第十七章 暗夜に告げる黎明の奏で




「さあ如何する?“雷光”さん。ルナにかかっていた懸賞金はなくなったよ。賞金首狩に参加した連中も引き始めてる。先程の貴方の言葉が慥かなら、ルナを殺す理由はなくなった筈だ」


太宰は“雷光”を見下ろしながら笑みを浮かべた。まるで“雷光”の真意を煽るような物言い。“雷光”は無言で拳を握り締めた。


「虚言を重ねてまで自身の矜持を守りたいみたいだね。否、これは貴方にあるその矜持が強すぎる故の結末かな。ルナを殺せば貴方は貴方の望みを叶えられる」

「望み…」

「嗚呼そうさ。だって、ルナがいなければ……

——————貴方が首領専属護衛になる筈だったんだから」


場の空気が一気に凍りつく。中也は太宰のその言葉を聞き、は?と眉を顰め疑問を溢した。


「貴方はマフィアの中で先代の頃からいる古株。そして、実力は相当なものだ。武力だけでなく、権力も人望も。元々貴方は護衛を生業としていた。そしてポートマフィアに勧誘され、同じくその役目を与えられた。貴方は先代首領の専属護衛であり、現首領に変わった後もその役職が与えられる筈だった。けれど…」


けれど、ポートマフィアの新たな首領になった森鴎外の専属護衛に任命されたのは菊池ルナだった。たった齢13歳の少女。権力も、人望も、経歴も、自身の意思すらもない人形のようなその少女が自分が立つべきだった地位を掻っ攫っていった。それは“雷光”の矜持を引き裂くには十分だった。そして、そこから生まれた嫉妬と憎悪が精神を蝕むのも。


「貴方は首領専属護衛という地位を奪ったルナが赦せなかった。だから、ルナを殺したかった。そして、やってきた絶好のこの機会。ルナが組織の脅威になると口実を吐き、構成員を自身の味方につきルナを殺そうとした。まあ、組織の中でも人望が厚い貴方と忌み嫌われているルナとでは貴方に味方する構成員の方が多かっただろうね」


何か反論することは?と太宰が試すように首を傾ける。“雷光”はそんな太宰を見据えた後、諦めたように深い溜息を吐いた。


「はは、まったく油断ならぬ。謀ったのか?小僧。そこまで知っていて乃公の味方になった振りをして俺を泳がせた。お前は最初から乃公を幹部の座から引き摺り下ろすつもりだったんだな」

「引き摺り下ろすだなんて人聞きが悪いなぁ。貴方が勝手に崖っぷちに立ったんじゃあないか」


“雷光”と太宰の間に殺気に似た電気が走った。異能で生み出した雷は太宰には効かない。異能力無効化という稀にない能力を持った太宰はその異能すら厄介なのに、組織一頭の切れる男だ。


「何だよ…それ…」


静かな声がその場に響く。“雷光”はその声の主に視線をやった。強く拳を握り締め、肩を振るわす中也。胸の奥から湧き出るような怒りが抑えられなくなった。


「組織の為だとほざいていた事も嘘で、本当はそんな百済ねぇ理由でルナを殺そうとしたってのかよ」


中也は怒りに燃えた瞳で“雷光”を睨み付ける。中也の中にあった憧れの姿をした“雷光”がガラガラと音を立てて崩れていく。


「そんな子供じみた…たったそれだけの理由で手前はルナを傷つけたのかよ!」


一体今まで“雷光”の何を見ていたのか。込み上げる怒りと失望。それによって体の痛みは引いていた。


「百済ない?それだけの理由だと?…巫山戯るな」


血で汚れた自身の拳を握り、“雷光”は今迄にない狂気に満ちた瞳を中也に向けた。


「お前達には判るまい。己の誇りをズタズタに引き裂かれた乃公の気持ちなど。意思のない人形のような小娘に奪われた屈辱を。あれさえいなければ、あれさえッ」


嫉妬、妬み、恨み、屈辱。“雷光”の中にあるルナに対する感情は他人から見ればあまりにも幼稚で滑稽なものだ。だが、それは“雷光”の心中で黒い化身となって住み着いている。どんなに心の奥底に仕舞い込もうと、それが訴えかけるのだ。その感情を生み出す元凶を殺せと。そして、巡ってきたこの機会にそれは顔を出した。もう抗えない程に、殺したくて仕方なかった。


「乃公の方が強い。乃公の方が首領専属護衛に相応しい。命令がなければ動けないような半端者に相応しくない。乃公の方が何もかも優っている。そうだろう!?」


まるで子供の駄々ように叫ぶ“雷光”を中也と太宰は温度のない瞳で見据えた。己の感情に支配され、制御できなくなった人間は何と愚かなのだろうか。どんなに強くて人望の厚い人間でも心の中に影を潜めている。一度その抑えが効かなくなれば、黒い感情に支配されて自我すら見失ってしまう。


