第十七章 暗夜に告げる黎明の奏で
「何やら妙だね」
次に何時襲われるか判らない為、身を隠しながら移動していた際に森がそう呟いた。
「いくら闇市のオークションとは云え、こんなに表立って殺しを仕掛けてくるとは。秩序処のは話ではない」
森が云うように慥かに妙だ。
殺人こそ珍しくないにせよ、このオークション会場でどの組織も表立って問題を起こしたくはない筈だ。暗黙の秩序があるからこそ成り立って来たこのオークション。それを乱そうとすれば、制御できない反乱が生まれる。
「それに君の正体が割れているようだ」
森は神妙な面持ちでそう云った。“闇の殺戮者”の正体を知る者は少ない。だが、このオークション会場でその情報が流出している。一体何故。
その時、再び人の気配を感じたルナは短刀を構えた。だが、現れたのは見慣れた黒服を着たポートマフィアの構成員達。
「此処に居られましたか、首領」
駆け寄って来たマフィアの構成員達を見て、ルナは短刀を持つ手を下ろす。森が状況確認の為、黒服の構成員達に現状を問うた。先頭にいた構成員が「この騒ぎは或るホールで出品される予定の品の所為です」と淡々とした口調で云った。
「その品とは?」
森がそう問うた。
「首領、貴方の背後にいる……
———————菊池ルナですよ」
黒服の構成員が散弾銃を撃ち放った。至近距離からの発砲。その数と威力を全て短刀で防ぐことは出来ない。
故にルナは呼んだ。
己の内に住むこの世ならざる化け物を。
ルナから湧き出た黒い影が弾丸よりも速く、森を覆い、銃弾から護る。黒い影の中から覗く一対の赤い瞳が黒服の構成員達を捉えた。怯えたように顔を引き攣らせた構成員達。彼等は首領に銃を放った。それだけで、その首を落とされるには十分な理由だ。たとえ数分前まで仲間だったとしても。
巨大な爪がその場にいた構成員達の首を引き裂いた。血飛沫が上がり、その場に血の雨が降る。森は顔に降りかかる血をそのままに、生き絶えた部下だった者達を無情な瞳で見下ろす。そして、一言「困ったものだねぇ」と溜息を吐いた。
***
「ヘリの準備は整っております。いつでも出発できます」
敵の奇襲を掻い潜り、ヘリが着陸してある場所まで辿り着いた森とルナ。そこで待っていた広津が二人に頭を下げた。
「会場で騒ぎが起こっているみたいだが…。広津さん、何か情報は入ったかね?」
ヘリに乗りながら森は扉の前で頭を下げている広津にそう問うた。
「現在、部下達に確認をさせています。しかし、複数名の部下が消息を断ち連絡がつかなくなりました。連絡が繋がった他の部下達の話によれば、騒ぎ立てていた輩の間でこのような単語が飛び交っていたと」
広津は一拍おき、一度視線をルナに向けた後に続ける。
「“闇の殺戮者”の首を取れば裏社会を揺るがす程の懸賞金が与えられる、と」
凍てついた風が吹いた。ヘリのプロペラが回る音がやけに耳の中を響かせる。森は指で顎を掴みながら黙考した。今会場の中で起こっているのは、殺伐とした狩だ。それもたった一つの獲物を狩る為の。
「何者かによって“闇の殺戮者”の正体が明らかになったのかもしれないね」
森がそう呟いた時、携帯が音を立てた。森は宛先人を確認し、「太宰君からだ」と呟く。だが、数秒鳴り続ける携帯をジッと見据えた。そして、スピーカーをオンにして険しい顔のまま通話に出た。
〈「五大幹部の一人を人質に取った。此奴の命が惜しくば、“闇の殺戮者”一人で指定の場所まで来い」〉
無機質な声で告げられたその言葉だけを残し、こちらの返答も聞かないまま電話が切れた。通話が切れた電信音を聞きながら森は何も云わずに黙考したままだった。
