第十八章 過去と未来の交錯点



『……若しかして眠い?』

「…ね…ねむく…ねぇ」


ルナは腕の中でこく、こくと小さく頭を揺らすミニ中也を見つめる。


時間はあっという間に過ぎるもの。時刻は夕方。ルナは中也の部屋でエリス嬢から借りた童話の絵本をミニ中也に読んであげていた。絵本の内容にミニ中也はあまり興味なさそうだったが、ルナもルナで子どもに読み聞かせなどやった事がない為、ほぼ棒読みで5分もしない内に一冊を読み終わる。


本の読み聞かせはお世辞にも上手いとは云えなかったが、ルナの膝の上は柔らかくて温かく、耳に入る声は心地よい。幼児化した中也の眠りを誘うのは十分だった。それでも強がるミニ中也は譫言のように眠くないと云い張る。


ルナは絵本を机に起き、揺れるミニ中也の頭をそっと撫でる。これはもう寝るなと思い、そっとミニ中也を抱き上げ、寝台に向かう。そこにミニ中也を寝かせて、体が冷えないように上掛けをかけてやった。


『ふふ、一段とベッドが大きく見える』


中也とルナが二人で寝ても余裕がある寝台だ。そんな寝台に小さな子供が寝るとその大きさがより引き立つ。


「ねむく、なんか……ねぇ」

『我慢することなんてないのに』


何故こんなにも寝るのを躊躇うのか。子供は寝て育つと何処かの本に書いてあった気がする。『寝ないと大きくならないぞ〜』と元の中也に云ったら確実に怒る事を云えばミニ中也は「おれはしょうらいでかくなるんだ」と拗ねる。


『はいはい、大きくならなくても中也は素敵な男性になるよ。だから、今はゆっくりおやすみ』


小さな額に優しい接吻が降り落ちる。愛おしむように中也を見つめるルナの瞳。その優しい微笑みは無償の愛をくれる女神様のようで幼い中也の心を燻った。


「……ルナ…おれ…は…おまえが…」


夢の中に落ちる。


小さな寝息を立てて眠るミニ中也の髪をそっと撫でてルナは顔を綻ばせた。


『寝顔可愛い。でも、普段の中也も寝顔は可愛いからな。寝顔って大人になっても変わらないものなのかな』


ずっとこの愛しい寝顔を見ていたい。だが、今日は生憎と首領の護衛の任務がある。首領専属護衛の仕事を放り出す訳にもいかない。しかし、戦闘能力のない幼児化した中也を一人にする訳にもいかない為ちゃんとミニ中也の護衛はつけなくては。


