第十六章 蠱惑な蝶よ、魅惑の花よ



———————マフィア地下秘密通路。


太陽の光を遮断し、蛍光灯の淡い光だけが灯る地下。床や天井、壁の至る所に配管が複雑に絡み合い、まるで鉄でできたジャングルのような場所だ。


その歪な鉄の道を中也は目的地に向かって歩いていた。一歩進む度に乾いた鉄の音が鳴り響く。


「協力者ねぇ…」


首領である森から任務が課せられたのが数時間前。例の危険生物の件だ。てっきり会議に呼ばれた3人と部下達だけで行うと思っていた今回の件には如何やら組織外部の協力者がいるらしい。それを知ったのが、会議が終わってから更に数時間後。今はその協力者と落ち逢う密会場所に向かっている最中だった。


その密会にマフィアの隠し通路を選択するのだから、相手は余程信頼できる者なのか。


「んで?ルナはもう行ってるのか?」

「恐らく。我々より先に協力者に逢うと連絡がありました」

「…そうか」


中也の問いに後ろを歩いていた芥川が答えた。今ルナは先にその協力者と逢っている筈だ。その連絡が中也ではなく芥川に行った事に疑問に感じながら足を進ませる。


通ってきた道より開けた場所。蛍光灯の光が照らしていたが、時にそれがチカチカと点滅を繰り返す為、そこが明るいとも感じなかった。


「……な、」


声を失ったのは中也だった。


ひらひらと態とらしく手を振る協力者と思われる人物を見て中也は思わず叫んだ。


「何で手前が此処に居やがる!糞太宰!」


響き渡った叫び声に太宰は顔を顰めて両手で耳を塞ぐ。


「相変わらず動物園の猿如く五月蠅いね君は。生憎とバナナは持っていないのだよ」

「誰が猿だ!つか協力者ってのは手前か!?」


そうだけど?と太宰は肯定する。太宰の背後には顔を強張らせて目を泳がせている見知った白髪の少年が一人。如何やら協力者というのは太宰一人だけでないらしい。此処に協力者としてきたという事は例の件は探偵社関連でもあるのだろう。


中也は太宰と敦から視線を逸らす。そして、その場にいたもう一人の人物に目をやった。


ジッと黙って地面を見据えているルナ。誰を見るでもなく、何を考えているのか判らない程、その顔には何の感情も感じられなかった。


そんなルナを見て、中也は鋭く冷たい目を太宰に向けた。


「手前等の協力なんざいらねぇよ。この件はこっちで片付ける探偵社は引っ込んでろ」

「それがそうもいかないのだよねぇ」


そう云って肩を竦めた太宰は視線を下へ移し、いつもより低い声で続けた。


「寧ろこの件は探偵社の案件だったんだ。数日前、探偵社は危険生物である例の蝶とそれを持ち込んだ犯人の捕獲の依頼を受けた」


だが、その調査中に武装探偵社の一人、国木田独歩が蝶の毒にやられ、瀕死の状態で発見された。探偵社の中で判断力や武力に長ける彼でもこの件の解決に至らず、結局犯人の足取りも掴めていない。


「毒を貰った国木田君は結構重症でね。致死量ではなかったにせよ、今は絶対安静だ。体に入った毒は与謝野先生の能力でも治療できないから厄介なのだよ」

「だから、俺達に協力しろと?」


太宰の話を聞いて中也はそう問うた。探偵社でも解決できない事件。このような密会場所だとしてもあの探偵社がマフィアに協力を要請するとは考えられない。しかし、街への危険因子を排除したいのは何方も同じ。今回この件に太宰が動き、協力関係を結ぼうとしているのは———————。


「否、違えな。手前が借りたい力はマフィアじゃなくて、

———————ルナだけだろ」


その場の空気がピリッと音を立てた。太宰は視線を中也に向ける。中也も太宰に鋭い視線を送った。数秒の間二人は睨み合っていた。その様子を敦と芥川は冷や汗をかきながら見守り、ルナは不安そうに瞳を揺らしていた。張り詰めた沈黙の後、太宰はまるで中也を挑発するように小首を傾げた。


