第十七章 暗夜に告げる黎明の奏で
激痛が躰を駆け巡るように走る。
止まることのない痛み。
皮膚が焼け、血管と神経がズタズタに引き裂かれるような痛みが続く。
まるであの頃に戻ったよう。
永遠の痛みと苦しみの中で過ごす日々。
一点の光もない暗闇。
あの頃から変わらない。
———————ルナ
否、違う。
———————ルナ
私の名前。
私の名前を呼ぶ声が聞こえる。
———————ルナ
今、何をしているんだっけ?
そうだ。今日はオークション会場で首領の護衛をしていた。首領の用が済んだから帰ろうとした。けれど、敵に襲われ、裏切り者は私に銃を向けた。私の仕事は首領の護衛。首領に害をなす者を排除するのが仕事。
殺して、殺して、殺し続けて。
そして、終わりのない殺しの闇の中で中也が手を引いてくれた。
でも、今はまた闇の中だ。
その闇の中で私を切り裂く稲妻が走っている。私は殺されるのだ。仲間だった者に。彼は自分を裏切り者ではないと云っていた。組織の為にやっている事だと。ならば、彼を殺す理由はない。首領の命令は〝敵と裏切り者を殺せ〟だから。彼は対象外なのだ。
なのに何故、中也は戦っているの?
何故、危険を冒してまで私を守ってくれるの?
私のことなんて守らなくていい、必要ない。
中也が傷付く理由なんて何もない。
———————お願い、傷付かないで。
その時、獣の声が聞こえ、闇から一変した。
真っ白な空間。時間の流れもない。右も左もない永遠の空間。そこにイヴはいる。
赤い双眼で私をジッと見据えている。
『————初めてなの』
私はイヴに話しかける。音のない空間に私の声が響く。
『誰かに守ってもらうのは。それは凄く不思議な感覚で、でも厭とは思わなくて。……でも、中也が私を守ろうとしてくれる度に、胸の奥が痛くなる』
私を守ろうとして中也が傷付くのは見たくない。私は中也に守られたいんじゃない。
『私は———————』
今になって気付いた私の中にあったこの想いを、語りかけるようにイヴに告げた。
***
一発の銃声が響き渡った。
“雷光”の肩から血が吹き出す。突然の攻撃に“雷光”は地面に膝をつき、血が流れる肩を抑えたまま背後を振り返った。中也も目を見開き、銃弾が放たれた方へ視線を上げる。
コンテナの上にその人影はあった。
「やあ、“雷光”さん。やっぱり吠える事しか取り柄のないその牧羊犬を飼い慣らせてなかったようだね」
「おいコラ誰が牧羊犬だ!!」
おお自分だと認知してる凄い凄いと態とらしく拍手をするその少年。黒の蓬髪、黒い外套。その黒に間に見える白い包帯。その少年は数刻前“雷光”が敵の手から助けた五大幹部の一人、太宰。
「‥小僧、何故乃公を撃った。手でも鈍ったか?」
「いいや、ちゃあんと貴方を狙って撃ちましたよ“雷光”さん」
少年とは思えない不敵な笑みを浮かべて太宰は当然のようにそう答えた。“雷光”はその黒い瞳を見据えたが、その瞳から真意を読み取るのは恐らく一生無理だろう。“雷光”は考えるのをやめ、血が流れる肩を抑えながら立ち上がる。
「お前は乃公と手を組み、小娘を殺す事に賛同したのではなかったのか?」
「嗚呼したよ。貴方が私を勧誘する為に吐いた“すべては組織の為”とかいう御託にはね」
太宰は手に持ってる拳銃を回しながら続ける。黒い瞳が“雷光”の心を見透かすように怪しく光った。
「でも、貴方は組織の為なんかに動いてないでしょ。闇市でルナの懸賞金がかけられ、ルナを殺す理由ができた。それを口実にして、貴方は自分の目的を果たそうとしているだけだ」
“雷光”の拳が強く握られる。その様子を見据え、中也は「目的?」と太宰が云ったその言葉に首を傾げた。
「貴方はずっとルナを殺したがっていた。貴方にとってルナは邪魔な存在だからだ。でも、首領専属護衛であるルナを殺せば自分の立場が危うくなる。だから、この機会を利用した」
「……ふっ」
“雷光”は拳を緩めた。そして、息を吐き出し、天を仰いで笑った。その場に似合わない高らかな笑い声が響く。
「何を云い出すかと思えば、乃公があの小娘をずっと殺したがっていただと?慥かに組織への害となった今はあの小娘を排除したいと思ってるさ。だが、それは組織の為だからだ。この殺しに私情などあるものか」
「そっか。ならもう殺す必要はなくなったよ。懸賞金はもうないからね」
「何だと?」
“雷光”の目が見開かれる。太宰は“雷光”の反応を観察するように目を光らせ、続けた。
