第十四章 あの空をもう一度見れるなら




次の日、各地で抗争が勃発した。


銃声、爆破音、悲鳴。


抗争が齎す三拍子が辺りに鳴り響く。


ルナは銃器の交響曲を耳にしながら或るビルの屋上からその戦況を眺めていた。少なくとも今この場で三組織による抗争が繰り広げられている。それはポートマフィアの縄張りまで荒らし始め、最早収集がつかない。これこそが黒幕の思惑なのだろう。この混乱に紛れて現れる筈だ。その為、今回のマフィアの仕事はこの抗争の鎮圧と黒幕の排除。


ルナの仕事は後者だった。戦場から少し離れたこの場所で黒幕が現れるのを待っている。


「師匠すみません。遅れました」


ビルの上から地上を見下ろすルナに駆け寄ってきたのは藍花だった。階段を走ってきたのか息が乱れている。それに藍花の顔はいつもより何処か青い。しかし、そんな事はお構いなしにルナは視線を遠くの景色に向ける。


『私は昨日爆発があったビルに向かう。ランちゃんは此処で待機。下の戦況を常に観察して』

「は、はい!…しかし待機で宜しいのですか?私達も抗争の鎮圧に参加した方が」

『いいんだよ。本当の目的は別だから』

「本当の、目的…?」


冷たい風がルナと藍花の髪を揺らす。ルナがゆっくりと振り返った。そして、藍花の瞳とルナのオッドアイの瞳が静かに交わる。しかし、ルナはそれ以上何も云わずに藍花に背を向けた。


『兎に角、ランちゃんは此処で待機』


藍花が返事をする前に前方から強い風が吹く。その風を遮るように目を閉じ、風が弱まった頃に目を開ければ既にそこにはルナの姿はなかった。



「……。」


地上では抗争が繰り広げられている。銃火器が飛び交い、血が舞い、人が死に絶えていく。藍花はその惨状を上から眺めて、目を逸らすように俯いた。



脳裏に先程のルナの鋭いオッドアイの瞳が浮かんで消えなかった。





***




ルナは藍花を残してきたビルからイヴの足で、数百米離れたこのビルにやってきた。このビルに人はおらず、立ち入り禁止のテープが至る処に貼られている。


砂埃が舞い、幾つもの瓦礫が転がる。砂と埃の乾いた臭いと焦げ付いた臭い。昨日このビルで爆発が起きた。部下の調べによると数台の昇降機に仕掛けられた爆弾が10階以上を過ぎると爆発する仕組みだったらしい。


そう此処はルナが森とエリスと共にの買い物に訪れれたあのビルだった。



ルナは焦げ付いた中を見渡す。爆発の痕とは別に、壁に空いた幾つもの小さな穴。此処で銃が使われた事は慥かだろう。


『(私達が去った後、爆発の混乱に紛れて目を奪った。でも、このビルで抗争が起きた訳じゃない。今頻繁に起こっている抗争は飽く迄目を奪う為の手段に過ぎないのだとしたら……)』



––––––––––––黒幕の正体は…。



『…!』



刹那、ルナは瞬時に横に飛び退いた。


ルナの顔の横を通った光る銀色。


それは、


––––––––––––縄のついた鏢だった。


それが蛇のように宙を彷徨い、軈て放たれた方向とは逆に向かってその刃が戻っていく。ルナはゆっくりと背後に振り返る。そして、無表情にそこにいた人物を見遣った。



『まったく悪い子だね。あそこで待機するように云ったのに。待てすらできないのかな?


––––––––––––ねぇ、ランちゃん』



縄鏢を握り締め、そこにいた人物、藍花は静かにルナを見据えていた。ルナには藍花が此処にいる事に驚いた様子はなかった。だが、不可解な点を感じ、ルナはジッと藍花を観察する。


『それにしても随分と疾いお出ましだね。あのビルから此処まで人間の足なら5分以上掛かる筈だけど、まだ一分も経ってない。一体如何やって此処まで来たの?』



藍花はルナを真っ直ぐに見据えて、震える唇を動かす。


「師匠…、師匠は本当の目的があると、仰いましたね」


藍花はルナの問いには答えず、代わりにポツリポツリと囁くように震える唇を動かした。


「それは、目を奪う異能者であるを始末する事ですか?」

『……そうだと云ったら?』


ルナはゆっくりと躰を藍花の方へ向き合わせて対峙し、小首を傾げてそう云った。そのルナの返しに藍花は俯く。そして、握っていた縄鏢を握り締めた。


「いつから気付いておられたのですか?」

『ランちゃんが嘘を吐いてるって気付いたのは昨日私が首領との買い物から帰った時かな。あの時、私が廊下でした質問覚えてる?』



藍花は昨日の記憶を辿る。




『ランちゃん…、私がいない間何してた?』

「へ……。師匠が首領の元へ行った後はシュークリームを冷蔵庫に運んで、ずっと自主練をしていましたが…」





『あの時、ランちゃんから微かに火薬の匂いがした。でも、ランちゃんはあの日シュークリームを運んだ後、ずっと自主練してたって云ったよね。でも、実際は違う。ランちゃんは昨日此処に来てたんでしょ。爆発が起きたこのビルに』

