第十七章 暗夜に告げる黎明の奏で
「クソッたれが。何で俺が太宰の糞野郎を助け出さなきゃなんねぇんだ」
壁に隠れて通路に誰もいない事を確認しながら中也は太宰に悪態を吐く。その顔は呆れと怒りが混ざり鬼瓦のようだ。
『別に私一人でいいよ。一人で来いって…云われてるし』
「そりゃどう考えても罠だろうが。そこに行きゃ敵がわんさか手前を殺そうと待ち構えてんぞ。ンな処に手前一人で行かせられるか」
中也のその言葉にまた胸が擽ったくなった。敵ばかりしかいないこの場所で誰かが傍にいてくれる事は何だか不思議な感じだ。これが何と云う感情なのか判らないけれど、いつか知りたいと思った。
「近くに敵の気配はねぇな。行くぞルナ」
中也の呼び掛けに頷いて、ルナは中也の背後を追いかける。此処から下の階へ行くにはエレベーターか階段があるが恐らく敵がいるだろう。騒ぎを起こせばそれだけ人が集まってくる。極力戦闘を避ける為に非常階段を使う。
非常口を開け、中に入る。そこには大きな空間が広がっていた。流石闇市のオークション会場。建物内にある裏道すら広い。有り余るその空間に幾つか資材が積まれているのを見ると倉庫としての役割も果たしているのだろう。
「下への階段はもっと奥だな」
『……ねぇ、中也』
ふとルナは中也を呼び止めた。それは無意識だったと思う。これから向かう場所は中也が云う通り敵だらけだろう。五大幹部を人質にして、此方に不利な状況を作り出し、“闇の殺戮者”の首を刈り取る準備をしている。
正直こんな事は初めてでもない。多勢の敵も人質も。そんな事関係なく今迄敵を鏖殺してきた。一人でだって任務はこなせる。
なのに何故今、中也は傍にいるのだろう。
首領の命令でもないのに。
何故。
———————先刻の言葉も。
『何で…中也は、私を……』
「待て。誰か来る」
ルナの言葉を遮って中也が足音が聞こえた方へ視線を向ける。そこには人影があった。中也とルナはその人影を見据え、構えた。
「誰かと思えば、中也お前か」
「“雷光”の旦那…」
その人影は五大幹部の一人である“雷光”だった。中也はそこにいたのが彼だと判ると力を緩めた。
「アンタまだ此処にいたんだな」
「それはこっちの台詞だ。会場内は混沌状態だ。もういつものオークションじゃない。まあこれだけ騒ぎになれば外でも混沌が生じてるだろうがな…。それで?何故お前が此処にいる?」
「太宰の糞野郎が敵に捕まってんだよ。癪だがあれでも一応五大幹部だからな。助け出さなきゃなんねぇ」
「太宰の小僧なら先程乃公が敵の手から救出したぞ」
“雷光”の云った言葉に、は?と目を瞬かせた中也。そんな中也に「軽傷だが怪我をしていたようだから、安全な場所に避難させた」と当然のように彼は云った。あまりに淡々と云うものだから疑ったが、“雷光”の実力があれば可能であったろうと納得する。彼のおかげで太宰を助け出す手間が省けた。
「礼を云っとくぜ。一応あんな奴でも俺の相棒なんでな」
「否、礼など不要だ。仲間を助けるのは当然の事だからな」
中也の頭を大きな手で撫でた“雷光”。そんな“雷光”の言葉に中也は改めて彼の人望の厚さを実感した。彼は首領でさえ一目を置いている人間だ。五大幹部のあるべき姿。
「(どっかの自殺ばかりしていて敵に捕まるような人間失格野郎とは違うな)」
頭の中で“雷光”と太宰を比べてみると五大幹部という肩書きが似合うのはどう考えたって“雷光”だ。中也は一人納得する。
『……。』
ルナは中也の数歩背後で中也と“雷光”が話しているのを眺めていた。人質になっていた太宰が救出されたのならば任務を遂行する必要はなくなった。後は太宰と合流して安全を確認し、無事にこの会場から連れ出せばいい。
ルナは中也を見つめる。
『(この任務が終わったら……)』
