第十六章 蠱惑な蝶よ、魅惑の花よ




ルナは爆発音にも似た音を聞き、音のする方へと足を向けた。そして、見えてきた金属の重い扉を開け、巨大な穴が空いた場所に出た時だった。巨大な穴に向かって何かが落ちていくのを見たのは。


その落ちていくものの正体は、


———————中也と太宰だった。



漸く逢えた愛しい人。だが、名を叫んで手を伸ばしてもその手は届かず、中也は太宰と共に暗闇へと呑み込まれて行った。



ルナはその一瞬の光景を目にして瞳から光をなくしたが、直ぐに我に返って中也が落ちて行った穴に飛び込む為に柵に足をかける。



だがその瞬間、ルナの躯は下へ落ちるのではなく、勢いよく後方に吹き飛ばされた。何重にも壁を突き破って激突する。額から血が流れ、肺が潰れるような衝撃を喰らった。


「貴様だな。我等護衛団を喰らいつくさんとする化け物は」


漸く威力が弱まり壁に激突して止まったルナは額から血を流しながら聞こえてきた声の主を睨み付ける。巨大な鎧の腕から降り、地面に足をつけたその男は剣の先を地面に付けて続けた。


「“No.4”、“No.3”、そして、“No.2”。彼等と連絡がつかない。“No.4”が死に際に云っていた〝化け物〟の討伐に“No.2”が赴き、暫くして連絡が途絶えた。実力で私に次ぐあの者が簡単に殺られるとは思えないが……。貴様が本物の〝化け物〟ならば生かしておく訳にはいかない」



ルナは痛みが走る躰を無理矢理動かして立ち上がり、口に溜まった血を吐き出した。何度か壁に衝突したが、半分はイヴの力によって衝撃が緩和された。そのおかげで何とか躰は動くが、躰の凡ゆる臓器が圧迫されたように重かった。しかし、今のルナにはこの男を殺し、一刻も疾く中也の許へ行く事しか頭にない。痛みすら忘れる程に。


ルナは懐から短刀、腰から拳銃を抜き、オッドアイの瞳を鋭く光らせて、憤怒の悪魔に取り憑かれたかのように呟く。


『殺す。邪魔する者。中也を傷付ける者。全部、全部、

———————殺してやる』



ルナの躰から黒い影が溢れ出す。それが徐々に形を持ち、巨大な白銀な獣へと姿を変えた。辺りに咆哮が響き渡る。ルナの怒りに反応してイヴが牙と爪を剥き出し、血のような赤い双眼を鋭く光らせた。


「来い」


巨大な鎧が剣を構え、同じように“No.1”も地面に立てていた剣を胸の前で構えた。人外な生命体同士、その主同士が対峙し、間も無く戦闘の火花が巻き上がった。



***





「ぐッ……!」


中也は体全身を襲う痛みに呻いた。巨大な岩がのし掛かっているかのように体が動かない。感じるのは肩に走る痛みと地面に体を打ち付けた強烈な痛み。


そして、体全身を蝕むような息苦しさ。


薄らと開けた視界にひらひらと何かが舞っている。それはまるで誘うように細かな粒子を撒き散らしながら中也の周りを飛んでいた。


「蝶よ 蝶よ 
愛しき蝶よ
私のために花を見つけておくれ
咲き誇る花へ 甘美な蜜の元へ
さあ、私を誘っておくれ」


何処からか歌が聞こえてくる。妖艶でいて面妖な歌声。まるで何かに語りかけるようなその声が、ゆったりとした足音と共に耳の中で響いた。



中也は視線だけ動かし、辺りを見渡す。



少し離れた場所では太宰が力無く倒れていた。しかし、小さな呻き声が微かに聞き取れ、幸いにも生きている事が判った。


一体どれ程の高さから落ちたのだろうか。全身が地面に叩きつけられた所為で上手く躰が動かないが、耳に入ってくるその歌声に視線を太宰が倒れているその奥へとやる。そして、漸くその歌声の主を視界に捉えた。



