第十六章 蠱惑な蝶よ、魅惑の花よ





五人は“蝶華楼”の拠点に忍び込んでいた。



最終目標であるのは“蝶華楼”の頭目の排除。そしてもう一つは毒を持つ危険生物である蝶の排除。その吸血蝶がどのくらいの数持ち込まれているのか不明である為、恐らく後者の方が難題だ。


「建物の中に入れたはいいが如何やって頭の処へ辿り着けんだ?」


中也が舌打ちを零して迷路のような拠点の中を見渡す。曲がり角の様子を伺っていた太宰がそこに誰もいない事を確認し、振り返った。


「まあ普通に考えれば一番安全な場所にいるのだろうね。この建物は広さの割に高さはない。となれば地下に広がっている可能性が高い」

「んじゃ下に向かえばいいんだな。……如何した?ルナ」


黙ったまま何かを探っているルナに中也は問いかける。ルナは天井や壁を見上げ、『見られてる』と呟いた。全員の視線がルナと同じように辺りに配られる。


「監視カメラだね。それも一つや二つじゃない。壁や天井の至る所にある。恐らくとっくに私達が侵入している事はバレているだろう。ほら、云ってる側から」


太宰が五人のいる背後を見やる。防弾服を着た男達が銃を構えゾロゾロとやってきた。「いたぞ!侵入者だ!」と先頭を走っていた男が叫ぶと共に此方に銃口を向ける。


「あれだけの人数は少々厄介だ。撒こう」


太宰がそう云って走り出す。太宰に促されるまま逃げてばっかだな、と中也は心の中で舌打ちを溢したが慥かに此処で雑魚に構っている暇はないと思い直し走る。


長い通路、曲がり角、また通路に曲がり角。迷路のようなその建物中を敵を撒きながら走る。走る間にも突き刺さる何者かの視線は至る所から感じた。


その不快感を厭に感じた瞬間だった。


足元が浮遊感に襲われたのは。


中也が目を見張り振り返る。ルナの足元の床が急に真っ暗な穴を開けた。そして、それに吸い込まれるようにルナがその黒い穴へ落ちていく。


「ルナ!!」

『中ッ——————』


伸ばした手は空を切り、一瞬にしてルナの躰を呑み込んだ。そして、そのまま穴が消滅。その場には何も残らなかった。


全員が足を止める。少し後方を走っていた敦と芥川は瞬きの間に起こった事に整理がつかず呆然とルナが消えたそこを見据える。その場で唯一冷静だった太宰が振り返ってルナが消えた場所を見据えていた。


「もう分断されたか。恐らく至る所にある監視カメラから此方を覗き見ている異能者の所為だろうね。空間干渉系の能力かもしれない」

「おい!ルナが狙われたんなら疾く見つけださねぇと」

「いだぞ!あそこだ!」


足を止めていた四人に銃を装備した敵が追いついてくる。太宰は中也の肩を引き、走るように促した。


「此処で立ち止まっても仕方ない。兎に角先に進もう」

「……くそっ」


中也は後髪を引かれる思いでルナが消えたそこを見据える。だが、再び銃弾が放たれ、敵が迫ってくるのを目で捉えると奥歯を噛み締めてその場を後にした。



***





重力に従って落ちていく。


ルナは空中で何かに捕まろうと手を伸ばすが手は空を切るばかり。この高さから地面に体を打ちつければ唯では済まないだろう。ルナは自身の外套に隠し持っていた鎖を取り出す。そして、先端に金属のアンカーがついたそれをルナを思い切り壁に向かって投げた。


アンカーが壁に突き刺さる。鎖が擦れる音が響き、ルナは体に掛かる負荷を鎖に吸収させて、その場に静止した。


ルナはその場にぶら下がりながら上を見た。随分落ちてきてしまった。ここを這い上がるのは難しいだろう。次にルナは下を見る。微かに感じた異質な空気。恐らくこの下にはさらに広い空間が広がっている。


『中也達も地下へ向かうだろうし。……下りるか』


ルナはそう呟き、壁からアンカーを抜く。鎖を上手く扱いながら地面に到達するまで何度も壁にアンカーを刺して下りていった。


そして、漸く地面に足がつく。ルナは鎖を仕舞い、辺りを見渡した。やはりそこには広い空間が広がっている。だがそこは薄暗く、じめっとした湿り気を帯びた空気が漂っている。


「おや?おやおや。てっきり地面に叩きつけられてぐちゃぐちゃになった死体が落ちていると思って来てみれば」


背後から声が聞こえた。ルナは振り返る。此方にゆったりとした足取りで歩いてくる人物。長髪の髪を背後で一束に纏めた男。スラリとした姿勢のその男は口元に怪しげな笑みを浮かべて、ルナを見やった。