中也にあの言葉の意味を聞いてみてもいいだろうか。
「そうだ中也。お前に一つ協力してもらいたい事がある」
「協力?」
そう云いながらゆっくりと歩き出した“雷光”に中也は首を傾げる。中也とルナの二人の横を通り過ぎ、歩みを止めた。
刹那。
中也の目の前を稲妻が走った。
そして、雷が落ちたような音と共に、
———————ルナの躰が横に吹き飛んだ。
中也は瞬きも出来ないままその場に立ち尽くす。視界からルナの姿が消え、目の前には稲光の残光と土煙。そして、大刀を横に振り翳した“雷光”の姿があった。
「殺気を殺したこの一撃が当たるか不安だったが………否、正直避けられると思っていた。だが、今の攻撃は完璧にはいったな。よかったよ。中也、お前のお陰でその小娘に緩みがあってな」
「…おい、こりゃ……何の真似だよ……“雷光”の旦那…」
中也は一点を見据えながら問う。土埃が立ち、はっきりと見えない。衝撃により崩壊した壁。その瓦礫の中に広がる血の赤。ぐたりと瓦礫に背を預けて動かないルナ。
その光景を瞬きすらせず凍った表情で眺める事しかできなかった。中也の拳が強く、痛いくらいに握られていく。
「先刻の話の続きだがな」
「如何云うつもりだって聞いてんだよッ!」
中也は喉が張り裂けるくらい叫んだ。“雷光”を怒りに染まった瞳で睨み上げる。そんな中也を見下ろし、“雷光”は先程とは別人とも思える程の冷たい瞳だった。
「何をそんなに怒る事がある?」
「何でルナを攻撃しやがった!手前まさか五大幹部の癖に裏切りか!?」
「裏切り?乃公が組織を裏切る訳ないだろ」
「なら何でルナをッ!」
“雷光”はルナを攻撃した。首領専属護衛に刃を向ける事は、首領に刃を向ける事と同義。つまり組織への裏切りだ。それを他の誰でもなく五大幹部のこの男がやった。五大幹部の裏切りなどあってはならない。だか、目の前にいるこの男はそれ否定した。
「裏切りじゃねぇならなんだってんだ!」
「これは組織の為だ。お前はあの小娘に掛かった懸賞金の額を知ってるか?」
「金に目が眩んだってのかッ!」
「そんなものに興味はないさ。だが、この額は闇社会を揺るがす力がある。到底、一人の命にかけられる額ではない」
ルナに掛けられた懸賞金の額は千億だ。これは巨大な力を持っている。それこそ闇社会の秩序や地位、歴史をひっくり返す程の。
「想像してみろ中也。そんなものをあの小娘が背負っている事が如何云う事かを。全世界を敵に回す事になるだろう。そうなれば組織はどうなると思う?組織だけでなく、我らが生きるあの街すら崩壊する。それを防ぐ為には、他の組織の手に落ちる前に一刻も疾くその金を回収し、この闇金を闇に葬る必要がある」
「だから、ルナを殺すってのか?」
そう問うた中也の声は低かった。奥歯で強く噛み締めた歯がぎしりと音を立てる。今、“雷光”が云った事は想像がつく事ばかりだ。
「あの小娘が死なない以上この地獄から抜け出す事はできない。ならば、その地獄を終わらせる事こそ五大幹部である乃公の役目だ。お前も組織が大事なら、俺に協力してくれ」
“雷光”の云った事は十分に理解できる。たとえこのオークション会場から逃げたとしても懸賞金がなくなる事はない。ルナが死ななければ終わらない地獄。
「嗚呼……慥に、地獄だな」
中也の目が光った。音よりも疾い中也の拳が“雷光”に当たる。“雷光”はそのまま水平に飛び、積み上げられた資材の中に激突した。その場には資材の山が崩れる音が鳴り響く。
「だが、そうだとしても俺は手前に協力する気はねぇよ。ルナを殺すだと?巫山戯んな。俺がそんな事に協力すると思ってんのか。彼奴を傷付ける奴は誰であろうと絶対ぇ許さねぇ」
強い意志の光が宿った瞳を向け、中也は揺るぎない声でそう云った。