『と云う事で、よろしくね龍ちゃん』


中也が寝ている部屋の扉前に立って護衛して貰うのを芥川に任せる事にした。彼は今の中也の状況を知る数少ない一人でもあるから一番の適任だ。


『まだ中也が幼児化した原因は見つからなさそう?』

「今のところ有益な手掛かりはありませぬ。調査の続きは樋口に任せてあります故」

『そう。あんな可愛い中也が見れてラッキーだけど、体に悪い影響があったら困るからね。引き続き宜しくね』

「御意」


中也の事は芥川に任せて、ルナは最上階に向かう。途中で催促するように森から電話が掛かってきたが『今すぐ行くから』と早口で答え、後髪を引かれる思いで仕事に向かった。



***




結局全ての仕事を終えたのは次の日の朝方だった。


折角愛くるしいミニ中也がいると云うのに一緒にいれたのは半日程度。今日こそはあの可愛さを堪能するんだとルナは首領に休みを打診した。


鼻歌を歌いながら中也が寝ている部屋に向かう。扉の前には護衛役の樋口がいた。ルナの存在に気付くと「おはようございます」と会釈した。


『おはよ。龍ちゃんと交代?』

「はい、芥川先輩は仮眠をとっています」

『そっか。今日はもう護衛はいいよ。私一日休みとって中也のお世話する事にしたから。樋口ちゃん達は引き続き中也の幼児化の原因調査をよろしく』

「了解です」


敬礼をする樋口の横を通ってルナは扉を開ける。部屋の奥に進み、寝室に辿り着いた時、目を見開いた。


風に揺れるカーテン。
開け放たれた窓。
誰もいない寝台。


『ぎゃぁぁぁぁぁあ!!!私の可愛いミニ中也がいないィィィ!!!』


拠点内にそんなルナの叫び声が響き渡った。


シーツをひっくり返す。

『いない!』

寝台を持ち上げる。

『いない!』

箪笥を漁る。

『いない!』

ティーポットの蓋を開ける。

『いない!』


ルナの目尻に涙が溜まる。


『いないいない!私の可愛い中也ぁぁぁ』

「ど、如何したんですか!?ルナさん」


部屋から聞こえた叫び声に樋口は慌てて床に崩れ落ちているルナに駆け寄る。ルナはポロポロと涙を流しながら樋口の脚にしがみついた。


『私の可愛いミニ中也がいないの!何処を探してもこの中を探してもいないの!』

「幾ら中也さんが小さくなったとはいえ流石にティーポットには入らないと思いますよ…。ですが、一体何処へ。芥川先輩と交代で護衛してましたから扉から出たと考えにくいですが…」


そう考えると窓か、と樋口は大きく空いている窓に視線をやる。


『まさか……誘拐されたんじゃ….』


ルナが顔面を蒼白させてそう呟いたが、誘拐の可能性は低い。この部屋は五大幹部が寝泊まりする部屋。防御体制は整っている。あの窓でさえ、並の銃弾では傷ひとつつかない防弾ガラスだ。それに扉の前には護衛もいた。そう簡単に誘拐される筈がない。


『そうよ…あまりにの可愛さに誘拐されたんだ…』

「ルナさん?一旦落ち着きましょ?」


どんどん声が低くなるルナに樋口は冷や汗を垂らす。ルナからゆらゆらと殺気が溢れ、コンタクト越しの赤い瞳が光った。


『赦さない。中也を拐かした奴等は皆殺しにする』


もうこの人を止められない、と樋口は思った。ルナは中也の事になると我を忘れてしまう。殺気立って今にも窓から飛び出そうとしたが、携帯が音を立てた。電話の相手は森からだ。


『首領大変!ミニ中也が誘拐された!私今から助けに』

「嗚呼その事だが、部下から中也君を見かけたという連絡があってねぇ。如何やら中也君は自ら拠点内を出たようだよ」


森のその言葉にルナは、は?と首を傾げる。年端もいかない幼児が部屋の扉を使わずに如何やって部屋を出たというのか。窓から飛び降りたとでも?異能を使える中也ならあり得る話だが、幼児化した中也には無理だ。


『首領何云ってんの?異能も使えない、抱っこしてないと直ぐに歩き疲れちゃうような幼児が一人で拠点内から出る訳…』

「それが、幼児の姿ではなかったようだ」

『…え、如何いう事?』

「目撃した部下は中也君が幼児化した事を知らないが、中也君だと認識できた。しかし、彼の証言では“いつもより何処か幼かった。まるで少年のように。”との事だ」


少年。幼児ではなく、本来の姿でもなく、少年の姿。その部下の証言が本当だとしたら一体何が起こっているのだろうか。兎に角今此処で考えていても埒が開かない。


『取り敢えず、中也を探すよ。また後でかける』


ルナはそう云って電話を切る。誘拐でなくてよかったが、こんな不安定な中也を1人にさせる事はできない。


「ルナさん、中也さんは…」

『誘拐された訳じゃないみたい。でも、疾く連れ戻そう。樋口ちゃんも一緒に来て』

「中也さんの居場所が判るのですか?」


迷いのない足取りで部屋を出るルナに樋口はそう問う。振り返ったルナの手にはタブレットがあった。画面には横浜の地図と赤い点滅が表示されている。


『こんな事もあろうかと中也の体にGPSつけといたから』


にこり、と笑顔でそう云ったルナに樋口を口元を引き攣らせた。





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