「“闇の殺戮者”にかけられた懸賞金はもうない。このオークション会場の外で懸賞金の噂を聞きつけて集っている連中にその正体が開示される前にね」
数刻前、太宰は“雷光”の手によって敵から救出された。そして、身を隠す振りをして会場内の混乱に紛れ、オークション会場内にある闇市の情報網を把握できる中央制御室に侵入し、“闇の殺戮者”にかけられた懸賞金を闇の中に葬り去ったのだった。
***
夜の闇を走り抜けるように冷たい風が吹いた。
武装した男達が小型航空機に乗り込み、目当ての獲物を狩る前の陽動感に満ちた瞳をギラつかせていた。
「おい、お前も千億の賞金首狙いか?」
顔に傷がある大男が隣に座っていた暗殺者らしき男に大声で話しかける。足元まである暗いマントを羽織った者は電子機器を弄りながら大男に視線だけを向けた。
「突如闇市で莫大な懸賞金がかけられた時は耳を疑ったが、大儲けには又とない大機会だ。その賞金首の首を取ろうとこうやって賞金首狩が集まってる。見たところアンタは暗殺者みてぇだが、なんか有益な情報はねぇか?」
大金が手に入る夢に目をギラつかせた大男は不敵な笑みを浮かべる。周りに視線をやると同じような目をした者達がこちらの会話に耳を立てていた。
「そうだな。一つ忠告するならば、此処にいる者の殆どは返り討ちに合い殺されるという事だな。相手はあの“闇の殺戮者”だ。雑魚が何人集まろうが傷の一つもつけられないだろう。よって、俺の邪魔はしないでくれよ」
黒いマントを被ったその男の物言いに大男は眉を顰めたが、その後再び笑みを戻す。
「へぇ、お前さんは随分と自分の腕に自信があるようだな。一人で賞金首を打ち取って大金を独り占めしようってのか?」
「金などに興味はない。俺は暗殺者だ。そして、“闇の殺戮者”は伝説とされている暗殺者。同業者として一度は手合わせ願いたいだけだ」
そして、その伝説を塗り替える。“闇の殺戮者”は数年前に突如として闇社会に現れ、恐怖に震え上がらせた。そして、瞬く間にその異名を馳せた。陰湿な殺しを主とする暗殺者という職業でありながら、その殺しは残虐的かつ無慈悲な殺戮。死神、地獄の使者、悪魔付き、化け物。そう比喩され畏れられる暗殺者。奴が呼び寄せるのは地獄そのものという云い伝えもある程だ。
そんな伝説の暗殺者を超えてやりたい。それが今回同じ暗殺者であるこの男がこの賞金首狩りに参加した本当の目的だ。
「(俺の異能力。攻撃を認識させない能力が“闇の殺戮者”に何処まで通用するか判らないが、少しでも奴の情報を得ておこう)」
オークション会場から闇の情報ネットワークに更新される“闇の殺戮者”の姿。暗殺者の男はそれを見る為電子機器を弄りアクセスを試みる。先程話しかけてきていた大男が電子機器を覗き見ていたが、気にせずに手を動かした。
「闇市のオークション…懸賞金千億の賞金首…“闇の殺戮者”……このデータか」
男は真っ黒な画像ファイルをクリックする。一体“闇の殺戮者”はどんな姿をしているのか。読み込み待ちのアイコンが回り、そのファイルが開かれた。
「……データ、なし?」
“闇の殺戮者”の姿が映った写真がない。得た情報ではこの時間に闇サイトに上がる筈だったのに。否、写真だけではない。闇市のオークションが開示した情報も、履歴も、千億の懸賞金すら、“闇の殺戮者”に関する全てのデータが忽然と消えた。
「………無駄足か。全員解散だな」
「おい如何いう事だ?」
立ち上がり、航空機から降りようとした暗殺者の肩を掴み大男が問いただす。暗殺者の男は手に持っていた電子機器を大男に渡す。
「もうオークション会場に向かっても意味ないぞ。“闇の殺戮者”にかけられた懸賞金はなくなった。それどころか奴に関する情報すら闇の中に消えてしまった」
「はあ?何だよそれ。結局千億っつう懸賞金も嘘だったのかよ」
「…さあな」
それが真か嘘かを調べる術も消え失せた。それが“闇の殺戮者”の仲間の所為なのか、懸賞金をかけた輩の所為なのかは判らない。何方にせよ、この短時間で記録を削除した者は只者ではないだろう。
「“闇の殺戮者”。その正体を知る者は少ない。どんな姿をしているのか、男か女かも、若人か老人かも判らない。唯一判っているのは、
———————呪われた右目を持つオッドアイか」
同じ暗殺者として仕事をしていれば、いつか見える日が来るだろうか。男は夜空に浮かぶ赤い月を眺めながらいつの日か刃を交える未来を想像して、その場を去った。