第十八章 過去と未来の交錯点



「—————…ん」



鳥の囀りが聞こえる。


部屋にはカーテンから溢れる朝日が光のシャワーのように入っていた。そして、中也は白い寝台の上で目を覚ました。


ぼーっとする頭で辺りを見渡した。視界には部屋の天井が見える。慥か昨日は拠点の自室に泊まった筈だが、あまりはっきり覚えていない。何故か記憶が朧げだ。



中也は上体を起こし、欠伸を溢しながら短い髪を掻いた。だが、視線がある一点で止まる。思考が停止。


「……………は?」


自身の隣ですよすよと眠っている女。見慣れた水浅葱色の髪だが何か違う。その髪は中也の記憶の中より長く、体付きも違う。云うならば大人の女性だ。


「……は?……は?……ルナ…だよな?」


中也は疑問に思いながらも記憶の中と違う大人びた雰囲気の彼女に手を伸ばす。その瞬間、閉じられていた瞼が開いた。中也は咄嗟に手を引っ込める。


『あれ…中也、起きたの?……もしかして戻った?』


眠気目を擦りながらルナが起き上がる。固まったまま此方を凝視している中也を見やり、ルナはジーッと凝視し返した。昨日より成長している。普段の中也より髪は短く、少し顔に幼さが残るが、子供には見えない。けれど、ルナの記憶の中にある姿。17、18歳と云った処だろうか。


『はぁ、まだ戻ってないか。これは本格的に原因を調査しなきゃ駄目かな』

「……お前、ルナだよな?」

『あ、よかった。私の記憶はあるんだ』


意味が判らない事を云うルナに中也は困惑する。否、どちらかと云うと戸惑っているのはルナの姿の方だ。


そんな中也の戸惑いを感じ取り、ルナはこれまで起こっている摩訶不思議な出来事を中也に伝える。昨日と違って今日の中也はマフィアに加入した後の頃だから話が進みやすかった。


「つまり、俺は何らかの原因で体も記憶も過去に戻ってるって事か……」

『うん、そう。異能力の所為だとは思うんだけど、誰の異能かは判らないから調査に行き詰っているみたい。まあ日常生活には特段困る事もないし、寧ろ小さい頃の可愛い中也が見れてラッキーって感じ』


ほんとミニ中也可愛かったなぁと頬を緩ませるルナだが、その後に、敵意向けられて突き離されたのは辛かったけどと落ち込み始めた。


そんなルナの様子には矢張り戸惑う。事の経緯は判ったが、どうも慣れない。中也の知るルナはこんな風にコロコロと表情を変えたりしない。いつも無表情で、偶に小さく笑みを溢すだけ。未来のルナがこんな風になるだなんて、想像が出来なかった。


『如何したの?中也』


だが、悪くない。無償に向けられるその朗らかな笑みを見るとそんな気分になり、心が少し擽ったかった。




***



朝の身支度を整えてからルナと中也は森に報告する為、拠点に向かった。首領執務室には紅葉も居た。中也を見た紅葉は幼児の姿だった時の中也より成長していた為元に戻ったかと思ったらしいが、残念なことに未だ戻っておらず、今の姿は18歳だと説明した。


「一日おきに変化するのかねぇ。最初は幼児でその後は10歳くらいの子供、そして次は18歳。となると、次くらいに本来の中也君の年齢に戻るのか」

「そうじゃのう。このまま何事もなく無事に戻ればよいが、実年齢を飛ばして老いていく可能性もあるぞ」

『え、それは大変。一寸見たい気もするけど、ヨボヨボのお爺ちゃんになったら動けなくなっちゃうよ。あ、でも安心してね中也、介護はしっかりしてあげるから』

「……いや、マジでそうなったら困る。頼むから疾く原因を探してくれ」


冗談なのか本気なのか判らないルナの発言に中也は顔を引き攣らせる。森も紅葉も如何したものかと腕を組む。原因調査は行なっているが、未だに解決の糸口が見つからない。当の本人が本来の記憶を持っていないのでは、手掛かりが少な過ぎる。


