第十七章 暗夜に告げる黎明の奏で



耳鳴りがする。


まるで巨大な岩がのし掛かったような激痛が走り、躰が動かない。油断した。攻撃を喰らった。敵の殺気を感じなかった。


——————否。


敵だと認識していなかった。だから、漏らした。僅かに馴染んでいた彼の殺気を。此方に向けられていた憎悪を。


これは自業自得。気を緩ませた自分の落ち度。中也が親しく話す者を敵だと疑えなかった自分の過ち。


「——…」
 

耳鳴りが酷い。


「————…い」


雑音の中に何か、聞こえる。


「おいッ!しっかりしろルナ!」


———————嗚呼、中也の声だ。


朦朧とする意識の中でその声が中也であると判った。雑音が酷くて上手く聞き取れないけれど安心するその声は焦りを含んだ声だ。


「俺の声が聞こえるか!?ルナ!」


中也はルナの躰にのし掛かった瓦礫を退けながら声を張り上げる。ルナの目は焦点が合っておらず虚のままだったが、微かに唇が動いた。頭を強く打ったのだろう。額から血が流れ落ち、地面を染める。息も浅い。唇から空気の抜けるような呼吸音が鳴っている。恐らく肋骨が折れ、骨が肺を傷付けたのだろう。


巨木を薙ぎ倒す程の威力を持った“雷光”の大刀を脇腹に受けたのだ。死んでいないのが奇跡だった。


中也は歯を食いしばる。


あんなに近くにいた。直ぐ傍にいた。手の届く距離にいたのに。


———————守れなかった。


「(守ってやるって…そう云ったのに。俺はッ)」


一瞬の油断が招いた。目の前の光景が己に叩きつける。何故疑わなかった。何故警戒しなかった。何故“雷光”を仲間だと信じた。何故。


———————何故、同じ過ちを繰り返す。



「これは裏切りではない。大義だ」


土煙の中から厳格な声が響く。中也は拳を握り締めたままその声のした方へ振り返った。銀色の刀身が剥き出しになった大刀を抱え、“雷光”は中也の拳を喰らって尚、無傷でそこに立っていた。


「……大義…だと?」

「嗚呼そうだ。その大義を成し遂げる事が今後のマフィア存続の未来に繋がる。その小娘を殺す事でマフィアが生き残れるなら乃公は喜んでこの手をその血で染めよう」


“雷光”が大刀を振り翳せば、空気中に稲妻が走った。空気を震わす程の威圧感。彼の殺気はその決意が本物であると物語っている。


だが、その威圧感を振り切るように中也も己の信念を曲げる事はない。


「勝手に決めんな。幾ら五大幹部であっても首領の命令なく動けば、首が飛ぶのはアンタの方だぜ。首領専属護衛であるルナを殺す事は首領に牙を向けるのと同じだ」

「それなら問題ない。その小娘が居なくとも、今後首領の護衛は乃公が引き継ぐ。首領も理解して下さるさ。乃公に敗れる護衛は乃公より弱い。故にマフィアには不要だ。太宰の小僧もそう考えたから乃公に協力した」

「は?…太宰が?」


“雷光”の言葉に中也は目を見開く。太宰が“雷光”に協力した。それは事実だろうか。もし事実ならばそれは何を意味しているのか。まさか、と中也は額から汗を垂らした。


「敵から助け出した時、太宰の小僧と話をした。あの小僧は組織の行く末を悟り、迷わず首を縦に振ったぞ。お前と違ってな。それに、その小娘の殺気が緩む瞬間を乃公に助言したのは彼奴だ。中也と共にいる瞬間が唯一小娘に攻撃を喰らわす絶好の機会だとな」


中也は奥歯を噛み締める。まさか五大幹部二人が裏切っていたとは。だが、彼等の中では裏切りの意味が違う。組織の未来を案じ、自らの意思でこの現状を越えようとしている。たとえそれが仲間を殺す事だとしても。


「太宰の野郎は…本当にルナを殺すと云ったのか?」


中也の声は静かだった。だが、体の中心から込み上げるものは荒れ狂う寸前の炎のように中也の中で揺らいでいる。そんな中也を見て、“雷光”は躊躇いなく頷いた。


「嗚呼。“壊れた人形には興味ない”、とな」


中也はその場で地を蹴り砕き、重力の乗った拳を“雷光”に放った。“雷光”はその拳を大刀の柄で受け止める。


「…お前は俺側に付く気はないようだな」

「当たり前ぇだ」


二人の間で閃光が走った。中也は次々に蹴りと拳を入れる。その全ての攻撃を“雷光”は大刀で止めた。中也は舌打ちを溢して、触れた大刀に下向きの重力をかけた。何十倍もの重量になった大刀が地面にめり込む。動けなくなった“雷光”に、中也は拳を振り上げた。放たれる拳を視界に捉え、“雷光”は一度息を吐き出した。


「ぐッ…!」


次の瞬間、中也の体に痺れるような強い痛みが走った。拳の勢いが“雷光”に当たる前に止まる。体中を走る電流。それは中也が掴んでいる“雷光”の大刀から放たれている。中也は体中を走る痛みに歯を食いしばり、“雷光”から距離を取った。ビリビリとその場の空気さえも震えている。


「お前の拳を受けたのは初めてだが、流石だな。若くして準幹部になるだけの実力はあるようだ。だが、乃公の攻撃は防げまい」


中也は自分の拳を見据えた。体を走る電気の余韻を残し指先が痙攣している。それを握り締めて、中也は冷汗を垂らした。


「(くそッ、俺の異能と相性が悪りぃ)」


“雷光”の異能力は雷を生み出し自在に操る能力だ。電気の元である電子には僅かに質量があるが、それを物質の質量として認識するのは人間には不可能。対して、中也の異能は触れた物の重力を操る。目に見えない極小の電子の流れに触れ、それに重量を乗せるのはあまりにも困難だ。


“雷光”は遠方戦でも近接戦でもその力を発揮する事ができる異能力者だ。相手が悪すぎる。現五大幹部の中で武力一の実力は相当なものだ。


中也の額に冷汗が流れた。


「悪いがお前と戯れている時間はない。まだ、あの小娘に止を刺せていないからな」


“雷光”がそう云った次の瞬間、“雷光”の体から雷が溢れた。それを纏った“雷光”の髪が逆立つ。その姿はまさに雷の化身。その雷を纏ったまま地面を踏み込んだ。


中也はその“雷光”の構えに戦慄を走らせる。“雷光”の視線の先に目をやり、中也はその場を駆け出した。


「ルナッ!!」


稲妻が地面を駆けた。“雷光”のその動きはまるで稲妻が空を裂く様。一直線に倒れるルナに向かって突進していく。




中也はありったけの反重力を掛け自身の体を弾丸のようにして駆け出し、ルナに手を伸ばした。






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