「そうだと云ったら?」

「だとしたら交渉決裂だ」

「森さんの命令を無視するのかい?」

「違えよ。この任務には俺と芥川だけで参加する。それで文句ねぇだろ」


中也はそう云って歩きだし、今までずっと黙っていたルナの手を掴んで踵を返す。ルナは中也に手を引かれるまま何も云う事が出来なかった。


「まあそう云うと思って態々君を呼んだんだけどね。ルナが不参加なら、君にはしっかりと働いてもらうよ中也」


意味深なその言葉に歩みを止めたのは中也ではなく、ルナの方だった。ルナが足を止めた事に気づき、中也も止まる。ルナは深く俯いており前髪に隠れた顔はよく見えない。


「……ルナ、帰るぞ。首領には俺から話をつける。あんな奴の話なんざ聞かなくていい」

『それは、出来ない』


袖に隠れた拳を握り締め、ルナが顔を上げた。中也はその時のルナの表情を見て、目を見開く。ルナはそんな中也の手をそっと離させ、後ろに振り返った。


『太宰、私も協力する』


いつもより静かな声でルナは云った。そのオッドアイの瞳には何の感情もない。


『でも、条件がある。アンタならそれが何か判るよね?』


だが、目の前にいる彼女は太宰の知る昔のままではない。そこに感情が見えなくても、ルナの意思が慥に瞳の奥に宿っている。


それを見据えて太宰は瞳を閉じた。


「いいだろう、交渉成立だね」


この場の圧に押し潰されそうだった敦は何とか無事に交渉を終えた事に安堵の溜息を溢す。芥川は太宰の人選に選ばれた喜びと上司たちの雰囲気に戸惑いながら複雑な気持ちで見守っていた。



そして、中也は此方に背を向けたままのルナを見つめ、黒手袋を嵌めた拳を強く握り締めた。






***






外では雨が降り始めていた。


雨粒が地面を打ちつける音が地下通路にも反響して、少し耳障りだった。


中也は太い配管に腕を組んで寄り掛かる。少し離れた処では太宰が探偵社の誰かと携帯で話をしており、今はそれが終わるのをただ待っていた。


「……。」

『……。』


沈黙。中也が寄り掛かっている配管の上に腰掛けたはいいが如何話を切り出したら良いかルナには判らなかった。


屹度中也はこの任務にルナを参加させたくなかった筈だ。それはこれが危険な任務だから、と云う理由だけではない。中也がこの任務からルナを遠ざけたかった一番の理由をルナは判っていた。だが、そんな中也の想いを振り切ってルナはこの任務に参加する事を選んだ。


『………中也…』

「………。」

『…その……ご、めんね』


口から出てきた言葉は謝罪の言葉だった。この言葉が適切だったか判らない。だが、謝罪以外に他に何も言葉が見つからなかった。中也は腕を組み、無言のまま前を眺めている。


『中也は私を心配してくれたのに、勝手に決めて…』

「なら今すぐ任務から降りろ」


漸く言葉を発した中也だったが、その言葉は冷たかった。ルナは口を噤む。首を縦に振ることも横に振ることもせずただジッと前を見据えた。


「……なんて、今更云えねぇだろ。あんなはっきり云われちゃあな。どうせ俺が無理矢理引き摺り戻しても手前はこの任務に参加した。そうだろ?」

『うん』


あの時、顔を上げたルナの表情を見た時気付いた。『出来ない』とはっきりと云ったルナには何か譲れないものがあるのだと。あの時のルナの顔を見た時そんな気がしてならなかった。だから、それ以上何も云う事ができなかったのだ。


「それに独断で勝手な事をしたのは俺の方だしな」

『そんな事ない。だって中也は—————』

「よし!っと」


ルナの言葉が遮られる。突然無駄に声を張り上げた太宰が携帯を切って振り返った。その場にいた全員の視線が太宰に向いた。


「そろそろ任務開始と行こうか」


人差し指を立ててにこりと微笑んだ太宰に、中也は舌打ちをして寄りかかっていた配管から背を離す。


「ったく、何で毎度あの野郎が仕切りやがんだ」

乱暴な足取りで歩き出した中也の後に続いてルナも配管から降りて歩き出す。しかし、ふと足を止めた中也が振り返り、そっと手を伸ばしてルナの頬に優しく触れた。


「もう任務を下りとは云わねぇよ。だが、絶対ェに無理だけはすんなよ」


青い瞳が真っ直ぐ此方を見据えている。ルナはその瞳を見つめて、小さく微笑んだ。頬に触れる温かい手に自身の手を重ねそっと目を閉じる。この時、ルナは頷く事は出来なかった。だから、返事の代わりにその愛しい手に擦り寄って、口付けを落とした。



「ねぇそこイチャついてないで、任務に集中してくれ給よ。ほんっとこれだから最近の若者は」

「五月蝿えッ!万年サボりマンがどの面下げてほざいてんだ!」



、、、、、、、。




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