第十五章 熱を乞う雪を欺く


『待って…。何か見える』


足場の悪い雪道を歩く事約一時間。


ルナの視界に何かが映った。山の木々の間から目を凝らして、動いている何かを捉える。その姿形からして、人間だ。それが列をなして歩いている。


「ターゲットの野郎か?」

『多分、違う。あれは…、軍警?』


重装備の屈強な男達。その身に付けている装備から彼等が軍警である事が判った。恐らく彼等が此処に来た目的は此方と同じだろう。


「チッ。兵器が奴等の手に渡ると厄介だな。彼奴等より先にターゲットを見つけ出さねぇと」

『足止めする?何か情報持ってるかも』

「嗚呼。軍警との面倒事は簡便だがこの際とやかく云ってられねぇ。行けるか?ルナ」

『当然』


ルナは懐から短刀を取り出し頷いた。中也もルナに頷き返し、足元に重力を込めて飛躍した。中也に続いてルナも駆け出す。


中也が列の戦闘を歩いていた男の背後目掛けて飛び蹴りをかます。隕石が落ちたような爆風がその場に巻き起こり、列を成していた軍警の男達がその勢いに吹き飛ばされる。


「な、何者だ!?」


隊のリーダーと思われる男が腕で雪が混じった爆風を防ぎながら叫んだ。


「悪ィがこの先は行かせられねぇ」


暴風が晴れ、そこから姿を現した中也がニヤリと口角を上げ軍警の男の前に立つ。彼は直様手に持っていた機関銃を構え、銃口を中也に向けた。


「特別捜査班!敵襲だ!全員銃を構えよ!射撃を許可する!!」


辺りに男の叫び声だけが虚しく響く。静まり返ったその場に男は冷や汗を垂らして、此方に歩いてくる人影を見やった。


『残念だけどもう貴方一人だよ』


血を滴らせた短刀を片手にルナが無表情に云った。ルナの背後奥には雪の上に倒れている同僚達。白い雪に赤い鮮血が広がっていくのが見えた。男は突然現れた彼等に視線をやった。この二人が何者か判らない。だが、その身に感じた恐怖が彼等が只者でない事を物語っている。銃を握る手に力が入った。


「手前等も或る兵器を持ち込んだ元軍人を追って此処に来たのか?」


中也の質問に男は一度間を置いて頷く。固唾を飲み込むように乾いた喉を動かし、ゆっくりと口を開いた。


「この雪山には大戦末期に使われていた軍事施設がある。今じゃ整備される事もなく廃墟に成り果てているだろうが…。恐らく奴はそこに向かっている筈だ」


男の話に嘘はないだろう。首領の話でも嘗て此処に軍事施設があったと聞いた。しかし、その場所の詳細は軍の上層部とそこを拠点とした者しか知らさせていない為、場所の特定は難しい。


その為、中也とルナは当てもなくこの悪天候の雪山を彷徨う事しか手段がなかったのだが、軍の部隊と此処で遭遇したのはある意味好都合だ。


「手前等ならその場所知ってんだろ。地図になるもんよこせ」


中也が鋭い視線で軍警の男を見下ろす。男は奥歯を噛み締め、額から冷や汗を垂らしながら自身の懐を探った。


ルナは中也の背後でその様子を眺めていた。だが、ふと視界の端にキラリと光るものが見え、振り返った。


『中也!』


ルナの叫びに中也が反応する。中也の直ぐ横を通った弾丸が軍警の男の腕を貫通した。


「がッ…!」


男が痛みに呻き、血が滴る腕を押さえてその場に蹲る。二人は銃弾が飛んできた方へと視線を向けた。中也とルナがいる場所から遥か上。壁のように聳え立つ雪の崖の上に人影があった。


灰色の布を体中に巻いた男。目元だけを晒し、崖下にいる中也達を怜悧な視線で見下ろしている。顔ははっきり見えないが、その体躯は大きく、見下ろす視線は幾多もの戦場を生き抜いてきた戦士のようだった。


