第十六章 蠱惑な蝶よ、魅惑の花よ
「ルナちゃんを捜しにいきましょう!」
そうだ。皆で捜せば屹度直ぐに見つかる。
皆の力を合わせれば屹度。
———————そう、思っていたのに……。
「僕達まで逸れちゃうなんて!!」
「五月蝿い人虎」
敦は両手で頭を抱えて呻る。先程まで歩いていた場所とはおさらばして、今いる階は一体地下何階なのか。皆でと意気込んでいたのも束の間、今この場にいるのは敦と芥川の二人だけ。
つまり、太宰達と逸れたのである。
頭を抱えて唸っている敦を睨み付け、芥川は先程の事を思い出して額に青筋を浮かべる。
「貴様が穴に呑み込まれるからだ。あの時貴様が僕の外套を掴まなければ、被害が最小限で済んだものを。これでは太宰さんを護れぬ」
「し、仕方ないじゃないか。咄嗟に掴んだものがお前の外套だったんだから」
何時になく苛々している芥川に敦は冷や汗を垂らしながら云い訳を述べる。
ルナの時もそうだったが、突然地面に黒い穴が開くのは恐らく敵の異能力なのだろう。先程、敦は突然出現したその穴に足を取られた。穴に呑み込まれる際、バランスを崩した処に丁度前を歩いていた芥川の外套を掴んで思わず道連れにしてしまったのだ。芥川が苛つくのも判るが不可抗力だと敦は心の中で反論した。
「こんなやり方をするのはこっちの戦力を分断する為だよな。疾いところ合流しないと、相手の思う壺だ」
此処で立ち止まっていても仕方ないと思い直し、敦は気を取り直して辺りを見渡した。薄暗い場所。此処は一本道のようだ。生温い空気が肌を撫で、此処の空気が淀んでいる事がよく判った。
「兎に角、先に進もう」
「貴様に云われずとも判っている」
仏頂面で答えた芥川だが、何時もの事なので敦は特に気にせずその場を駆け出した。地面を駆ける音が辺りに響く。
暫く駆けていると一本道から広い空間に出た。敦と芥川は足を止める。二人の顔に緊張が走った。
その広い空間の真ん中で一人の男が堂々と腰掛けている。敦達が此処に来る事が判っていたかのように、男は顔を上げると笑みを浮かべた。
「此処は餓鬼の来る処じゃないぜ?坊ちゃん」
男の首元には蝶の刺青。その羽に刻まれたNo.3の数字。彼は5人の護衛団の一人。その纒う雰囲気は離れている距離からでも感じられた。
「(この人……強い…)」
警告するように敦の身の毛がよだった。静かに額から汗が流れる。だが、それを振り切るように敦は拳を握り締めて、戦闘態勢に入った。隣にいた芥川も同じように構えたのを感じる。
「良い子は疾く帰って寝んねしな……と云いたい処だが、お前等“与太者”を殺したろ?あと、“No.4”とも連絡が取れねぇんだ。俺は仲間想いだから、仲間が殺されたとありゃ黙ってられねぇのよ」
男は立ち上がり、先程から腰掛けていたそれを手に取った。それは持ち手に鎖の付いた大きな斧だった。
敦と芥川は身構える。男が腰を低く落とし、鎖を強く握り締めたその瞬間だった———————。
全身に強烈な痛みが走ったのは。
気付いた時には敦の体は壁にめり込んでいた。口から血を吐いた芥川も同様に。
何が起きたか判らなかった。だが、一瞬見えたのは、ほんの数秒前に男が斧を此方に向かって投げた事。鎖がついたそれは遠心力で曲線を描きながら敦と芥川を横から殴りつけた。
咄嗟に芥川が黒布で横腹を防御しなければ二人の体は真っ二つになっていたかもしれない。しかし、防御したと云ってもその威力と衝撃を防ぐ事が出来なかった。いとも簡単に吹き飛んだ体は壁に激突し、全身の骨が悲鳴を上げた。
敦も芥川も圧迫された肺に何とか空気を送り込んだが、壁にめり込んだままその場から動けない。
「おいもう終わりか?“与太者”を殺した奴等だって云うから期待していたが、こんなもんかよ」
斧を肩に担いだ男が好戦的な笑みを浮かべながらゆっくりと歩いてくる。敦は悲鳴を上げる体を無理矢理動かして、壁から背を離す。その度にパラパラと壁の破片が音を立てて地面に落ちた。
「ッ…おい、芥川……生きてるか?」
「当然だ…ッ。この程度の攻撃…」
口に付いた血を拭って芥川はよろよろと立ち上がる。強がりは相変わらずのようだ。敦は自分も負けていられないと、その場で強く足を踏み締め、構え直した。
強い意志の籠った瞳。気弱で脆弱そうな見た目からは想像もできないその力強い瞳を見て、“No.3”は愉しそうに笑みを深めた。
「準備運動にはなりそうだな」
***
結局、二人だけになってしまった。
中也は速足に足を進ませながら舌打ちを溢した。少し離れた後では太宰が口笛を吐きながら呑気に歩いている。その態度が先程から中也の気に障り、何度蹴り飛ばしたくなった事か。
「あーぁ、歩きすぎて足が痛くなってしまったよ」
「……。」
知るか、と思いながらも中也は無言を貫き通す。
「疲れたなぁ。ねぇ、もう少しゆっくり歩いてくんない?そんなに急がなくても麗しの女王様は逃げないさ」
「俺が捜してんのはルナだ!!」
疾くも反応してしまった中也はクワッと叫びながら振り返る。ルナと逸れてから既に数時間が経過していた。時間が経つにつれて、焦りと不安が中也の中で蓄積されている。一刻も疾く逢いたい思いで捜していると云うのに、一人残った相手は緊張感の欠片もない太宰だ。中也の苛々も募る一方だった。
「そんなに焦っても仕方ないだろう。携帯は通信妨害されて使えない上にこの地下の広さだ。人一人見つけるのは骨が折れる」
そう云って中也の前を歩き出した太宰は再び呑気に口笛を吹きだす。その様子を訝しげに睨んだ中也だが、今太宰が云った言葉に違和感を感じた。
人一人探すのは骨が折れる?
