第十七章 暗夜に告げる黎明の奏で



「如何なってやがんだ」


宝石の出品が終わり、意味のある成果を残して満足気にホールを後にした中也は会場がやけに騒ついている事に気付いた。


会場に漂う数多の殺伐とした殺気。息苦しい雰囲気を纏うオークション会場は来た時の空気と明らかに違っていた。


「おい見つけたか?」


廊下の曲がり角から声が聞こえた。中也は気配を消して物陰に隠れ、廊下の先を盗み見る。男が2人いた。風貌や雰囲気からして恐らく暗殺者だ。


「否まだだ。だが、仲間の情報によると賞金首は下の階にいるそうだ。如何やら一人らしい。狙うなら今がチャンスだ」

「しかし、たった一人の首に掛けられたのが千億なんざ信じられると思うか?」

「さあな。だが、この賞金首狩りに参加するだけの価値はあるだろ。賞金首はあの伝説の暗殺者だ。その首を取れば手に入るのは多額の金だけじゃない。伝説を超えたと云う称号さ。この好機逃す訳にはいくまい」


会話していた二人の男は狩に出た肉食獣のように目をギラつかせてその場を去った。中也は二人組の会話を聞き、眉を顰める。


「(千億の賞金首?)」


あまりにも巨額の懸賞金だ。あの男達の云うように一人の人間にかける額にしては度を超えている。それだけの金が存在するなら裏社会を揺るがすだろう。


「…‥伝説の暗殺者ねぇ」


中也の脳裏に一人の少女が過った。


中也は速歩にその場を駆け出し、下の階へと足を向けた。




***



下の階に行くにつれて中也は表情を硬くしていく。まるで道端に石が転がるように幾つも幾つも血に染まった人間の死体が転がっていた。


「……。」


首が刈られている者、額に銃弾の穴が空いた者、原形も判らない肉片になっている者。


刃物や銃によっての殺しと一瞬にして人間の体を肉片にさせる殺し。


中也の中で先程より鮮明にこの殺戮を起こしている人物が思い浮かんだ。


「来るなッ!化け物!!」


その時、何処からか叫び声が聞こえた。中也は叫び声のした方へ走る。銃撃で床や壁が抉れている廊下を走り抜けた先に床に這いつくばる男の姿があった。


「がッ!」


床を這い必死に逃げようとする男の上に瞬時に飛び乗った小さな影がそのまま男の後頭部に血に染まった刃を突き刺した。男の最後の絶叫と肉と骨の砕ける音が鳴り、辺りは静かになった。


短刀を抜き、絶命した男の上から降りたその見知った小さな背中を見据える。血だらけだ。返り血だろうが、その血に染まった姿は齢15の少女には到底見えなかった。


「……ルナ」


彼女の名前を呼ぶ。その呼び掛けに珍しくビクッと大きく肩を揺らしたルナ。数秒ルナはそのまま動かなかった。だが、ゆっくりと此方を振り返り、消え入りそうな声で中也の名を呟いた。




***





心臓がやけに五月蝿い。


中也が此方に歩み寄って来る度に心臓が厭な音を立てた。いつもなら中也の傍は安心する。なのに今は違う。今はただ不安だった。それは……。


「首領は一緒じゃねぇのか?」


ルナに歩み寄りそう問うた中也にルナは頷く。


『…首領は、会場の外に避難した。……此処よりは安全』

「そうか」

ルナは短刀を握る手を強く握り締めた。中也の顔が見れず、意味もなく視線を床に落とす。ルナの頭の中で疑問と不安が押し寄せ、心中をざわめかせている。


『…中也は……如何して、此処に?』


息を呑み、その問いを溢した。


「お前を探してた」


錆びた鐘のように心臓が厭な音を立てる。中也の顔が見れないまま、『…如何して?』と掠れた声で再度問いを溢した。脳が危険信号を鳴らす。聞いてはならない問いだったのかもしれない。中也の答えよっては、自分はこの手にある短刀を振らなければないないから。


——————もし、中也が裏切り者だったら…



首領の命令が頭の中を支配する。彼が裏切り者だったら、恐らく自分は迷いなく刃を振るうだろう。首領の命令は絶対だから、自分にはそれに逆らう権利も、意思もない。“命令”は自分の手足を動かす糸のようなもの。否、恐らくその糸は鎖のように固く、決してちぎれる事はない。


中也が裏切り者ならば、そうと判ったその瞬間、己の刃はその血で染まるだろう。彼の血は刃についている誰のものかも判らない血の中に混ざって、孰れ温度がなくなっていく。


だが、もし本当にそうなれば自分は何を感じる?何を思う?


自分の為に生きろと云ってくれたこの人を殺して、その屍を前にいつものように何も感じないのだろうか。


殺す事には躊躇わないのに、彼の死が現実になったら厭だと感じるのは、何故?


心臓が痛い。酷く脈打つこの鼓動が自分の中にある何かに訴えかける。


——————もし、中也が……


「おい!此処に死体があるぞ!」


遠くからそんな声が聞こえた。中也は声のした方を振り返る。地面を響かせる足音。その音からして人数は多いだろう。


見つかればまたルナは襲われる。賞金争いはルナの首が飛ぶ迄終わらないだろう。それだけの魔力がその大金にある。終わらない殺し。一体どれだけの血を浴び、流さなければならないのか。


「ルナこっちに来い」


中也はルナの手を取って、足音がする反対方向へと走り出した。突然の中也の行動にルナは目を見開く。中也は血だらけのルナの手をしっかりと掴んで、前を向いて走り続ける。


———————何故?


中也の行動の意味が判らなかった。だが、決して離す事なく強く握られた手は、温度のない闇の中から連れ出してくれる温かな温もりを宿していた。






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