第二章 過去に抗う者達よ
それから、一週間と数日が過ぎた。
街には人々が行き交い。今日もいつもと変わらぬ一日だと、誰しも信じて疑わなかった。或る一人の警察官が「平和ですね」と上官に呟く程に街はいつも通りだった。
___だが………。
「街が焼けている!」
「一般人が無差別に殺し合っているぞ!」
「詛いだ!詛いが発動したんだ!」
「このままじゃ横浜が焼かれるぞ!」
バタバタと騒がしくなる拠点内。
そして、耳を劈くように鳴り響く警報音。
鬱陶しそうにソファから起き上がったルナも流石に事の事態を把握した。
Qの異能力で街全体に詛いが発動したのだ。嘗て、Qがポートマフィアで起こした時のように。いや、街全体を巻き込んでいるならそれ以上の悲劇だろう。
ルナはポケットから携帯を取り出し、確認した。連絡は一つもきていない。それを見て、チッと舌打ちを零したルナは窓に近づいて外の様子を眺める。
爆発による黒々とした煙が空を上り、
燃え上がる炎と人々の叫び声。
幾多の轟音が共鳴しているように横浜を焼き尽くそうとしている。
そしてその様子を数秒眺めた後、ルナは窓から離れて黒外套の上から更に焦茶のマントを羽織り、誰だか分からないように顔を隠した。
**
煙が上がり、破壊されて瓦礫が転がる場所で中也は襲ってくる者を倒し、声を張り上げた。
「交通網を死守しろ!襲ってくる奴は撃て!此の侭だとうちが商売する場所まで灰になっちまう!首領の指示だ、死ぬ気で守れ!」
中也は指示を出しながら辺りを見渡した。死体が至る所に転がっている。それは一般人だけじゃなく、マフィアの構成員のものもある。いくらポートマフィアと雖も重大な被害に遭っている事は事実だ。中也はチッと舌打ちを零した。
『中也』
その時、いきなり耳に入ってきた声に中也は目を見開いて振り返る。顔はフードに隠されていて見えなかったが、中也には声だけでそれがルナだと判った。
「何で此処にいやがる。首領から指示が出たのか?」
『ううん。勝手に来た』
「はあ!?手前、何ッ」
___パァンッ
当たり前のように云ったルナに中也は顔を顰めたが、その瞬間に耳の横を横切った銃弾に視線だけを後ろに向ける。
額から血を流して倒れていく男。首のあたりに手形のようなものがあり彼もQの詛いを受けた受信者だったと判る。
中也は絶命した男から視線を外して前に視線を戻す。そこには銃を構えた儘立っているルナ。銃口からは煙が漂っていた。
『Qの詛いを止められるのは太宰だけ。私達に出来るのはそれまで横浜を守りきること』
「……チッ、わあってるよ」
帽子を深く被り直しながら中也はルナに背を向ける。それ以上何も云わない中也を見てルナはふっと微笑んだ後、中也と背中合わせになるように背を向けて拳銃を構えた。
鳴り止まない悲鳴と轟音。
それが止まったのは、それから十数分の事だった。
「止まった……」
誰かがそう呟いた。詛いを受けた受信者も我に返り、辺りを見渡しては茫然としている。幾多の死体が転がり、自身の手に血塗られた凶器があれば一般人は何を思うのだろう。
『思ったより早かったね』
「それでも被害は重大だ。……俺の部下も何人も死んだ」
ルナはチラリと抑揚のない声でそう云った中也に視線を向けた。後ろ姿で顔は見えなかったが、部下思いの中也の事だ色々思う事があるのだろう。
「あの……」
そんな時、聞こえた声にルナと中也は振り返る。そこにはベビーカーを押している立原の姿。中也とルナは二人して冷めた目を立原に向けた。
「んな目で見ないで下さいよ!俺だって好きでコイツ連れてきたわけじゃねぇから!探偵社の奴が勝手に」
『たっちー、何も云わなくていいよ。案外似合ってる。いいパパになりな』
「なるかッ!」
立原の肩に手を置きながら冗談なんのか本気なのかそう云ったルナに叫ぶ立原。そんなやり取りに呆れた視線を向けた中也は二人は放って置いて、生き残った部下に指示を出し始めた。