それを無謀としているのなら、何故太宰はこの拠点に入り、女王を探しているのか。
「否……違えな。太宰手前、今の今まで女王を探してねぇな?」
ただ宛てもなく地下の拠点内を彷徨っていた。敵に見つかれば撒き、見つかれば撒き。それを繰り返して、実際は何もしていない。ターゲットである女王を探すことすらしていない。
中也の問いに足を止めた太宰は首だけ振り返り、不敵な笑みを浮かべた。
「おや?今更気付いたのかい?」
その笑みと小馬鹿にしたような物言いに中也は青筋を浮かべる。必死になっている人をまるで掌で弄ぶかのようなその笑みはいつ見ても腹立たしい。
「女王を探す必要はないさ。だって、こうやって女王の城の中をただ歩いていれば、向こう自ら動き出す。今私達二人だけになったのが、その証拠さ。………ほら、お迎えが来たよ。女王か、それとも騎士か」
太宰が前方を見据えた。
コツ、コツと革靴の音が響き渡る。鳴り響く足音一つ一つに無駄がなかった。
前方から現れたのは女王ではなく、男だ。英国の近衛兵のような黒い服装で、腰には鞘に収められている剣が下げられている。その佇まいは頭の天辺から爪先まで無駄がなく、一切の隙が感じられなかった。騎士という言葉が最も似合うような男。
「喜べ。貴様等はあのお方に選ばれ、その身と命を女王に捧げる事を許された」
その男は抑揚のない声でそう告げた。太宰と中也は無言で男を観察する。詰襟の服の為、はっきりとは見えなかったが、そこから覗く怪しげな蝶の刺繍。その羽に刻まれたNo.1の数字。5人の護衛団の一人であり、No.1の実力を持つのがこの男だった。
「それは光栄だ。ならば今すぐに女王様の許に案内して貰おうじゃないか」
太宰が宛てもなくこの拠点を彷徨っていた意味が漸く判った。ルナを分断し、敦と芥川を分断し、そうやって排除と選抜を繰り返していた。そして、この男、“No.1”が先程云った言葉によると女王に選ばれたのは太宰と中也なのだろう。太宰はこれを待っていたのだ。
しかし、太宰の言葉に無表情だった“No.1”が目を吊り上げ、威嚇する番犬のように奥歯を噛み締めた。
持っていた剣を鞘ごと腰から抜き、その先端を地面に叩きつける。ガシャンと金属の音が辺りに響いた。
「図に乗るな。我が女王の城に土足で踏み込む不届き者共が。本来ならば貴様等はこの剣に貫かれる運命。だが、女王様は貴様等の身を望まれている。あの方の望みである以上、此処で殺す訳にはいくまい」
“No.1”が鞘から剣を抜く。それを胸の前で掲げ、鋭く眼光を光らせた。
「しかし、私にとっては貴様等など女王の命を脅かす害虫に過ぎん。故に女王の騎士として五体満足であの方の許へ届ける訳には行かぬ。息と…‥下半身さえ残っていれば十分だ」
“No.1”の周囲に無数の剣が出現する。それが弾丸のような疾さで太宰と中也に向かって行った。瞬時に太宰が一歩下がり、中也が太宰の前に出た。向かってきた剣を重力の乗った蹴りで弾き落とす。中也と“No.1”の鋭い瞳が対峙した。
「ほう。佳い蹴りだ。ならばこれは防げるか?」
数十本の剣が“No.1”の周りに出現する。それが一斉に中也に向かって放たれた。中也は重力を纏いそれを防ごうとした。だが、数が多すぎる。異能力によってまるで生き物のように宙を飛び交う剣が二人を襲う。中也は舌打ちを零して、背後にいる太宰に呼びかける。
「おい太宰。如何する?これじゃああの野郎の間合いに近づけねぇ」
「この剣は私の異能力でもお手上げだね。剣に触れて無効化しても手を離してしまえば、再びあの男の異能で剣が動く」
中也は向かってきた剣を弾いて太宰のその言葉に舌打ちを零す。剣の雨が降り注ぐ中、身動きが取れない状況では防戦一方だ。
「よし、中也。あのやり方で行こう」
太宰が中也にアイコンタクトを送る。それを読み取った中也は眉を寄せ、「人使いが荒ぇ奴だ」と舌打ちを零した。
中也が太宰と“No.1”の間に立ち、襲いくる剣達を無視して“No.1”の方へと一直線に駆け出した。“No.1”の視界には中也が影となった事で太宰の姿が見えない。必然と“No.1”の視線が中也に集まった瞬間、中也が首を傾ける。そこから突然現れた銃弾が“No.1”の目の前に迫った。中也の背後には拳銃を構えた太宰がいる。“No.1”は目を見開き、持っていた剣を盾に弾丸を防ぐ。
そして、反応が遅れた。
「ガラ空きだぜ」
中也の拳が“No.1”の腹に入る。そのまま“No.1”は後方に勢いよく吹き飛び、その姿が土煙によって見えなくなった。