その場の温度が下がる。
五大幹部の人質。ポートマフィアの力の要と云われる五大幹部の一人が敵の手に落ちたなら、見過ごす訳にはいかない。
誰も何も云わず重い沈黙が漂う中、ルナはヘリの扉の前に立っていた広津の背中を押し、中に乗るよう促した。広津は首を傾げてルナの背中を見据える。ヘリを背にして短刀と拳銃を手に構えたルナは一点を見据える。
次の瞬間には、弾丸のような速さで放たれた火薬玉がルナの目の前に迫った。ルナから湧き出た黒い影が火薬玉の爆発からルナとヘリを守る。
視界を覆っていた黒煙が晴れれば、前方に複数の敵が戦闘体制で構えていた。この場にいる全員がルナの首を狙っているのだとしたら、首領の身の安全を保証できるのはルナの側ではない。一刻も疾くこのオークション会場から離れた方がいい。
そして、ヘリはルナを地上に残したまま空へと飛び立つ。地上に残った誰もがヘリに目をやる事はなかった。武装した敵は目の前の獲物から目を逸らさない。何故ならその獲物は狩られるだけの草食獣ではないから。油断すれば、立場が逆転する牙を持った猛獣だ。
しかし、ルナは動かなかった。敵が攻撃をしてもルナの躰を包む黒い影がその攻撃を防御するだけ。今この瞬間、ルナに攻撃が向いている間はルナにとって無意味だからだ。もし側に森がいたならばルナは彼に攻撃が当たる前に動き、敵を排除する。ルナは森を護る盾であり矛。しかし、森が居なければただの糸の切れた人形のような存在。
「ルナちゃん」
だが、いつだって空っぽの人形を動かすのは彼の命令だ。上空に飛び立つヘリから森がそれを下せばいい。
「太宰君を救出し、
敵も、組織の裏切り者も、
———————殺しなさい」
その森の命令がルナを殺戮の権化とさせる。
そして、その数分後。
ヘリが飛び去り闇に染まった空へと消えて見えなくなる頃、その場に残ったのは夥しい血溜まりと、赤黒い闇の真ん中に佇むルナだけだった。
***
「殺せ!“闇の殺戮者”だ!」
「大人しく死ね!お前の首を取り千億を手に入れてやる!」
「賞金首だ!殺せ」
「懸賞金は俺のもんだ!」
襲いくる敵も、銃を向けてくる裏切り者も
全部、全部
———————殺さないと。
誰の血か、幾人の血か判らないまま短刀が真っ赤に染まっていく。血を浴びすぎて、最早元の刀心の色さえ判りやしない。
「死ねェェ!」
ただ首領の命令のまま、殺すだけ。
肉が裂ける感触。骨が砕ける音。
血に染まった私を見る恐怖に染まった目。
そしてまた、誰かの血を浴びた。
「来るなッ!化け物!!」
味方が死に、その場で唯一息をしていた男がそう云った。銃弾から防ぐ為に盾にした死体を放り投げて、その男へと一歩踏み込んだ。
恐怖に引き攣った顔で床を這いつくばるようにして逃げる男は、なんて醜くて惨めなのだろう。先に襲って来たのはそっちなのに。
「……ッ死ねぇッ」
最後の足掻き。這いつくばって手にした短機関銃で此方に銃弾を放った。それを避け、地面を蹴る。視界の端を通った銃弾を無視して、そのまま男の脳髄に短刀を突き刺した。
痙攣後、絶命。
耳にはまだ肉と骨が裂け砕ける音が残っている。
『……。』
死体の頭から短刀を抜き、一つ息を吐いた。
次に来る敵も殺さなければ。
敵も、裏切者も。
「————ルナ?」
ドクンッ、と心臓が大きく音を立てた。
背中から聞こえた知ってる声。
いつもなら何の躊躇いもなくその声に呼ばれたら振り返るのに今はそれが出来なかった。
上手く呼吸が出来ないままゆっくりと後ろを振り返る。
『—————中也…』