第十五章 熱を乞う雪を欺く




その後、中也とルナは小型機が落ちたであろう地点へ行き、そこで兵器を見つけた。


掌に収まる程の大きさしかないが、それは世界を変え変えない力を持っている。故にそれは公に存在してはならない。然る場所で闇に保管されるべきだ。


「矢張り君達に任せてよかった。ご苦労だったね」


無事に任務を終えた二人に功労の言葉をかけた森は静かに微笑む。中也もルナも今後森がその兵器を如何するのか問わなかった。二人の任務は兵器の回収とターゲットの排除。そして、その任務は遂行した。だから、二人はそれだけで十分だった。


そして、またいつもの日常が始まる……

筈だったのだが———————。






ピピッ。


「……マジかよ」


中也は熱い吐息を吐き出して、眉を顰めた。中也の手にあるのは体温計。38.6℃。その温度が示すのは如何に。


「…なんか一日中だりぃと思ったら熱あるじゃねぇか。……まさか此間の雪山で体調崩したか?」


雪山での任務後、溜まった仕事を片付ける為手早くシャワーで済ませたのが悪かったか。否、だからと云って体を温める事を怠った程度で此処まで熱が上がるとは五大幹部として如何なものか。


「今日は早めに仕事切り上げて正解だったな。立原に顔色悪りぃと云われた程だから相当だったんだろうな」


熱があるのでは?と指摘された時は「な訳あるか」と強がったが、その時から大分体は怠かった。まだ仕事も残っていたし、体調不良で仕事を投げ出す訳もいかずにいたが、この体温はまずい。何とか家に帰ってきて体温計で測ったらこの様だ。


クロスタイを緩めて中也はそのままソファに寝転がる。全身がだるい。鉛のように重く、立っているだけで疲れる。熱は高い筈なのに体には寒気もあった。これは重症だと中也は天井を仰いで溜息を吐いた。


「熱出すのなんざ、何年振りだろうな」


小さく呟き中也は目を閉じる。氷枕でも用意したいが、もう立ち上がる気力もなかった。おまけに熱の所為で眠れる気がしない。何度も寝返りを打ち中也は額に腕を置いた。



しかし、その直後に電話が鳴る。怠い体で腕を伸ばし、床に落ちていた外套から携帯を取り出した。立原からだ。


「何か…用か?」

〈「あ、中也さん?大丈夫すか?」〉

「まぁな。……手前の云う通り熱あった」

〈「やっぱり…。いつもよりフラフラしてましたもん」〉


部下に気付かれる程とは一体どれだけ体調が優れなかったのか。気を張っていた所為で自分の体調に気付かなかった。中也は携帯を耳に当てたまま溜息を吐き出して、ソファに伏せる。


「悪りぃが寝る」

〈「お大事にしてくださいよ」〉

「嗚呼。それと、俺が熱出した事はルナには云うなよ」

〈「え…?何でですか?」〉


吃る立原に「何でもだ」と云い聞かせて携帯を切ろうとしたが、通話口から聞こえてきた謝罪の言葉に中也はただでさえ悪い顔色を更に青褪めさせた。


〈「もうルナさんに“中也さんが熱あるかも”って云っちまいました……」〉

「はぁっ!?」


中也は思わずソファから飛び起きる。先刻まであんなに怠かった体が嘘のように動いた。それも仕方ない。怠さよりも焦りの方が大きかったから。


その数秒後、何処からか音が聞こえてくる。風圧が窓を揺らし、巨大な何かが落ちてくるような轟音が響き渡る。中也は顔を蒼白させ、首を機械のようにギギッと動かし、視線を窓の方へと向けた。