「…まさか師匠も此処に来ていらしたとは思いませんでした」

『どっかのロリコンのお陰でね』



藍花をそっと目を閉じた。


抗争を鎮圧する為マフィアが動いたのは一連の抗争の黒幕を始末する為。いつかマフィアにバレる日が来ると思っていた。だが、そうならないように努めていた。けれど、今こんな形で直属の上司であるルナにバレる事になるとは。


「これも目を逸らし続けた罰……。でも、まだ殺される訳にはいかないのです。私にはまだやるべき事があるので」



藍花は閉じていた目を開け、手に持っていた鏢をルナに向かって投擲した。何本もの数の鏢がルナに真っ直ぐ向かっていく。これまでルナ直々に暗殺の訓練を受け、一体どれだけの回数を投げてきただろう。結局、今まで一度たりともルナに当たる事はなかった。


『何度も云うけど、ランちゃんの武器は私には当たらないよ』


無数に向かってくる刃にルナは擦りもせず避ける。だが、藍花にも焦りの表情は一切ない。訓練の時とは違う雰囲気を纏った藍花が、鏢を投擲しながら云った。


「えぇ、判っています。だけど、」


ルナは目を見開く。


突然、ルナの視界から藍花の姿が消えた。
それは気配ごと一瞬のことだった。


だが次の瞬間、空気を裂くような音がルナの耳元で鳴った。


そして、静寂。


「…っ」

『成程。これが先刻の答えだね』


藍花の握る縄鏢を片手で掴み、ルナは背後にいる藍花を後目で見下ろした。


瞬間移動テレポートの能力。慥かにこれなら素早く移動もできるし、気配を消さなくても暗殺ができるね』


刃が動かない。藍花はルナの手から鏢を引いたが、カタカタと震えるだけでルナの手から抜く事はできない。寧ろそれ以上の力で引っ張られる。


『だからいつも云ってるでしょ。相手を殺す時は殺気を消せって。折角便利な能力があるのに、殺る寸前に殺気を出してたら全く意味がない』


ルナは氷のように冷え切った声でそう吐き捨て、掴んでいた鏢を思い切り前方へ引っ張った。藍花がその勢いに持っていかれ、体ごと投げ飛ばされるようにルナの前方へ転がった。受け身を取り損ねた体が地面に叩きつけられ、藍花は痛みに呻く。


ルナは手に残った藍花の武器に一度目を遣り、それを片手で回す。そして、地面に伏せている藍花を見下ろした。


『(殺気が消せないだけじゃない。刃に滲む迷い。それがあるからこそ)』


––––––––––––彼女はあまりにも弱い。


暗殺の才能はなく、利便性のある能力を所持しているのにも関わらず全くそれを使いこなせていない。その能力で暗殺という仕事を熟せてもそれは上っ面の体裁だ。一体彼女は何の為に暗殺者でありマフィアであり、そして、今、その組織に刃を向けているのだろう。


ルナは呻きながら地面から起き上がる藍花を見据えた。


『ランちゃんは、本当に嘘吐きだね』


藍花の瞳がゆっくりとルナに向く。ルナは砂埃で汚れた藍花の顔を真っ直ぐに見ながら、続けた。


『嘘を吐く事は別に悪い事じゃないよ。嘘吐きは暗殺において必要なスキルだから。でも、ランちゃんの話は嘘だらけ。まるで狼少女みたい。それじゃあ、自分自身にも嘘しかつけなくなるよ』

「な、んの話ですか?」

『ランちゃんは今一体何の為に戦っているの?』

「そ、それは目を…」


『目を奪っている


––––––––––––貴女のお兄さんの為?』


藍花の瞳が大きく見開かれた。


「な、何故…それを……」


動揺に震える唇はルナの瞳を見て固く閉じられた。ルナのオッドアイの瞳はあまりにも静かで、凪いでいる海のようだった。その瞳を見て藍花は悟る。


「最初から…判っておられたのですね」


自分が嘘をついている事をルナは気づいていたし、目を奪う犯人の正体も知っていた。


『まだ判らない事はあるけどね。ランちゃんが何処まで・・・・共謀者なのか、それとランちゃんのやるべき事って云うのも気になるし』

「……やっぱり、」


藍花は視線を地面に落とした。そして、手に残った縄を緩め、ルナに向き直るように地面に座り直す。


「師匠には敵いませんね」


藍花は小さく苦笑してゆっくり顔を上げた。何処までも遠い空を眺めるように悲しげな顔で、ゆっくりと口を開いた。



「師匠、聞いて…下さいますか?


––––––––––私と、私の兄の話を」






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