第十三章 Hidden pieces of Heart



荒れ果てた廃墟。


先の襲撃で壁にはヒビが入り、床には大きな瓦礫がまるで墓地のように転がっている。一歩踏み出す度にパラパラと音が鳴る地面を歩きながらルナ達は建物の中に入った。


ひび割れた壁から小さな瓦礫が崩れる音の他に、奇妙な音が一つ。



銃弾や爆発によって所々穴の空いた大広間。

左右対称に並ぶ階段の真ん中にそれはあった。



ゆっくりと、確実に時を刻む振り子時計。
そして、その前に腰掛けていた男がルナ達を視界に捉えるとゆっくりと立ち上がった。


「待っていたぞポートマフィア。さあ、黒き禍狗の記憶を取り戻したくば、同胞達を返して貰おうか」


背丈の高いその男は掌を前に差し出しそう云った。


『龍ちゃんの記憶を奪った異能力者はアンタ?』

「そうだ。さあ、疾く同胞達を返せ」


光のない目でルナを睨む男。ルナはそんな男の真意を探るように見据えた後、ゆっくりと口を開く。


『仲間を返して欲しかったのなら、何故私達が乗る車を攻撃したの?そこに仲間が乗っていると考えなかったの?否、知ってるんでしょ。仲間がもう死んでいるって、だから時間稼ぎの為に襲撃した』


ルナのその言葉に男は前に出していた手を下ろした。そして、大きく息を吐き出し、今度は片手を上げた。


「嗚呼、嗚呼知ってるとも。だからこそ、貴様等には此処で死んでもらう。同胞達への冥土の土産にな」


男の合図で建物の奥からわらわらと出てくる傭兵達。芥川は敵の異能により立っている事も儘ならない。地面に膝をついている芥川だが、武装した敵が現れると戦闘態勢をとった。ルナはそんな芥川の前に立ち、彼を手で制した。芥川が横目でルナを見上げる。


『龍ちゃんは何もしなくていい』

「しかし」

『今闘えば四年前の龍ちゃんのやり方で敵を倒すでしょ。そうなれば屹度、“今”の龍ちゃんは後悔するよ』


その言葉の意味は記憶がない芥川には判らなかった。しかし、ルナの声はいつもより真剣さを帯びていた。その聞いた事ない声音に芥川はそれ以上何も云えずに、静かに拳を握り締める。


『それに、私達は囮だしね』


芥川にしか聞こえない声でそう云ったルナは懐から短刀、腰から拳銃を取り出し、ニヤリと口角を上げた。




***


銃撃、金属が擦り合う音。


絶え間なく鳴り響くその音達を聴きながら樋口は手汗が滲む手で拳銃を握り直した。大広間の中心ではルナが芥川の盾となりながら傭兵達と闘っている。芥川を護衛しながらもルナは敵の数を物ともしていない。心配なんて無用と思われるその強さに、樋口は自身の身を引き締めた。自分には自分のやるべき事がある。


大きな瓦礫に身を隠しながら樋口は階段の上で静かに戦場を見下ろしている異能力者を見遣った。その男の背後には芥川の首に刻まれている刻印と似た時計が佇んでいる。


「(あの異能者を倒せば、芥川先輩は助かる)」


そして、その役目は自分に課せられている。ルナと芥川が囮となっている間に樋口が異能者を倒す。これが作戦だった。


そんな重役が自身に務まるだろうか。もし、失敗したら。そんな不安と恐怖が樋口を蝕む。震える手と脚。疾くもその重責に屈しそうになる。


そんな自分がいつも厭だった。自分が弱い事など自分が一番判っている。力のない自分に出来る事など、指の数ほどもない。


「それでも…」


それでも、やらなければならない時がある。


樋口は震える脚に力を込め、歯を食いしばった。墓地のように生えている大きな瓦礫に身を隠しながら少しずつ、異能者に近づく。


階段の下まで行ったら、そこから一気に駆け上がる。そして、男の脳天に銃弾を撃ち込む。一発で仕留めなければ、芥川が危ない。頭の中で、何度も自分の動きを確認する。


脳内で描いたものを戦場において完璧な動きにできる人間は少ない。それができる人間は、ルナや中也、戦闘能力が高い並外れた人間だけだ。



樋口は一つ深呼吸をする。



ルナのような暗殺者なら殺気を殺し、敵に気付かれずにその喉笛を刈り取れるのだろう。しかし、樋口は暗殺者ではないし、決して強いわけでない。得意である銃の扱いもルナには到底及ばない。