弾丸のような疾さでこちらに向かってくる白い獣。真っ直ぐ一直線に向かってきたそれは窓に当たる直線で黒い影となった。


刹那、黒い影に包まれながらルナが窓を蹴破って部屋に入ってきた。衝撃音が響き渡る。高層ビルが大きく揺れた。


遠くから此方に向かってくる影を目で捉え、ルナが飛び込んでくるまで数秒もなかった出来事に中也は声を失った。


パラ、パラと割れた窓ガラスが光のシャワーのように落ちる。ビルに突っ込んできた当の本人はまるで猪のような勢いで此方に詰め寄ってきた。


『中也!?熱!?熱あるの!?大丈夫なの!?ああッ!おでこ熱い!!熱あるじゃん!!大変!!』

「おまっ……なッ…」


ほぼ頭突きの勢いで熱を測られた。内部からだけでなく外部の頭痛が増え中也は上手く言葉を発する事も出来ずにただ砕け散った窓を眺める事しかできなかった。


『一体いつから熱あったの?直ぐに云ってくれればもっと疾く駆けつけたのに!たっちーに中也が熱出したって聞いて私居ても立っても居られなくて!』

「気持ちは嬉しいが手前あの窓」

『窓…?』


頭を抑えながら窓を指差した中也にルナは首を傾げる。振り返るとそこには無惨に砕け散った窓硝子の破片。


『まさか……中也が熱で弱ってる今を狙って敵組織の連中が襲撃に来たのね!待ってて!中也を狙った糞野郎共の首を刈り取ってくるから!』

「手前が突っ込んで来たんだろうがッ!!一分前を思い出せ!」


短刀を取り出して駆けていきそうだったルナの首根っこを引っ張り叫ぶ中也。叫んだ反動で視界がぐるりと回った。よろめいて倒れそうになった中也をルナが慌てて支える。


『大変!もっと熱あがっちゃう!寝てなきゃ駄目だよ!ソファなんてダメ!ベッド!ベッドで温かくして寝なきゃ!あとこれ薬とか色々買ってきたから!』


中也がソファで寝ていた事を悟ったルナはそれはいけないと先程中也の家に来る前に購入した看病グッズを手に持った。熱が上がるのは誰の所為だと思いながらルナに支えられていれば突然体が浮遊感に襲われる。


「……は?」

『安心して中也。熱が下がるまでつきっきりで患者してあげるからね』


ルナはその細腕で中也を横抱きに抱えた。中也は呆気に取られた顔のままされるがままに寝室へ強制連行される。まさか彼女にお姫様抱っこされて寝室へ運ばれるとは。既に中也の矜持がズタボロである。


「幾ら病人だからってよ。……あの抱え方はねぇだろ」

『え?おんぶの方がよかった?』

「はぁ」


寝台に中也を寝かせたルナは買ってきた看病グッズを漁りながら問うたが、中也は溜息を吐いた。


「それより凄え量だな。一体何買ってきたんだ?」

『薬とか氷とか栄養剤とかその他色々』

「…氷なら冷凍庫にあるぞ」

『余分にあったっていいでしょ。はい、氷枕と冷たいタオルね』


中也の頭の下に氷枕を、額に冷たいタオルを置く。序でに体温計を咥えさせられ、中也は黙るしかなかった。中也はルナを横目で見やる。買い物袋から次々と大量の栄養剤が出てくるのは気のせいだろうか。体温計が鳴り、ルナがその数値を見て目を丸くする。


『38.9℃もあるじゃない!首領呼んだ方がいいんじゃ』

「否それだけは止めろ。首領に迷惑はかけられねぇ」

『でも』

「風邪なざ。寝りゃ自立で治せる」


そう云って布団を被った中也にルナは心配の眼差しを向ける。幾ら体力お化けの中也でもこんな高熱で元気な筈がない。ルナは意を決して先程買ってきた買い物袋を持ち上げた。風邪はしっかり食べて寝てなんぼだ。


『待ってて中也!今お粥作ってあげるから!』

「は!?待てッ!絶対ぇやめろ!!」

『大丈夫!首領にはバレないように作るから!心配しないで!』

「いやそうじゃねぇ!こんな熱でお前の手作りを食ったらしッ……っ」


ルナ本人の前でこれ以上は云えなかったが、確実に死ぬ。ルナが料理をすると云う事は、つまり毎年恒例の悪夢再びだ。家の台所が焼け野原になり、出来上がるものは殺人料理。今の体力では到底耐えられそうにない。


『お米はあるし、色々体に効きそうなものあるから大丈夫。中也は安心して寝てていいからね』


労わるような優しい微笑みだが今の中也にはそれが悪魔の微笑みにしか見えない。その体に効きそうなものとは先程買い物袋に入っていた大量の栄養剤だろうか。


「(ルナの事だ。粥にあれを全部ぶち込みかねねぇぞ)」

『それじゃ作ってくるね』

「まッ待てルナ!」


中也は思わず起き上がり、ルナを必死に止める云い訳を回らない頭を動かして考える。汗をダラダラと垂らしながら中也は苦し紛れの云い訳を思いついた。


「ま、万が一首領にバレたら俺の誕生日に料理作れなくなるぞ。…その、た、楽しみが減るだろ。だから、作らなくていい。今は腹も減ってねぇしな」

『中也』


ルナが瞳を潤ませながら振り返る。


『私の手料理を毎年そんなに楽しみにしてくれてたんだ。嬉しい。……判った。今度の中也の誕生日にはより一層腕によりをかけるからね』

「……お、おう。……楽しみに、してるぜ」


発言しといて中也は後悔した。一体次の誕生日にはどんな殺人料理が出来上がるのか。考えるだけでも失神しそうである。


『さ、中也。熱もあるんだし。ちゃんと寝なきゃ。ね?』


中也に布団をかけ寝台の縁に座ったルナが優しい声で云った。


「(……先刻まで眠くなかったのにな)」


一人ソファで寝ようとしても高熱の苦しさで全く眠れはしなかったのに、今ではその優しい声に誘われる。


傍にルナがいる。


それだけで中也は心から安心感に包まれ、気づかぬうちに瞼が落ちていった。







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