その頃、横浜焼却を阻止した虎の少年は或る
それは皆にとって論外で可能にするのは難しい発想だ。だが、彼にはそれが唯一の正解でならなかった。
頭は間違うことがあっても、血は間違わない
彼の瞳に宿ったのは強い意志。
***
「被害総数は?」
ポートマフィア拠点の入り口広間に多くの黒い死体袋が並んでいる。それを見て、森は隣に立つ中也にそう問うた。
「直轄構成員が十八。傘下組織を含めると百近い死者が出ています。……癪ですが、太宰の木偶が詛いを無効化してなければこの十倍は被害が出ていたかと」
「首領として先代に面目が立たないねぇ」
その時、後ろの入り口から音が鳴る。森と中也は振り返り入ってきた人物に目を向けた。
「おや!紅葉君」
そこにいたのは探偵社に捕虜として囚われていた紅葉。彼女は微笑みを浮かべながら傘を閉じて二人に歩み寄った。
「太宰の奴に役立たずの捕虜を置いても世話代が嵩むと探偵社を追い出されましてのう。宿泊費代わりに伝達人の使い番まで押しつけられたわ」
森の前で立ち止まった紅葉は袖口から封筒を取り出しそれを森に差し出す。
「探偵社の社長から茶会の誘いだそうじゃ」
一瞬目を見開いた森だが、その後直ぐに不敵な笑みを浮かべて呟いた。
「……成る程、そう来たか」
**
「ようこそ、首領」
太宰は光のない瞳を森に向けた。そんな太宰と反して森はにこにこと微笑む。
「四年振りだねぇ。私が購ってあげた外套はまだ使っているかい?」
「もちろん。___焼きました」
一瞬、糸が張り詰めたような雰囲気が辺りを包んだ。だが、それを感じたのは森の後ろにいる黒蜥蜴の三人だけ。森と太宰の表情は変わっていない。
「ポートマフィア首領、森鴎外殿」
「武装探偵社社長、福沢諭吉殿」
横浜二大異能組織の長が密会するなど天地がひっくり返るくらい有り得ない事。だが、それが今この場で行われているのだ。
そして、探偵社社長である福沢はポートマフィア首領である森に一時的な停戦を申し入れた。
緊迫した雰囲気。
各々の組織の部下達はいつ相手が攻撃してくるかといつでも戦闘態勢を取っている。そんな中で長達の話は進んでいた。
「マフィアは面子と恩讐の組織。部下には探偵社に面目を潰された者も多いからねぇ」
「私の部下も何度も殺されかけているが?」
「だが死んでいない。マフィアとして恥ずべき限りだ」
「では、こうするのは如何だ?
今、此処で凡ての過去を清算する」
福沢が刀の柄に手を掛けたのを見て、森の後ろにいた立原と銀が動いた。だが、その瞬間に福沢も動き、二人の短刀と拳銃を斬り落とした。
大気が震え、風が舞った。
その中心にいたのは、刀の先を森の喉先に向けた福沢と
「刀は棄てた筈では?孤剣士銀狼、福沢殿」
「手術刃で人を殺す不敬は相変わらずだな、森医師。相変わらずの幼女趣味か?」
「相変わらず猫と喋っているので?」
睨み合う両者。どちらかがその手を動かせば相手の首を取れるだろう。だが、そうはならなかった。何故なら福沢の姿が残像を残して消えたからだ。
森は手術刃を下ろして後ろを振り返る。そこには刀を持って立っている福沢がいた。そして、草むらから顔を出した探偵社の青年。
「……立体映像の異能か」
探偵社に為て遣られた森は溜息混じりにそう呟く。
だが、にやりと口元に不敵な笑みを浮かべた。
「__ッ!」
「な!?」
バッと背後を振り向いた福沢は目を見開いた。そして、国木田も福沢の背後にいた人影を見て声を出し、懐に入れている拳銃に手を掛けた。
「さて、お遊びはこれくらいにしましょうかね福沢殿。だが、もしこれが今お遊びでなければ、その子の刃は貴殿に届いていたでしょうね」
福沢の背後にいた人物。焦茶のマントを羽織り、深々と被ったフードで顔は見えない。
森以外のその場にいた全員が同じ事を思った。いつから其処にいたのか?、と。殺気どころか気配すら全く感じられなかった。だが、太宰だけは鋭利な瞳をその人物に向けていた。まるで、そのフードの人物が此処に来る事が分かっていたように。
