第十五章 熱を乞う雪を欺く




『ふぇ……ぶえっくしょんっっ!』


盛大なくしゃみがルナの小さな鼻から発せられた。しかし、そんな音も凍てついた風の音に簡単に掻き消されてしまう。


「おいおい大丈夫か?だから、もう少し着込んでこいって云ったろうが」

『寒さには強いもん。それより、中也だっていつもの格好と大して変わらないじゃない』


赤くなった鼻を啜りながらルナが眉を顰めて中也に反論する。中也の今の格好はいつも肩に掛けている外套にしっかりと袖を通しただけ。ルナの云うようにあまり変わらないし、防寒対策をしてきたとは云えなかった。しかし、中也は飛ばされそうな帽子を押さえ、ルナの方へ振り返る。


「脚出してる手前よりはマシだ。こんな雪山でンな格好したら風邪引くのも……うぇっくしゅッ」

『ほらぁ、中也だってくしゃみしてる。……大丈夫?』


中也は心配そうに覗き込んでくるルナに平気だと返し、ルナと同じように寒さで赤くなった鼻を啜った。


「しかし、こんな吹雪になるたァ聞いてねえぞ。知ってりゃもう少し対策してきたってのによ」

『山の天気は変わりやすいからね。雪山ってのは聞いたけどまさかこんな大吹雪だとは……。麓にいた時はあんなに晴れてたのに、これじゃあ任務にも支障が出るね』


吹き荒れる雪風。数メートル先さえ見えない灰色と澱んだ白い世界。雪の重みに木々はしなり、追い打ちをかけるように吹く凍てついた風に木々が悲鳴を上げている。



此処は、海に囲まれた横浜の地から離れた或る雪山。


何故二人がこんな場所にいるのかと云うと、それは昨日首領である森から課せられた任務の為であった。





***



———————昨日さくじつ、ポートマフィア首領執務室にて。


「事の発端は大戦末期だ」


淡い洋燈が灯る薄暗い執務室には椅子に腰掛ける森とその前に並んで立っている中也とルナがいた。森は手を組みながら厳粛な声で続ける。


「軍に所属していた或る軍人が敵国の捕虜になった。しかし、彼は敗戦後に母国に無事生還し、同時に一つの兵器を国に持ち込んだ。その後彼は政府に反発してテロ運動を幾つも行なっている記録がある」

『ふーん、国の為に戦った軍人が、戦争のない世じゃ唯の犯罪者か』


資料を片手にルナが無表情にそう云った。その隣で同じく資料に目を通す中也は、神妙な顔で資料を捲っていく。パラパラと紙が捲れる音が執務室に響いた。


「数日前、彼が軍管轄の刑務所から逃亡したらしい。敵国から持ち帰った或る兵器を保管していた軍から盗み出し、現在行方不明だ」

『で?今回の任務は?』

「その犯罪者の始末と兵器の回収」


森は手を組み直し、目の前に立つ二人に期待の眼差しを向けて微笑んだ。


「軍の手に戻る前に君達が回収してくれ。任せたよ。ルナちゃん、中也君」

「承知しました」
『了解でーす』





***


———————とまぁ、こうして任務を受けた二人だったのだ。


その元軍人の逃亡先が此処の雪山の何処かまで突き止めたのは良かったのだが、生憎の吹雪に見舞われたのである。


「携帯は圏外。これじゃあ連絡も出来やしねぇ。かと云って引き返す訳にもしかねぇし。……任務を続けるしかねぇか」

『だね。とりあえずもっと上に登ってみようよ。何か手掛かりがあるかもしれない』


躊躇いなく雪を掻き分けて歩いていくルナを見やり、中也は首を傾げる。首領の命令とは云えこんな悪条件で軍の尻拭いのような任務にルナが文句の一つも零さないは珍しい。ルナの様子に疑問に思いながら中也はルナの後に続く。


「手前、いつになく任務に乗り気じゃねぇか」

『勿論!』


くるっと躰ごと振り返ったルナが、手を合わせて可愛く小首を傾げる。


『だって中也と二人っきりの任務だよ!何時も何時も余計な部下までついてくる任務が多いのに、今回は中也と私だけ。銀世界で二人っきり。ロマンチック〜』

「おい、任務だぞ…。デェトじゃねぇんだからな?判ってんのか?」

『はいはい判ってます〜』


ふふん♪と鼻歌を歌い出すルナに中也ははぁと溜息を零す。溜息すら凍りそうなこの場所は銀世界なんてそんな綺麗なものではない。辺りはどんよりと薄暗く、猛吹雪の所為で目も開けていられない。空気すら凍りつき、吸い込んだ途端に肺に突き刺さるような寒さだ。



中也はその寒さに身震いして暢気に鼻歌を歌っているルナの後に続く。だが、ルナが再び振り返り此方に駆けてきたと思ったらぎゅっと中也の腕に抱きついた。


『こうしたら少しは温かいでしょ?』

「…歩き辛ぇ」


ぶっきら棒にそう云った中也だが腕を離す事なく歩き出す。ルナはそれに微笑み、中也に合わせて吹き荒れる吹雪の中を任務の為進んで行った。








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