足元まである黒く長い髪と何色にも彩られた煌びやかなドレスを揺らしながらその女は姿を現した。


蝶華楼の頭目であり、護衛団に女王と呼ばれていた女。


「花よ 花よ
愛らしき花よ
私のために蜜をおくれ
羽ばたく蝶へ 可憐な羽の下で
さあ、私を抱いておくれ」


彼女は妖艶な歌を紡ぎながら中也と太宰を見つめる。そして、口許に笑みを浮かべ、真っ赤に染まった自身の唇をペロリと舐めた。まるでそこにご馳走があるかのように。


「佳い香りね。魅力的な花こそ、蝶は喜び舞い踊る。蝶達の誘いによって貴方達は選ばれたのよ、この私に。さあ、私の手を取って。一緒に溺れましょう色欲の中に」


女王は愛らしいものを見つめるように目を細め、床に伏せる太宰と中也にそっと手を差し伸べた。


「ッ…女王様からのお誘いとは、光栄だねぇ」


痛みに呻きながらも太宰が口許に笑みを浮かべて云った。先程“No.1”に襲われた際に頭を打ち、地面に叩きつけられた為、気絶していると思ったが如何やら意識はまだあるようだ。しかし、中也と同様思うように体は動いていない。地面に手をついて、立ち上がろうとしたが、全身を駆け回る痛みでそれは叶わず、辛うじて頭を上げる事しかできなかった。それでも太宰は女王を見据え、言葉を続ける。


「だけれど、その前に一つ聞きたい事がある。


———————君は一体何だ?」


太宰の問いに女王は伸ばしていた手をピクッと動かす。そして、その手を戻し、自身の唇に指を置いて「質問の意味が判らないわ」と小首を傾げた。


中也は全身に走る痛みに耐えながら太宰と女王の会話に耳を傾けていた。太宰のその質問の真意は判らないが、その物言いから太宰が女王を探っているように窺えた。



薄暗い地下。周りには吸血蝶が飛んでいる。その羽が淡く発光し、洋燈が揺らめいているようだった。だが、先程から感じる息苦しさは恐らくこの蝶達が撒き散らす毒の粉の所為なのだろう。先程よりも体が云う事を聞かなくなってきていた。息苦しさと倦怠感。それが同時に襲い、脳がぐらつく。毒を吸わないよう息を止めようにも痛みでそれもできなかった。


「ふふ、苦しい?この子達は人間には有毒だものね。けれど、私ならその苦しみから解放してあげられるわ」


女王は毒に侵され続ける二人の様子に口角をあげ、一番近くにいた太宰の傍による。


そして、毒の所為で薄らと汗が滲んだ太宰の頬をするりと撫で、真っ赤に染まった唇を太宰に近づけた。


「私の体と交われば、その苦しみから解放されるわ。苦しみは快楽へなるの。さあ、私に触れて。貴方も苦しいのは厭でしょ?」


女王の唇が太宰の唇に触れる。


その直前、何処からか地を揺らすような振動が響き渡った。女王が動きを止め、上を見上げる。地下にあるこの場所から見上げても見えるのは暗い闇だけだが、壁から崩れ落ちた破片が雨のように降り注いでは止まり、また降り注ぐ。


「……本当に穢らわしい」


今まで笑顔だった女王が太宰から離れ、その場に立ち上がる。そして、冷たい目をして上を睨みつけた。


「私の騎士達を殺したのは、上で暴れている貴方達のお仲間よね。あの溝鼠のような女。私の城を土足で踏み荒らした挙句に私の大事な騎士達を奪った。このまま赦す訳にはいかないわ」


女王は振動で驚き右往左往飛んでいる蝶達に視線を送り、そして今度は太宰と中也に目をやった。そして、ニヤリと笑みを深めて口を開いた。


「そうだ取引をしましょう。本当は貴方達とまぐあった後、そのまま命も貰おうと思っていたけれど気が変わったわ。貴方達が私の新たな騎士となり、あの女を殺してくれたら、貴方達二人を生きたまま一生私の傍に置いてあげる」


女王の瞳が怪しく光る。それに呼応するように右往左往飛んでいた蝶達が女王の周りに集まり、女王の言葉に鼓舞するように一斉に舞い踊った。


「そうすれば、貴方達は永遠に私と共に快楽の中で生きられるのよ」





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