぇ」と縋っている森を見下ろす。何だ此奴という目で。


『首領離れて、うざい』

「嗚呼ッ、無表情に云い放つ冷たい言葉が懐かしい。慥かに16歳くらいのルナちゃんだ。これはこれでいいッ」

「……。」


何だこれは、と中也はルナと森のやり取りを遠い目で眺めた。


、、、、、。


***



中也は16歳のルナを連れて首領執務室を後にした。


流石にぶかぶかのTシャツのままでいさせる訳にもいかず、ルナを着替えさせたが、森が用意してくれた服は昔ルナが着ていた服だった。大き過ぎるのか片方の肩がずり落ちている黒いマントのような服。何故未だに森の部屋に保管されていたのかは触れないでおくが、手渡されたのが幼女用の服でなかったことだけはよかった。


しかし、服に違和感があるのかルナは何か探すように首元に触れた。


「如何かしたか?」

『…マフラーは何処?』

「嗚呼多分俺の部屋にある。取りに行くか?」


中也の問いにこくんと首を縦に振ったルナ。ルナがいつも着けているマフラーは昔中也があげたものだ。真冬の寒い日、季節関係なしに同じ格好だったルナに少しでも寒さを凌げるようにとあげたもの。それ以降、ルナはずっと大事にしてくれている。


中也はルナの頭を優しく撫でた。ルナは中也を見上げる。優しく微笑む中也の笑みは知っているようで知らないような不思議な感覚。それでも、その笑みが自分に向けられているとは思うと胸が擽ったかった。




***




——————太陽が落ちようとしている夕暮れ。


中也は執務室で溜まった仕事を片付けていた。ソファではルナが黙々とシュークリームを食べている。この頃のルナは既にシュークリームが好物で、飽きるのではないかと思う程大量のシュークリームを買い込んでいた。今でもそうだが。


中也は書類に筆を走らせながらルナを見る。無表情ながらも周りに花を飛ばしながらシュークリームを頬張る姿を見て頬を緩ませた。


その時、携帯が音を立てる。中也は筆を置き、携帯を取り出す。電話の相手は芥川だ。もしかしたら、この事件の犯人が見つかったのかもしれない。


「俺だ。何か進捗はあったか?」

「はい。例の敵対組織に怪しげな動きがあった為、鎮圧しました。その際、捕らえた捕虜が“時間を操る異能力者”であると報告が」

「時間を操るだと?……判った俺も出る。手前等はその場で待機してろ。逃すなよ」

「御意」


電話を切り中也は外套を羽織って立ち上がる。何処かに出かける支度をしている中也にルナはシュークリームを頬張りながら『ほほひふほ?』と問うた。


「俺とお前に異能をかけた犯人が見つかったかもしれねぇ。おやつタイム中で悪ィが、お前も来い」


もしも捕らえた奴がこの事件の犯人であればその場で解く方法があるかもしれない。中也は扉に向かい、振り返った。シュークリームの箱を抱えて後ろに立っていたルナと目が合った。


「………それは置いてけ」

『いや。車内で食べる』

「………溢すなよ」






***



中也はルナを連れて芥川がいる場所まで向かった。


中也とルナが到着する頃、芥川は遊撃部隊である部下達に後処理を任せ、捕虜だけ人の付かない場所に確保した。異能力で過去の姿になったルナを部下達に見せる訳にはいかないからだ。


「此奴がそうか?」

「はい」


拘束された男を見下ろす。見たことない男だ。事前に聞いた報告では此奴の異能が厄介で鎮圧に手こずったらしい。数日前に中也が相手をしていた組織の幹部格の連中には時間を操る異能者はいなかった。時間系の能力者は特殊だ。その特殊さ故に隠していたのか。組織が成り立たなくなり、残党となって出てきてのかもしれない。


「時間を操る能力だったか。それは対象者の体と記憶を過去に戻せるのか?」

「誰が…答えるものか…」


中也は男の肩を踏みつける。骨が砕かれた鈍い音と男の絶叫がその場に響いた。痛みに呻く男を中也は冷たい視線で見下ろした。


「自分の置かれてる状況が判ってねぇようだな」

「ッ、た、たとえ体中の骨が折れようとも貴様等に話すことなど何もない!」

「……。」


中也は舌打ちを溢して踵を返した。精神力の強い者はいくら拷問しても簡単には口を開かない。痛みだけでなく自白剤を打った方が速そうだと中也は芥川に捕虜を連行するように伝えた。


『私がやる?』

「否、いい。拷問班に任せる。奴が犯人なら殺した方が疾ぇかもしれねぇが、お前の躰に何が起こるか判らねぇからな」


中也はルナの頭を撫でる。此処で異能者を殺して異能を解除する手もあるが、リスクは最小限にした方がいい。だから、完全にルナにかかった異能が解けてから始末した方が得策だろう。


「……お前達…冥土の土産を持って行くからな…」


捕虜が何かを呟いた途端、その場に異能の光が現れた。中也は目を見開いて振り返る。隠し刃で手首に巻かれた縄を切った捕虜の男が、その刃を此方に向けて突進してくるのと光が辺りを覆ったのが同時だった。



その場にいた中也、ルナ、芥川の動きが止まった。否、動きが止まったのではない。彼等の時間が止まったのだ。


その中で動けるのは彼等の時間を止めた捕虜の男だけ。彼の異能は自分の半径数米にいる人物の時間を止める事ができる能力。


男は中也目掛けて刃を振り上げたが、異能を使う直前に中也を庇うようにルナが前に飛び出した。フードが外れ水浅葱色の髪を露にして懐から短刀を取り出した処で動きが止まっている。


「こんな少女までマフィアの犬なのか」


まだ子供だ。これからの未来ある子供。だが、マフィアを守ったという事はこの少女もマフィアなのだろう。何て残酷な世の中なのか。だが、その世の中で自分も闇社会の住人。相手が子供だからとこの手を躊躇ってはいけない。自分だけが動ける時間の中で男は覚悟を決めて、刃を振り下ろす。


しかし、突然目の前から湧き出た黒い影が巨大な獣の爪となり男の全身を切り裂いた。


「……な」


中也は目を見張る。視界には血と肉塊が降り注いでいた。そして、その真下にいたルナがその赤い雨に打たれている。


一体何が起こったのだろうか。


恐らくだが捕虜の男が異能を使った。そして、気付いたら男はおらず、原型を留めていない肉塊と化していた。


こんな殺し方が出来るのは———————。


「……ルナ、今何があった?」

『多分…私達の時間を止められた。でも、イヴには意味のない事』


ルナは血を浴びた手で胸に手を添える。ルナ以外の他人がイヴに干渉する事はできない。何故ならイヴがいる次元は全くの別物だからだ。現実の時間軸を弄ってもイヴには影響を齎さない。


故に自分の時間が止められる直前ルナはイヴに命じた。“中也が傷付く前に殺せ”と。捕虜の男がどんな異能を使うか判らなかったが、回避できたのはルナの中にある戦闘の勘だろう。その勘とイヴの力で中也が傷付くのを未然に防げた。ルナはそれに安堵した。


「あの野郎は犯人じゃねぇのか。ルナは元に戻らねぇし。あの異能じゃ体や記憶を過去に戻す事は出来ねぇだろ」


無駄足だったぜ、と溜息を吐いた中也は返り血だらけのルナに視線をやった。頭から血を被ったルナをこのままにしておく訳にもいかない。この場は芥川に任せて、中也はルナを連れて拠点に戻る事にした。








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