第十三章 Hidden pieces of Heart




『それでね。その時樋口ちゃんが階段の上からバーッと駆け上がって一発弾を撃ったの。多分、あの角度からすると敵の異能者を狙った心算だったんだろうけど、それが運良く異能物体にあって異能解除!本当よく頑張ったよね』


ルナと中也は、廊下を並んで歩く。隣ではルナが楽しそうに今回の任務で起こった樋口の武勇伝を語り、中也は相槌を打つ。


「へぇ、そりゃ樋口もホッとしたろうな。芥川の記憶が無事戻ってよ」

『うん!何て云ったって怪我した樋口ちゃんを龍ちゃ……ッ』


突然バッとルナが自身の口を両手で塞ぐ。不審に思い、中也が立ち止まったルナに視線を向けると、ルナは中也の様子を伺うように上目で中也を見た。


『えっと……、か、彼の記憶が戻って樋口ちゃんも嬉しそうだったよ』


うん、うん、と不必要に首を縦に振るルナ。明らかに吃っている。


「…そうか」

『うん、そう。樋口ちゃん嬉しそうだった。私は何とも思ってないから、りゅ……、彼のことなんて』

「……。」


ルナのその物云いに中也はある事に気づき、気まずい息を吐いた。


「(此奴昨日俺が云った事を気にしてんだろうな)」


昨日、芥川に嫉妬したばかりにルナが泣くまで彼女を責めてしまった。醜い感情に駆られ、ルナに酷い言葉を浴びせた。ルナは中也の機嫌を損ねない為に敢えて芥川の名前を中也の前では出さないようにしているのだろう。


中也は特にズレてもいない帽子を被り直して、ルナの頭に手を置いた。


「いつもみてぇに話せ。俺にまで気を遣うんじゃねぇよ」


わしゃわしゃと撫でればルナの髪が指に絡まう。ルナは少し乱れた髪を直しながら、先に歩き出した中也の背を見遣る。


––––––––––––我慢を、させているのだろうか。


昨日、中也が云った言葉は中也の中にある思いそのものだ。良かれと思ってした自分の行動が、中也を傷付ける事になるなら、その行動はルナにとって無意味。しかし、今回はどうだったのだろう。何処までが無意味で、何処までが誰かの為になったのだろうか。


『(でも、中也を傷つけてまで?)』


ルナは自身の首に巻かれたマフラーを握り締める。


『中也が、厭なら……もうしないよ』


ぽつりと呟いた言葉は数米先を歩いていた中也にも届いた。中也は立ち止まってルナに振り返る。マフラーを握り締め、ルナは中也に伝えようと震える唇を動かす。


『中也が厭なら、もう誰とも話さない。関わりもしない。首領…とは、仕事上話すかもしれないけど、でもそれ以外の人とは絶対関わらないようにする』

「…如何した急に。んな事までしなくてもいい」

『でも……っ!』


やけに響くようにルナの携帯が鳴った。ルナはそれを取り出し、『首領…』と小さく呟く。


「報告だろ。行ってこい」

『……うん』


頷いたルナだが携帯をしまい俯いたままその場から動こうとはしなかった。袖に隠れた手を握りしめて、何かを我慢しているかのように下唇を噛んでいるルナに中也はゆっくりと近づいた。


「ルナ」


名前を呼び顔を上げさせる。そのまま痛そうにしている唇に中也は優しく口付けた。


目を見開いたルナが中也を見上げ、噛んでいた唇を離した。ルナが何か云う前に中也はルナの耳元に唇を近づける。


「今夜、俺の部屋に来い。深夜になっても構わねぇから」


真剣な低い声が直接耳の中で響き、ルナは思わず耳を震わせた。中也はルナの頭を数度優しく撫でた後、廊下の先へと行ってしまう。


その後ろ姿を見送った後、ルナは徐にマフラーに顔を埋めた。期待と不安。その二つの感情がせめぎ合って、胸が苦しかった。






***




ルナと別れた後、中也は自身の部屋に戻った。


締め切った室内の空気が重く、暗い空間がぼんやりと生温さを漂わせている。


その空気を肌に感じながら後ろ手で閉めた扉に寄り掛かり、地面に視線を向けた。



『中也が厭なら、もう誰とも話さない。関わりもしない』



先程のルナの言葉が脳裏に響く。
あの時に見たルナの表情も。



「……莫迦か。俺が彼奴にあんな事云わせて如何すんだ」



–––––––––––ルナがルナであればそれでいい。


他人との関わりがあってもなくても、ルナが自分で決めた事ならそれを他人が否定する権利はない。


彼奴は昔とは違う。
もう感情のない人形なんかじゃない。



彼奴は変わった。




〝ほら、だから云っただろう?〟



中也は視線を前に向ける。暗い闇に浮かび上がる影。その闇に同化するように浮かんでいる黒い外套と不気味に光る白い包帯。


闇の番人のように視線の先に現れた影を中也は鋭く睨みつける。



〝“あれ”は感情のない人形のままでいいんだ。だのに、君が心なんて無意味な物を持たせた。結果、それに後悔をしている。〟


「…黙れ」


〝可哀想な中也。“あれ”が変わっていく度に君はこう思うんだ。

––––––––––––嗚呼、心さえなければ彼奴は一生自分のものだって〟



「黙れッつってんだろ!!!」


中也の足元の床が黒い影に向かって裂けた。その亀裂が前方に向い、鈍い音を立てながら黒い影があった場所でピタリと止まる。


「………。」


裂けた床を無表情に眺め、中也は前方に視線を動かす。


黒い人影はとうに消えていた。


否、元からそこに人影なんてない。それは中也が作り出した、ただの幻覚。


中也は幻覚がいた場所から視線を外し、もう一度床の亀裂に視線を落とす。そして、ずるずると壁に寄りかかるようにその場にしゃがんだ。



「……ンな事…思うわけ、ねぇだろ」



ルナの笑顔が、頭の中に浮かんで儚く消えた。







***






「おかえり、ルナちゃん。ご苦労だったね」


首領執務室。通電遮光が閉まり、外の光を一切遮断している室内。淡い洋灯の光だけが執務室を照らしている。その部屋の奥の執務机にいる森は手を組んで椅子に座り、ルナに笑みを向けた。


