第二章 過去に抗う者達よ
何の目的地もなく唯々空を飛ぶ一機の無人機。その中に一人膝を抱えて蹲る少女がいた。少女は泉鏡花。連続殺人という罪で軍警に捕まり、この無人機に隔離されていた。
足首は鎖に繋がれていて此処から抜け出したくとも出来ない。……否、抑も鏡花には逃げ出す
自分には最初から望みなどなかったのだと思い知らせた。自分の中に住まう本性は変えられない。どんなに抗ったって無意味。
もう、全てがどうでもいい。
ピピピ……。
絶望の底へと沈んでいく鏡花の耳に突然入ってきた機械音。その後に続いて聞き覚えのある声が無人機の中に響いた。
〈やあ鏡花ちゃん、聞こえるかい?太宰だ〉
機械の雑音に混じって聞こえる太宰の声。それは鏡花の耳にもちゃんと聞こえている筈だが彼女は全くの無反応だ。しかし、構わずに太宰は続ける。
〈特務課と交渉してね。取り敢えず君を地上に降ろせる事になった。その無人機の操縦法を教えるよ。先ずその操作盤で〉
「……いい」
話の途中で鏡花は消え入りそうな声を出した。声を出しているというより、二文字をただ音として出しただけというようなものだが。
〈もういい……もう私は何も………〉
何の感情も篭っていないか細い声を聞いて、太宰は一度言葉を噤んだ。
「……そうかい、判った。」
そして通信を切ると思われたが、太宰は語りかけるように言葉を発する。
「本当の事を云うとね。探偵社には君を救助する理由がないのだよ。何故なら君はまだ社員ではないからだ」
太宰の云う通り。鏡花は正式な社員にはなっていなかった。探偵社に入る為には入社試験を
太宰のその言葉を聞いて鏡花は思い出す。探偵社で初めて仕事をした時、警官から逃れようとした時、いずれも鏡花は人を傷付けてしまった。
「……私には、きっとその試験は…」
〈気に入らないな〉
鏡花の云おうとした事を怒りの色を混ぜた太宰の声が遮る。
「“元殺し屋に善人になる資格はない”
……君は本気でそう思っているのか?」
太宰は瞳を閉じてもう二度と会えない赤毛の彼を思い浮かべた。マフィアでありながら夢を追いかけ、殺しをしなかった彼を。
太宰はゆっくりと瞳を開いた。そして、通信機を操作してある番号に繋ぎ始める。プルルル……という音が鳴ったのを確認して、「鏡花ちゃん、紅葉の姐さんから聞いたよ」と静かな声で語りかけながら太宰は見えぬ鏡花を見据える。
「___君の暗殺の師は、ルナだったのだね」
「っ……!」
太宰の口から出たその名に、体中を駆け巡った恐怖が鏡花の息を詰まらせる。その様子が音となって聞こえた太宰は鏡花とは別に繋がった通信機の釦に指を掛けた。
「通りで君の暗殺術は秀でていると思ったよ。君を縛る言葉はルナが君に植え付けた鎖だ。時に言葉とは鋼よりも固い呪縛になる。それが君の中に在り続ける限り、君は闇から抜け出せない。………だからこそ」
太宰はそこで言葉を止めた後、指を掛けていた釦を押した。鏡花が一番恐れる事を彼女にさせる為に。
〈『久し振り、鏡花ちゃん』〉
聞こえてきた声に鏡花は顔を上げて身体を硬直させた。過呼吸を起こしたように呼吸が出来ない。呼吸の仕方を忘れたようだった。
酸素が取り込めない間、鏡花の頭の中にポートマフィアにいた頃の情景が次々と浮かび上がる。
表情を一切変えないで人を殺したルナ。血の付いた顔で振り返った時の瞳は体の芯を凍らせるほど冷たかった。
__暗殺者が人を殺す事に躊躇いを持っては駄目。どんな時でも先ず一番に刃を振るう事をしなさい。考えるのは、その後でいい__
__他人を殺す前に先ず自分の感情を殺しなさい。刃が相手に届く瞬間まで殺気を殺さなければ暗殺の意味がない__
__人を殺す時は暗殺する時は刃を暗殺殺気を躊躇わず人を殺して殺して感情を異能力で躊躇うなマフィアでは殺して感情暗殺において不要始めに殺しを無意味暗殺にとって大事闇の世界で事は全ては殺しで才能が殺した人刃を抜く瞬間いつも殺して第一には殺しを殺して殺せば殺す暗殺を血の臭い殺しには染み込んでいつも殺して夜叉殺して暗殺術の殺気を思考を命は暗殺人を殺す殺す殺して邪魔者は全てを殺して暗殺で殺す誰でもあろうと殺して殺して殺して殺して___
それと同時に頭を駆け巡るように流れてきた呪縛の鎖。
鏡花の師であるルナの声。
たったそれだけで、鏡花は恐怖の渦の中に突き落とされたようだった。