「…ふむ。想像していた以上に華奢で可憐な侵入者だ」


顎を掴み小首を傾げてルナを足先から頭の天辺まで舐め回すように見た男は品定めをするようにそう云った。ルナは無表情に男を観察する。先程出逢った男と同じ、首元に怪しげな蝶の刺青がある。しかし、違うところはその刺青の羽の部分にNo.4という番号が刻まれている事。


『(No.4…。あの大砲の男が云ってた5人の護衛団の4番目って事?)』


ルナが男の素性を探っていれば長髪のその男は胸に手を当てて、ルナに向かって頭を下げた。


「貴女のような可憐な女性を痛めつけるのは心が痛みますが、これも我が女王の為。申し訳ありませんが、今ここで死んでもらいます」


男がそう云った瞬間、突然辺りが真っ暗になった。


完全なる暗闇。右も左も判らなくなる程の暗転に感覚が鈍る。その際に現れた大勢の人の気配。静寂だったその場に銃声が鳴り響いた。


数十秒の連続射撃。それが鳴り止み、辺りには火薬の匂いが充満している。No.4の刺青を持った男は暗視ゴーグルをつけ、ニヤリと笑った。避ける隙間もない銃弾が暗闇の中に襲いかかったのだ。体の至る所に穴を穿ち、血を吹き出している死体がその場に転がっている筈だ。その死体の有様を想像し、男は口元を歪めて恍惚と嗤った。


「死体は私が大切にコレクションにします。可憐な女性の死体に花を活けると素晴らしい作品になりますから」


男はゆったりとした足取りで近づく。


「……ない」


だが、そこに死体などありはしなかった。


「ギャアッ!」


背後から叫び声が聞こえ、長髪の男は振り返る。叫び声がまた、一つ、また一つ。男を辺りを見渡す。銃を持っていた部下達が首から血を流して絶命していた。


「な、何故だ!?まさかこの暗闇の中見えているのか!?」


暗視ゴーグルかけた目を見張り、冷や汗を垂らしながら辺りを見渡した男は暗闇の中に揺れ動くそれを見た。


黒い外套、首元には緑のマフラー、毛先だけ白銀に染まった水浅葱色の髪。


そして、それは美しい髪をゆらりと揺らし、振り返る。


闇の中でさえ光る鋭く血のように鮮やかな右目がそこにあった。


「み…見える筈が、ない……」

『見えるよ』


鋭い瞳孔が赤く光る。まるで猛獣に睨まれたような恐怖。狩られる側の、命を奪われる側の漠然とした恐怖が男にあった。


「有り得ない。暗視ゴーグル無しでは……。このような突然の暗闇、人間の目では対処できない。まだ、30秒も経ってないんだぞ!」

『人間の目じゃないもの』


酷く当然のようにルナは云った。暗闇の中で何かが揺れ動く。ルナの足元から湧き出るように溢れ出したその影が歪な形を保ちながら赤い双眼を光らせた。


男はその場に膝をついた。絶望な迄の恐怖。目の前にいるのはただの女ではない。その殺気に触れれば、暗闇など何の役にも立たなかった。


今まで自分は悪辣的な戦略で何人もこの手で葬ってきた。卑劣で卑怯だと云われようが殺して仕舞えば勝つのは此方。


「(このやり方を女王様は褒めて下さった。私を認めて下った)」


敵を捩じ伏せる力などなくともいい。ただ自分はこの陰険で卑怯なやり方でいい。


だが、今は如何だ。膝が震え、立っているだけでもままならない。そのやり方は通用しない。圧倒的な力を前にしたら、それは何の意味もなかった。


男は地面を這いつくばるように恐怖の元凶に背を向けて、ポケットから震える手で通信機を取り出した。


「む、無理だ。無理だ無理だ。この女はやばい。頼むNo.1、No.2今すぐ来てくれ、ば、化け物だ。化け物がいるぞ!疾くきっ———————」


ぐさり、と後頭部から額にかけて銀色に光る刃が貫通した。するりと通信機が男の手から落ちる。



ルナはそれを足でぐしゃりと踏み潰した。そして、絶命した男を何の感情もない瞳で見下ろし、男の頭から短刀を引き抜いた。


『先刻まで可憐だ何だと吐いてた癖に掌返して人を化け物呼ばわりだなんて、失礼な。まあ、化け物呼ばわりは慣れてるから如何でもいいけど』


ルナは血のついた短刀を払い、懐に戻した。暗闇の中、虫の息さえない。ただ生暖かい空気の流れる臭いだけが広い空間を漂ってるだけ。



ルナは一度瞳を閉じる。血の臭いが混じる空気を吸い込み、吐き出した。そして、ゆっくりと閉じていた瞳を開き、暗く長い道を駆け出した。










9/22ページ
いいね!