「さあ、帰るよ」
森がフードの人物に声を掛ければ、その人物は福沢に向けていた短刀を仕舞い、森の方へ歩みを進めた。
「その娘……」
福沢がポツリと呟いた。その声を聞いた国木田と谷崎は目を見開いて福沢を見る。
「(娘……?)」
国木田は心の中でそう疑問を発した。フードの人物の顔は見えていない。なのに何故、社長はフードの人物が女であると判ったのだろう。確かに、随分と小柄な体型をしていことは判る。だが、それだけで性別を判断することは困難だ。
しかし、その答えを知っているのは福沢自身と笑みを深める森の二人だけだった。
「楽しい会議でした。続きは孰れ、戦場で」
「今夜、探偵社はQの奪還に動く」
「それが?」
「今夜だけは邪魔をするな。互いの為に」
「何故」
「それが我々唯一の共通点だからだ。
___この街を愛している」
そう、それがポートマフィアと探偵社の唯一の共通点。この横浜に生きる彼等にとってこの街はかけがえのない愛すべき街。
「街に生き、街を守る組織として異国の異能者に街を焼かせる訳にはゆかぬ」
「組合は強い。探偵社には勝てません。
と云う訳で、太宰君。マフィア幹部に戻る勧誘話は未だ生きているからね」
にこりと微笑んで太宰にそう云った森。だが、太宰は「真逆」と笑い飛ばし乍ら続ける。
「抑も私をマフィアから追放したのは貴方でしょう」
「君は自らの意志で辞めたのではなかったかね?」
きょとんと首を傾げてそう問う森に太宰は先程とは違う笑みを森に向けて笑った。そこには一寸の光も映さない、黒々とした瞳。
「森さんは懼れたのでしょう?いつか私が首領の座を狙って貴方の喉笛を掻き切るのではと。嘗て貴方が先代にしたように」
森は笑みを崩さなかった。そして、太宰も笑みを崩さず、代わりににこりと人当たりの善い笑みを浮かべる。
「鬼は他者の裡にも鬼を見る。私も貴方と組むなど反対です」
**
探偵社との密会が終わり拠点に戻る道中。森の隣を歩いていた人物は顔を隠していたそのフードを取り払った。その瞬間にふわりと舞った毛先だけが白銀の水浅葱色の髪。
『やっと出番が来たと思ったら、探偵社と密会なんて、食べてたシュークリーム喉に痞えるところだったんですけど』
溜息を吐きながら皮肉を込めてルナはそう云った。『おまけに顔は隠せなんて云うし』と被っていたマントの先をヒラヒラと指で揺らすルナ。そんな、ルナをチラリと見た森は今し方ルナが取り払ったフードをもう一度深く彼女に被せた。
『ぶっ』
「拠点に入るまで顔は隠しておきなさい」
少々無理矢理フードを被せさせられたルナは森を睨み上げる。だが、森は気にせずに歩き続けるのでルナは又もや溜息を吐く。
『……先刻の話、本気?』
「探偵社との停戦のことかい?」
急に真剣な声で問いかけてきたルナに森は問いで返す。しかし、ルナから返答はない。不思議に思って森がルナを見たが彼女の顔はフードで見えなかった。
そして、数秒黙った儘だったルナが口を開いた。
『……違う。太宰が幹部に戻るっていう勧誘話』
ルナがそう云った瞬間、森は口を噤んだ。今度はルナが森を見る番だった。彼の表情は先程から変わっていなかったが、纏う雰囲気が変わったことは判る。
「君は如何思う?太宰君に幹部に戻ってきて欲しいかい?」
『私は、……わからない』
ルナは正直にそう答えた。言葉を濁している訳ではない。その言葉しか出てこなかったのだ。本当に、“わからない”と思ったのだから。
『でも……』
しかし、ルナはその後云いにくそうに言葉を詰まらせる。森がルナに視線を向ければフードから少しはみ出した髪の毛先を指で弄るルナの姿。そんなルナの頬は少し赤くなっていた。
『私が戻ってきて欲しいって云うと………
中也が嫉妬しちゃうんだもん』
照れたような声に森は顔を綻ばせて苦笑した。
そして、一言___。
「本当に君達は仲が善いね」
そう呟いた。