『まあ現状判った事は寝ている間に変化するみたいだから、私今日の夜は寝ないで中也を見張ってるよ』

「そうだね。この件は引き続きルナちゃんに任せよう。中也君も何か体や記憶に違和感を感じたら、些細な事でも伝えるように。いいね?」

「は、はい」


中也の記憶の中の森と今の森は然程変わらないように見える。紅葉も変わらない。やはり一番見慣れないのはルナだ。『夜まで如何しよっかなー。街に出てデェトしてー。シュークリーム買いに行ってー』とぶつぶつと独り言を呟いている能天気なルナを横目に中也は慣れない感じに小さく息を吐いた。



***


その後、ほぼ一日中ルナに手を引かれながら街の至る所を連れ回された。


見慣れた場所の筈なのに何処か違って見える不思議な感覚に戸惑いながら、楽しそうにはしゃぎ回るルナから目が離せなかった。


『んー!遊んだ遊んだ!楽しかったねデェト』

「お、おう」


夕焼けが差す道。


今日一日中也とデェト出来た事にご機嫌なルナは鼻歌を歌いながら隣に並び、中也の腕を組む。思わず抱き付かれた腕に緊張が走るとそれを感じ取ったルナが中也を見上げた。


『中也なんか強張ってるよ?……やっぱり今の私に慣れない?』


何処か寂しそうな声に中也はハッとして首を振ろうとしたが、するっとルナが腕から離れて前を歩き出す。


『まあそうだよね。昔の私と今の私は全然違うって皆云うもの。中也が戸惑うのも無理はないよ』

「戸惑ってるっつーか…なんか不思議な感覚だ。俺の知ってるお前は殆ど喋らねぇし、感情を出すのが苦手だからな。だが、今のお前はずっと笑顔で楽しそうだ」

『それは中也のおかげだよ』


ルナは振り返り、夕日が照らす中也の顔を見つめて微笑んだ。


『中也が私に色んな感情を教えてくれたから今の私があるの。中也が傍にいると安心して、離れていると寂しくて、中也が傷つくと苦しくて悲しくて、中也が笑ってくれると私も嬉しい』


中也が沢山の感情を芽吹かせてくれた。そして、今の自分がある。何も感じなかったあの頃より、中也を大好きと思う今の自分であり続けたい。


『中也が私に笑顔や愛しさを教えてくれたんだよ』


ルナの花ような笑顔に中也の胸が大きく脈打つ。


自分の記憶にあるルナが時折見せる笑顔が、今のルナの笑顔と重なった。


鼓動が疾くなり、顔も赤くなる。今が夕暮れでよかった。夕陽の光がこの顔の赤さを隠してくれたから。




***



「お前、本当に寝ないつもりか?」


拠点にある中也の部屋で就寝の準備をする。とは云っても中也の体の変化が寝ている間に起こる可能性が高い為、ルナにはそれを見張る仕事が残っていた。


『うん。この摩訶不思議な事件を解決する糸口になるかもしれないでしょ?だから、中也は気にせず眠って』

「そう云われてもな…」


寝台に仰向けになりながら中也はルナを見た。寝台に両肘を置いてニコニコと笑顔で此方を眺めているルナ。そんなに見つめられていたら寝るにも寝れない。


まさか一日中そうしているつもりなのだろうか。昔からルナは睡眠を取らなくても大丈夫な体質だから、一晩眠らずに見張ることなんて余裕だとは思うが、そんなルナの手前、此処で自分がすやすやと眠れる筈もない。


中也は寝台から上体を起こした。


『如何したの?眠れないの?子守唄でも歌ってあげようか』

「いや……。そうやって見られてると落ち着かねぇんだよ」


そんな事云われても、とルナは腕を組む。部屋の外にいてもいいが、出入りの際に気配で中也が起きてしまう可能性もある。かと云って寝台から離れた処にいても同じ事だろう。中也は何かいい案はないかと頭を捻らせているルナに視線をやり、そして、寝台のスペースを一人分空ける。