『首領はほんっといつもタイミングが悪いよね』

「ん?何のことかね」


涼しい顔で首を傾げた森にルナは溜息を吐き出して、特にそれ以上その事について何も云わなかった。


『任務の報告。龍ちゃんの記憶を奪った時計野郎異能者を樋口ちゃんがバーンと一発撃って時計に当たって異能解除してもう一度樋口ちゃんが撃って異能者を始末して、龍ちゃんの記憶は戻りましたとさ。以上。めでたしめでたし』


早口に任務報告したルナは仏頂面でそっぽを向いた。そんなルナに苦笑して、森は指を組み直す。


「報告ご苦労。では、後で報告書をちゃんと書くようにね」

『はいはい。……チッ、じゃあ今呼ぶなよ』

「聞こえているよ、ルナちゃん」


書類に文字を書き込みながら、「そう云えば」と森は話を切り出した。


「君は今回の任務は“私の思惑通り”と電話で云っていたが、いつからそう思っていたのだね」


その問いにルナは視線を森に戻して、腕を組んだ。


『この任務に樋口ちゃんを参加させた時。敵異能力者の排除ならどう考えたって私だけで足りたもの。態々足手纏いになる人間を参加させるなんて、首領からしたら非論理的でしょ』

「はは、云うねぇ」

『でも、首領の今回の目的は部下の育成。部下を成長させたい時、首領はいつも平気で部下を戦場のど真ん中に放り込むような事するけど、樋口ちゃんには子供みたいな意地の悪い試しをするよね』

「おや、そうかね?」


とぼけた顔をしながら森は書き上がった書類をルナに差し出し、話を続けた。


「彼女には期待しているのだよ。まあ、正直に云うと樋口君はこの仕事に全く向いてないが、それも新鮮と云うものだよ。彼女の頑張りは見ていて飽きないからね」

『それが本音か。悪い大人……って、何これ』


差し出された書類を受け取ったルナはそこに書かれているものを見て眉を顰めた。見慣れすぎているその書類にルナは森を見やる。


「今夜の君の任務だ。宜しく頼むよ」

『こんのパワハラ上司』


ルナは手にある書類を握り締めて、踵を返す。乱暴な足取りで扉に向かうルナは誰が見ても不機嫌と云った様子だ。


「如何したのかね。やけに機嫌が悪いじゃないか。そんなに中也君と良い雰囲気の時にお邪魔しちゃったかい?」


中也の名にルナは足を止める。てっきり『判ってるなら呼ぶな』なんて言葉が返ってくると思っていたが、ルナは背中を向けたまま黙って俯いてしまう。その背中には先刻までの苛つきはなく、寂しそうな雰囲気すら伺えた。


『……ねぇ、首領』


届くか届かないかの声量でルナは力無く言葉を発する。森は明らかに沈んでいくルナの言葉を聞き逃さないように耳を澄ませた。


『首領は…、今の私と、昔の私、どっちの方がいい?』


その突拍子もない質問に森は少し目を見開いた。しかし、ルナの真意を探るようにその背中をジッと見据えた後、幼い子供を見守るような目をした。


「それは、組織の長に対しての質問かね?」

『……。』


ルナは答えない。


沈黙を続けて扉の前で俯くルナ。森はルナの問いに応える事は意味のないものだと悟る。何方の答えを森が云ったとしてもルナが求めるものには決してならないだろう。


「ルナちゃん、変化とはこの世界に必然と溢れているものだよ。ただ、人はそれぞれがその変化を受け入れるのに時間が掛かるだけさ。だからこそ、それは今を否定するものではなく、同時に過去を否定するものでもない」

『……。』


ルナは握っていた拳の力をゆっくりと緩める。そして、徐に扉に手をかけ、『…うん』と力無く森に返事をして、扉を開けた。


「否しかし!幼い君はまるで天使のように愛らしかったから何方かと訊かれたら矢張り昔の方が––––––」

『ロリコンなんかに訊くんじゃなかったッ』


机に置かれた写真を手に取り、締まりのない顔をする森に吐き捨てるようにそう云って、ルナは力任せに扉を閉めて出ていった。その振動で部屋の空気が悲鳴を上げたが、直ぐに室内には静寂が訪れる。


森はふぅと息を吐き出して、手に取った写真を元の位置に置く。そして、そこに写る少女を見据えた。


そこには幼いルナが写っている。その顔は作られた人形のように整っていて、また人形のように感情の一切も感じられなかった。



「ルナちゃん、私には君のその問いに答える権利などないよ」


森の声はこの広い部屋には不釣り合いな程に小さい。


「私も他の者達と同じさ。意思も、感情すらなかった君が人間らしく変わっていくなんて微塵も思わなかったからね。

–––––––––––––––––君が彼と出逢うまでは」



写真を見つめるその瞳はまるで写真の中に写る少女に懺悔しているかのように小さく揺れ動いた。






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