ルナの強さが、羨ましい。


けれど今、今、動かなければならないのは自分だ。


樋口は拳銃を両手で強く握り締めて、駆け出した。脚の震えは止まっていた。ただ只管に敵の異能者目がけて突っ走る。



ルナは視界の端に樋口が階段を駆け上がって行く姿を捉えた。そして、口角を上げる。四方にいる敵が銃口から火花を散らす。


『おいで、イヴ』


黒い影がルナから湧き出る。全員の視線がルナから出てきた異様な影に向いた。ただ一人、彼女を除いて。


走りながら拳銃の銃口を階段の上にいる男に向けた樋口。少し遅れて樋口の存在に気付いた男が床に置かれた散弾銃を手に取った。


銃声が鳴る。
続けて、散弾銃の音も。


「ッ」


樋口の手から拳銃が滑り落ちる。
床に赤い血が一滴、一滴と落ちた。


「他にも、仲間がいたのか。だが、ここまでだ。死ね」


額から汗を垂らした男が銃口を腕から血を流す樋口に向ける。樋口は腕を押さえたまま、目を見張った。


弾が放たれる筈の銃口が切断されていた。樋口の視界に映ったのは赤黒い黒布。


「樋口ッ!何をぼさっとしている!」


聞き慣れた、だが、懐かしいその自身を呼ぶ声に樋口は滲む涙を堪え、転がっていた拳銃を握りしめた。


––––––––––––銃声が一発。


額から血飛沫を上げて倒れていく異能者の男。地面にバタリと倒れた男は、そのまま絶命した。


「はあッ、はぁッ」


酷く乱れた息のまま樋口は足元から力が抜けたようにその場にぺたりとへたり込む。茫然と倒れた男を眺めた。


「た、倒した…」


そう、倒した。敵の異能力者を。


「痛ッ」


腕に痛みが走りそこを手で押さえる。弾を掠めただけだが、そこからは血が出ている。最初の一発目を外し、敵の銃口が目の前にあった時、もう駄目だと思った。間近に迫った死に動けなくなってしまったが、あの時、声が聞こえた気がしたのだ。


「あ…!芥川先輩ッ!」 

「大声を出すな。傷に響く」


樋口はこれでもかと目を見張る。何故なら直ぐ目の前に芥川がいたからだ。芥川は樋口の前に片膝をつき、己の首に巻いていた白い布を解いた。そして、それを血が流れる樋口の腕に巻き付けた。


「あ、の、……先輩」

「何だ」

「先輩、記憶が…」


もしあの時、聞こえた声が幻でないのなら、どう云う事なのだろう。敵の異能者が絶命したから、芥川の記憶が戻ったのだろうか。否、しかし、名を呼ぶ声が聞こえたのはまだ敵を倒せていない時だ。


樋口は視線を倒れている男に向けた。その近くには一つの振り子時計。その時計の中心には、一発の銃弾がめり込んでいた。


「苦労を……」


キュッと白い布を樋口の腕に結びつけた芥川はゆっくりと灰色の瞳を彼女に向ける。


「苦労をかけたな、樋口」


樋口の瞳から溢れるように涙が零れた。


「いえっ、いえっ…わ、わたしは、何もッ。芥川先輩の記憶が戻って、本当によかったです。よかったですッ」


わんわん、と子供のように泣く樋口。目の前にいるいつもの芥川の姿に、自身の名を呼ぶその声に泣かずにはいられなかった。



ルナは階段の上で泣きじゃくる樋口とそんな樋口を見つめる芥川を眺めた。そして、徐に携帯を取り出し、ある番号に繋がる。


『任務完了したよ、首領。うん、樋口ちゃんが頑張ったよ。

––––––––––首領の思惑通りにね』


ルナは呆れた声音で電話口の向こう側の人物に云った。携帯からは態とらしい空笑いとお疲れ様、という労りの言葉。それを聞き、ルナはぷつりと携帯を切った。


『おーい、二人共!後は処理班に任せて、私達は疾く拠点に帰るよー!』


ルナの声に二人が振り返る。芥川がスッと立ち上がり、その後に慌てて樋口が立ち上がった。


「あ、あの先輩!お体はもう平気ですか!?宜しければ、肩をお貸ししましょうか!?」

「五月蝿い樋口」

「す、すみません先輩!」


いつものやり取りを繰り広げる二人を見て、ルナは穏やかに苦笑した。







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