第十八章 過去と未来の交錯点
——————眩しい。
カーテンの隙間から陽の光が照りつける。その眩しさに眉を顰めて、中也は寝返りを打った。まだ寝ぼけている頭で昨夜の事を思い出す。昨夜はルナを抱いた。それから———————。
中也は隣を見る。ルナの姿はない。手を伸ばしてルナが寝ていたであろうシーツの上を触ってみたが、そこには既に温もりはなく、冷んやりとしていた。
「先……起きたのか…」
酷く頭がぼーっとする。まるで長いこと眠っていたみたいな感覚だが、時間的にはいつも通りの起床時間だ。中也は上体を起こして欠伸を溢しながらボサボサの頭を掻いた。寝台の側にあった服に手を伸ばそうとした時、ふと中也は気づく。
「………あ?」
足元に何かがいる。
それは白い布に隠れて正体が判らなかったが、慥かに何かいる。小山ができたそこを訝しげに見て、中也はそっと手を伸ばし、布を取り払った。
「……………………は?…は?」
そこには、ルナそっくりな小さな幼女がいた。
「はぁぁぁぁぁあ!?」
中也はそう叫び。何が起こっているのか理解できないまま急いで服を着て、シーツごとその幼女を抱き上げる。そして、部屋を飛び出して、急いで拠点の最上階へと向かった。
「あれ中也さん?今日は幾つの」
「悪ィ!今は話してる暇はねぇ!」
廊下ですれ違った樋口を無視して中也は階段を駆け上がる。慌てて走り去る中也の後ろ姿を見届けて、樋口は隣にいた芥川と目を合わせた。
「今の中也さん、本来の姿に見えましたけど…」
「………。」
芥川は何も云わずに歩き出す。一瞬だけ見えた中也の腕に抱かれていたもの。もしあれが予想したものだとしたら、まだまだこの不可解な事件には手を焼きそうだと芥川は樋口に聞かれないように溜息を吐いた。
最上階に辿り着いた中也は扉の前で急ブレーキをかけて、一つ息を吐き出した後に扉を叩音する。
「ぼ、首領!中原です」
「入っていいよ」
中也は扉を開けて、部屋に視線を配る。窓の側で紅葉と話をしていた森がこちらに視線を向けた。
「おや、今日は幾つの中也君かね?」
「幾つ?何の事でしょう?それより首領!大変なことが…」
駆け足で側に行き、中也は腕に抱いていた小さな幼女を森と紅葉に見せる。二人は目を丸くして、眠るその子を見据えた。
「朝起きたらルナが赤ん坊になってました。…いや…ルナなのか判りませんが……」
「お主の次はルナが幼児化したのかえ」
「は?俺の次ってどういう意味ですか?姐さん」
紅葉の云っている意味が判らず首を傾げた中也。紅葉は森に視線を向け、ここ数日の摩訶不思議な出来事を説明するように目で促した。しかし、森は何故か椅子から立ち上がり、無言で中也の目の前に立つ。そして、とても冷たい瞳で見下ろした。中也の背中に冷や汗が流れる。
「中也君、ルナちゃんを此方に」
「え…は、はい」
差し出された手に小さくなったルナを渡した。困惑する中也を見兼ねて、紅葉が話を促す。
「鴎外殿、中也に説明しなくていいのかえ」
「か………」
ルナを抱き上げる森の手が震えている。腕の中で眠る小さなルナ。その姿に森の昂りは最上級になった。
「可愛いぃぃぃぃ!!なんて愛らしいんだルナちゃん!こんな、こんな、小さく愛くるしくなって!愛い!一生このままでいておくれ!!」
首領執務にそんな森の絶叫が響き渡った。
自分の守備範囲になったルナに大興奮している森に紅葉が頭を抱える。訳の判らない状況に中也はただ混乱するしかなかった。
***
「つまり、俺はこの数日間記憶も体も過去の俺になっていて、そして戻ったと思ったら、今度はルナが幼児化したと」
「そう云う事じゃ。問題は過去の姿に戻る原因が未だ判らぬことじゃ。中也と接触した敵異能力者の仕業かと思っていたが、中也に続いてルナもとなると他の原因を調査すべきじゃな」
事のあらましを紅葉に聞いた中也だが、未だに信じられない。昨日までの自分は18歳、その前は12歳、その更に前は3歳。自身の記憶は四日前で止まっており、その空白の間に過去の自分になっていたと云う。そして、その間の記憶は一切残っていない。
「本当に何も覚えておらんのかえ?」
「覚えてないですね。俺の記憶は昨夜ルナを抱い………ンンッ、ルナとゆっくり過ごしたところまでなんで」
「お主の昨夜は四日前の事じゃろ。朝、ルナが素っ裸で赤ん坊のお主を抱えて此処に飛び込んできたわ。子供を産んだと騒ぎながらのう」
「裸?産む?…何やってんだ彼奴」
幾ら一大事だとはいえ首領執務室に裸で訪れる者などどんな神経をしているのか。否、ルナならやりかねないが。
しかし、悠長にしてはいられない。これ以上被害を出さない為にも疾くこの事件を解決しなくては。
「ちょっとリンタロウ!いつまでルナを独り占めしてるの!私にも抱っこさせて!」
「いくらエリスちゃんの頼みでも訊けないなぁ。こんな愛らしいルナちゃんを拝めるなんて奇跡なんだから!今日一日、否ルナちゃんがこの姿の間は私にお世話をさせておくれ!」
被害…になってるのかと訊かれたら判らないが、取り敢えず無防備な赤子の姿であるルナをこのままにしておく訳にはいかない。
「俺は外に出て調べてきます」
「待て中也、お主はルナの傍にいてやれ」
紅葉はそう云って立ち上がり、締まりのない顔で眠るルナを愛でている森に近付く。そして、森の手からルナを取り上げた。森が嗚呼ッと残念そうに紅葉に取られたルナに手を伸ばすが、紅葉はそんな森を呆れた目で見やり溜息を吐いた。そして、小さくなったルナに視線を落とす。
「愛いのう」
紅葉は目を細めて腕の中で眠るルナを見つめた。こんなにも小さく幼いルナ。その愛らしい姿を目に焼き付けて、紅葉は眠るルナを中也に渡した。
「ルナは幼児化したお主をずっと傍で守っておったぞ。今度はお主の番じゃ。それにルナも中也の腕の中が一番安心するじゃろ」
「紅葉君、その役目私じゃ駄目かね?」
「もういい加減にせぇ鴎外殿」
目を吊り上げて叱咤する紅葉と肩を落とす森を視界の端に中也は腕の中にいる幼いルナを見やる。
ルナの幼い頃の姿を中也は知らない。中也はそっとルナの髪に触れる。水浅葱色の髪は今と変わらず柔らかい。けれど、顔つきはとても幼く、躰は羽のように軽い。少し力を入れたら壊れてしまいそうな程に小さいルナを中也は優しく抱き締めた。
