第十六章 蠱惑な蝶よ、魅惑の花よ
金属同士が弾ける音が響き渡る。
空間を飛び交う無数の剣がルナに向かって放たれる。ルナはそれを短刀と銃で弾き飛ばした。ほんの一瞬でも隙が出来れば、巨大な鎧が剣が襲いかかる。しかし、ルナとてその攻撃は予測済み。一歩後退すれば代わりに白銀の獣がその剣を受け止める。
先程から百を超える攻防が繰り広げられている。何方も互いの間合いに踏み込ませない。しかし、何方も譲らない中、押されているのはルナの方だった。ルナの動きはいつもより鈍い。
『(右脚……折れてるな…)』
最初の攻撃で壁に激突した際に骨を折ったのだろう。先程から思うように動いていない。しかし、ルナにとってその痛みなど今は如何でもよかった。脚が折れていようが、手足が引きちぎられようがルナは一刻も疾く中也の許へ駆け付けなければならない。
“No.1”の攻撃はルナを殺すと云うよりも時間稼ぎに近い。だからこそ、その防御に隙ができない。5人の護衛団の中でその戦闘力は圧倒的だ。このままでは長期戦になる。そうなれば相手の思う壺だ。時間が惜しいルナにとってこの攻防戦は痛手だ。
それにイヴの力を持ってしてもその男に勝てない。その原因はルナが十分判っていた。
空中を飛び交う無数の斬撃。
巨大な剣を振り回す鎧の異能生命体。
そして、戦闘慣れした“No.1”の実力。
その全てからルナを守っているのはイヴだ。
『(私が…イヴの鎖になってる……)』
巨大な剣の攻撃を尾で弾き、ルナの背後に降り立ったイヴは牙を剥き出して敵に威嚇する。ルナは敵から目を逸らさないまま背後にいるイヴの顔に手を置いた。
『イヴ、聞いて。これ以上、此処で時間を掛ける訳にはいかないの。私は一刻も疾く彼奴を倒して、中也の許へ行かなきゃならない』
イヴは赤い瞳をルナに向ける。
『私を守らなくていい。だから、彼奴を
———————消し飛ばして』
ルナの声に、命令にイヴが牙を剥く。鋭く美しい赤い瞳はまるで太陽の憤怒のように赤く燃え上がった。
“No.1”がその圧に一瞬身を震わせる。しかし、直ぐに剣を構え直した。それは白銀の獣に気を取られた瞬間、ルナが一直線に向かって此方に駆け出したからだ。
“No.1”の周りに無数の剣が集まり、それがルナに向かって放たれる。空間を埋め尽くすこの斬撃は一人では防ぐ事はできない。だからこそ、ルナはそれを防がなかった。
ルナの腕を、脚を、横腹を剣が裂く。しかし、ルナは足を止める事はしなかった。その攻撃を受けながら一直線に“No.1”の間合いに飛び込む。
「捨て身の強襲か。愚かな」
“No.1”は剣を目の前に掲げる。巨大な鎧が仮面の下から赤い閃光を光らせ巨大な剣を横に振り翳した。
隕石に跳ねられたかのような衝撃と共にルナの体が横に吹き飛ぶ。避けられる筈もないその攻撃は完璧な手応えだった。人体には一溜まりもない威力を全身に受ければもう生きてはいまい。
“No.1”は土煙が舞い上がり瓦礫の中で埋もれ死んだであろう彼女を見据え、剣を下ろした。
「ッ!」
その刹那、“No.1”の体が硬直した。まるで脚が石化したように動かない。だが、冷えた指先と体が抑えようもない程に震えた。背筋を這い回った悪寒。それは、今まで感じたこともない恐怖。
“No.1”は冷え切った汗を額から流し、前方に視線を向けた。
“No.1”が見たものは、
体勢を低く構えた白銀の獣の口許で生成されていく異様な球体。
大きさは巨大な口にも満たない。人間の頭くらいの大きさしかないその球は鮮血のような鮮やかな赤と血よりもどす黒い赤色が混ざり合ったような色をしており、異様な光を放っている。
「何だ……あれは……」
呼吸が上手くできないまま喉から出たのはその言葉だった。
“No.1”が呟いたその刹那、白銀の獣が赤い眼光を光らせ、それを放った。
音よりも疾くそれは地平線を走る。
1ミリのズレもなく一直線に。
咄嗟に盾となった巨大な鎧の体を貫通し、そのまま“No.1”の体をも貫いた。貫かれたその部分から肉体が崩壊。それが徐々に広がっていき、光線が遥か後ろの壁を紙切れのように貫き去った頃には、細胞の一欠片さえ残さずに、“No.1”の体を消し飛ばした。
そして、静寂。
まるで音までも消し飛ばしたかのようだった。
そして光が消えた後、その球が光線を描いた方向には何もない。壁も全て吹き飛ばして、その場には何も残らなかった。
『……ッ』
ルナは瓦礫を掻き分け、蹌踉めく足で立ち上がった。額から流れる血が目に入り、視界もボヤけている。ルナはイヴに視線をやった。白銀の獣の姿が歪み、イヴはそのまま黒い影となってルナの中に戻った。
『うッ!』
ルナは服の上から胸元を強く握り締める。心臓が異常な迄に脈打ち、意識が白んだ。心臓が暴れ出すようなその苦しみに立っている事も出来ずにその場に膝をつく。
『ハァッ、ハァッ』
暫くして激しい脈動が幾分か落ち着いた後、ルナは閉じていた目を開け、辺りを見渡した。その場には自分以外誰もいない。“No.1”はイヴが殺したのだろう。ルナの命令通り。その体を跡形もなく消し飛ばして。
『………中也』
強く握っていた胸元から手を離し、壁に手をつきながら蹌踉めく足に鞭を打つように立ち上がる。
『中也……中也……待ってて……今、行くから』
ルナはまるで取り憑かれたかのように中也の名を呼びながら崩壊した瓦礫の荒地を歩き出した。