「向こうからお出ましたァ。手間が省けたな」


恐らく彼が元軍人のターゲット。彼から兵器を回収し、始末すれば任務完了だ。


「俺が行く。手前は此奴を見張ってろ」

『判った。気を付けてね』


中也は足元に重力を込めて飛翔する。雪で出来た崖は足場が悪い。それでも元軍人の男との間を詰めて中也が登っていく。


その様子を焦ることなく無表情で見下ろしていた元軍人の男は視線を下の方へやった。そしてその場に屈み込み、雪で覆われた地面に手を付いた。その瞬間、地面が振動を立てた。


その振動を感じた中也がその場に止まり地面を見遣る。そして突如、足元の地面が爆発した。雪に混じった爆風が中也を包む。視界が覆われ、何とか崖壁に着地した中也は状況を確認する。


「何だ?いきなり地面が爆ぜやがった」


まるで地雷のような爆発。それが突然足元で起こった。





『中也…』


ルナは崖下で中也がいた場所を不安に見据える。中也がいた場所がいきなり爆ぜ、爆風と雪が舞い上がり中也の姿が見えなくなった。


「奴の能力だ」


軍警の男が呟いた。ルナは振り返り、男を見据える。軍警の男は俯き、血が滴る腕を押さえながら続けた。


「通称“地雷”。それが奴につけられた渾名だった。奴は地面に触れることで地雷に似た爆発を起こせる。その能力がある故に、奴の間合いに近寄ることすら難しい。
……貴様等はあの男が持っている兵器を手に入れる為に奴を追っているのか?」

『だったら何?』


突然話し出した男を不審に思いルナが冷たく云い放つ。その返しは肯定とも否定とも云える言葉だったが、軍警の男にはもうそんな事関係なかった。突然現れた彼等が誰であろうとも、この国の脅かす脅威を排除する事。それが軍警である彼の使命だったからだ。






再び、崖の上で地面が爆ぜる。


中也は舌打ちを零して崖に沿うよう安全な場所に着地する。雪の所為で爆ぜた場所がバリアのように壁を作り、石飛礫のような雪が邪魔をする。


「足場も悪ィ。一気に行くしかねぇか」


こんな悪天候に長期戦は厄介だ。此処でターゲットを見失ったら任務遂行が難しくなる。中也は帽子を押さえ、もう一度飛翔する為に足を踏み踏み込もうとした。


しかし、再び地面が揺れる。
だが、今度はけたたましい轟音と共に。


「なっ!?」


中也は振り返った。自分がいる場所から下。爆発が起きた場所。雪に地割れを起こしたかのような亀裂が入る。それが重力に従い、一気に崖を下った。



物凄い勢いで雪崩れていく巨大な雪の塊。中也は視線を下にやる。そこにはまだ軍警の男と、ルナがいる。


「ルナ!!雪崩だ!逃げろ!」


その叫びにルナは上を見上げる。中也の声が聞こえ無事が確認できた事に安堵した瞬間、視界に崖の上から迫り来る巨大な雪崩が見えた。此方に叫ぶ中也の姿も。


『中也!私は大丈夫だから、逃げ—————』


ルナは振り返る。突然ルナの腕を掴んだ軍警の男。何者にも揺るがない芯の困った声を張り上げた。


「貴様等が何者かは知らないが、あの兵器は軍警で管理されなければならない。故に得体も知れない連中にはこの命をかけても渡さない!」


ルナの躰が金縛りにあったかのように動かなくなった。軍警の男の異能力なのか。そう考えた次の瞬間に、足元が爆ぜた。


地面が崩れ、足場がなくなる。重力に従い躰が落ちると同時に目の前に巨大な雪崩が落ちてくるのが視界に入った。


遠くで中也の叫び声が聞こえ、そして、


———————暗転した。








「ルナ!!!」



中也は崖の下に真っ逆様に落ちていくルナに届くはずもない手を伸ばした。だが、ルナの躰はそのまま雪崩に巻き込まれながら崖下に落下し、見えなくなった。



中也は言葉もならないまま伸ばしていた手を握りしめた。そして、上を見上げる。そこにはもうターゲットである男の姿はなかった。恐らく奴は足封じをしに姿を現したのだろう。


「くそっ」


中也はルナがいた場所まで下り、下を見下ろす。此処は崖上。この高さから落ちたら幾らルナでもひとたまりもない。


凍てつく冷気が満ちている。吹き荒れる吹雪の音は死神の泣き声のように耳を劈く。


ルナが落ちていった崖下は何処までも暗い闇のようだった。







2/8ページ
いいね!