「慥かに貴方は強い。でも、森さんの護衛には相応しくないよ」


太宰が目を閉じて静かに云う。そんな太宰に視線をやった“雷光”。二人の間で時間の流れを感じさせない空気が流れる。


その時、中也は視界の端に動いた影を捉えた。そして、驚きに目を見開く。喉まで出掛かった声は音にならず息を呑むことしか出来なかった。


太宰の声が辺りに響く。


「だって、貴方は今日此処で、

———————ルナに負けるからね」


“雷光”は勢いよく後ろを振り返った。


眩い光を放つ雷が空気を震え上がらせる。黒い布のような服と毛先が白銀に染まった水浅葱色の髪が稲妻のように逆立ち光り輝いている。


白き光の雷を纏い血が滴る大刀を握り締め、そこに立っていたのは、攻撃を受けて動けない筈のルナだった。


その姿はまさに雷神。
オッドアイの瞳が鋭い眼光を宿している。


「何故だ…あり得ない」


あれ程の威力を持った雷を食らった人間が動ける筈がない。だが、目の前の少女はその雷を全身に纏い、その場に立っている。雷を操る異能力を持っている“雷光”なら可能だが、通常の人間なら耐えられない。


しかし、今目の前にいる少女は“雷光”の必殺技と同じ。自身の肉体に強力な雷を流し込む事で負荷をかけ、潜在能力の限界を超える動きを強制すると共に、攻撃をプログラム化し、超人的な反射行動を可能にする。


これこそが雷の異能力を応用した“雷光”の究極の奥義。


それを身に付けるまで“雷光”は数十年の時を要した。たかが数刻だけ雷を浴びた人間がその痛みに耐え、得られる技ではない。しかし、ルナはそれをこの短時間で物にした。それは超人を超える超人が成せる技。


窮地を力にする能力。
生まれ持った戦闘の才能。
人間離れした身体能力。


その全て、菊池ルナは“雷光”を上回っている。


「化け物ッ」


そう云った唇は震えていた。全身から冷や汗が流れる。震えと動機。それが齎す目の前に突きつけられた感情を認めたくなかった。“雷光”は自身の中に湧き上がるそれから逃れるように意味もなく後退った。


「ねぇ、“雷光”さん」


遠くから悪魔の声が降り落ちる。


「貴方は先刻、ルナの事を“命令がなければ動けない半端者”って云っていたね。でもね、ルナにはそれで十分なのだよ。今の貴方にはそれが如何してなのか判ったでしょ?」


死神を呼び寄せる悪魔のその声はまるで子守唄のように穏やかで、それ故に恐ろしかった。


太宰は一つ息を吸う。その瞬間、太宰の瞳の色が変わった。


そして、黙示録を告げる天使のような声で云った。


「ルナ、命令だ。裏切り者である

———————“雷光”を殺せ」


稲妻が空を駆けるその瞬間、その雷光と雷鳴は一瞬にして空の支配者になる。誰もが目を奪われ、その閃光と轟を無視する事はできない。


そして、それは地上でも同じ。


瞬い光の稲妻が目にも止まらぬ疾さで地を裂いた。白き光を纏った雷神の化身。薄暗い空間でそれは目を眩ます程に眩しく、そして美しかった。


「負ける……のか…」


それが彼の最後の言葉だった。


骨が砕ける音すらなかった。瞬きをする間も無く一瞬で“雷光”の首は宙に舞っていた。放電した雷の余韻に舞い上がった血が焼き焦げ、跡形もなく消えていく。


首をなくした“雷光”の体が地面に倒れる。そして、宙を舞ったその首は地面に打ち付けられ、そのまま中也の足元に転がった。



静寂。



中也はその光景をただ茫然と眺める事しか出来なかった。首だけになった仲間だった者。彼は最後に何を思ったのか。


それを知る者は死んだ彼以外いない。


中也は無意識に握っていた拳を緩め、ルナの方を見た。異能力者が死んだ事でルナが纏っていた雷は消えていく。躰に残った電気の残留だけがルナの躰から漏れ、空気を震わせていた。


しかし突然、糸が切れたかのようにルナの躰が蹌踉ける。


「ルナ!」


中也は名を叫びながら地面に倒れたルナの元に駆け寄った。力の抜けたルナの躰を支え、顔を覗き込む。意識を手放しているのかルナは目を閉じて、何の反応も示さなかった。中也の心臓が一度大きく厭な音を立てたが、ルナの小さな呼吸音が聞こえ、安堵した。


「(だが、無事とはいねぇよな)」


息はあるが迚も浅い。全身が雷の熱によって熱く、皮膚が爛れている。大刀が刺さっていた腹は皮膚と血管が焼き焦げた事で血は止まっていたが、本来なら致命傷だ。


中也はルナに負担が掛からないように優しく抱き上げる。そんな中也にコンテナから下りて来た太宰が声を掛けた。


「森さんに連絡をした。もう直ぐヘリが屋上に着く筈さ。組織の医療班も乗ってる」

「……嗚呼。急ぐぞ」

「待て中也」


ルナを抱えたまま速足に扉に向おうとした中也を太宰が呼び止め、中也が行こうとした反対方向の扉を指差す。


「そっちから行くと会場内に出る。懸賞金がなくなったとは云え、まだこのオークション会場内にはルナを狙ってる連中がいるだろうから回り道した方がいい」

「ルナの怪我は一刻を争う。回り道してる時間が惜しい。それに敵に出会したら返り討ちにするだけだ」


いつもより低い声で中也はそう云った。近づく者全てを殺してしまいそうな殺気。まるで理性を無くしたハイエナの様で、自分自身すら殺してしまいそうな殺気を纏っていた。だが、ルナを抱える腕だけはあまりにも優しい。


そんな中也を眺め、音にならない溜め息を吐き、太宰はふとその場に残された物に目をやった。


五大幹部の一人、“雷光”の死体とその大刀。


彼の死に場所となったその空間は彼の命と共に、嘗彼が放っていた稲光のような輝きすら消し去り、暗闇の中に呑み込んでしまった。







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