「お前も入れ」

『え、添い寝ってこと?』

「い、厭なら、俺が床で寝る」


顔を赤くして寝台から出ようとした中也の腕をルナが掴む。ルナはそのまま寝台に入り、中也の横に寝転がった。


『えへへ、中也からそう云ってくれるなんて。嬉しい』


少し不安だった。本来の中也に近づきつつある姿だが、今の中也は四年前の中也。中也の記憶にある自分は今の自分とは違うから、中也が少し距離を空けていたのに気付いていた。


昨日の中也も一昨日の中也もルナの事を知らなかった。まだマフィアに入る前の、“羊”のリーダーだった時の中也は特にルナに敵意を向けていた。それがとても辛かった。たとえ記憶がなくて、あの頃は敵同士の組織にいたとしても、中也が敵意を向けてきたのは迚も苦しくて、耐えられなかった。


それは仕方ない事なのに、悲しかったんだ。



「…ルナ?」


中也は急に黙ったルナに呼びかけた。オッドアイの瞳が寂しげに揺れていているのに気づいて、何か云おうと口を開いだが、それを遮るようにルナは中也の服を引っ張った。


『中也、抱きしめて』


温もりを感じさせて欲しい。


不安に揺れるルナの瞳を見つめる。中也は何も云わずに寝台に寝転がり、ルナの躰を抱き寄せた。ルナの躰はとても華奢で小さい。記憶の中にあるルナより背も伸びている筈なのに、その躰は腕に収まるくらいに小さく、あまりにも儚かった。


『中也はいつも温かいね』


この温もりは変わらない。この温もりに包まれると心から安心する。ルナは中也に縋るように背中に手を回し、ぎゅっと抱きしめ返した。


「ッ」


躰が密着した事でルナの肌の柔らかさが伝わり、胸の膨らみが当たる。それにどきりと心臓を鳴らした中也は、思わずルナの肩を掴んで離させた。突然の中也の行動にルナがきょとんと目を丸くする。


「あ、あんま…ひっつくな…」

『……ぇ』

「いや違ぇよ!厭とかじゃねぇからな!」


あまりのショックに顔を絶望させたルナに誤解されないよう慌てて弁解する。そうじゃなくてだな、と襟足を掻いた中也は顔を赤くしたまま視線を逸らした。


「お前の…む、胸が当たって…だな」


耳まで赤くした中也が云った言葉にルナはまたも目を丸くする。抱きしめ合った時に胸が当たるなど仕方ないだろうに。ルナは特に気にした事などなかったが、若しかしたらこのお年頃の中也には慣れないものなのかもしれない。そのあまりにも可愛い初な姿にルナはきゅーんと胸を高鳴らせる。


『ねぇ、中也は過去の私と何処までしてるの?』


中也にずいっと顔を近づけたルナ。その質問に、何処までって何だ?と視線を逸らそうとした中也に負けじとルナは詰め寄る。


『もうキスはした?』

「何なんだよ…その質問は…」

『いいから答えて』

「…そりゃ…付き合ってんだから……するだろ」


ルナの記憶が正しければ中也と初めてキスをしたのは五年前だ。今目の前にいる中也の年齢が18歳となると、既に恋仲である。あの頃のルナは何をするのにも恋人同士の行為にどんな意味があるのか知らなかった。でも、今は違う。


『じゃあ、えっちはした?』


ルナのその問いに中也の顔が真っ赤になり、何も云わずに視線を逸らした。それが答えだろう。そんな中也を見てルナの胸によからぬ劣情が湧く。


『(————嗚呼、やっぱりこの心は異常だ)』


過去の自分にすら嫉妬する。


中也の全てを自分のものにしたくて堪らない。


その青い瞳に過去の姿を重ねないで、今目の前にいる“私”を見てほしい。


『————中也』


ルナは中也に顔を近づける。そして、そのまま唇を重ねた。驚いた中也が一度頭を引こうとしたが、それをさせないように中也の上に馬乗りになり、深く口付けた。


中也の心臓の音が聞こえる。


重ねていた唇をゆっくりと離す。肩にかかっていた髪とワンピースの紐が肩から落ちた。



『中也、シよっか』





9/16ページ
いいね!