第十三章 Hidden pieces of Heart
『はぁあ、どうしよ。樋口ちゃんはああ云ってたけど、あのままじゃ長丁場になりそうだしなぁ』
ルナは腕を組みながら難しい顔で廊下を歩いていた。独り言を呟き歩くルナは今、樋口と芥川の事で悩んでいる。
『うーん』
地道にコツコツ芥川が記憶を取り戻していくのが先か樋口がショックで倒れるのが先か。若干後者の方が可能性が高い。最悪、記憶が戻らない可能性もある。どっちにしろ樋口の生い先は真っ暗だ。
『だからって樋口ちゃんが決めた事を私が蔑ろにするのも気が引けるしなぁ』
樋口が一から始めると決めたのだ。もう一度芥川の部下として芥川に認めてもらえるように。その覚悟を想いを無駄にする事はできない。
『否でも一から始めるって云ってもねぇ。抑、龍ちゃんが樋口ちゃんに関心を持ってくれないと…………』
ルナはそこまで考えて歩みを止めた。今、自分が云った発言を再度思い起こす。
『龍ちゃんが、樋口ちゃんに興味を………あ!』
ピコーンと音がなりそうなほど弾けるように顔を上げたルナが拳で掌を叩く。その顔は何やら輝かんばかりの笑顔。
『いい事思いついちゃった。そうだよ!龍ちゃんが樋口に興味を持てばいいんだよ!そうすれば近道になるかも!これなら樋口ちゃんの決意も無駄にならないし。何より効率的!』
くるっと回れ右したルナは速足である場所を目指していく。そして、兎のように飛び跳ねながらルナが辿り着いた先は、マフィア一科学を愛する男の元だった。
『おはよ檸檬くん!一寸頼み事があるんだけど』
大きな音を立てて無遠慮に扉を開け放ったルナ。丁度休憩中なのか湯呑みにお茶を注いでいた梶井が肩を揺らして飛び跳ねた。
「おぉ吃驚。相変わらずの登場の仕方ですねルナさん」
溢れたお茶を拭きながら梶井が苦笑いを浮かべる。そんな事はお構いなしにルナは早々に話を切り出した。
『何かこうさ特定の人に興味を持たせる、みたいな薬ない?』
「はい?」
ルナの口から出た突拍子もない言葉に梶井は素っ頓狂な声を出して首を傾げた。しかし、数秒後には何かを悟ったのかポンと手を叩き人差し指を立てる。
「つまり、惚れ薬なるものでいいのかな?」
『惚れ薬?何それそんな楽しそうな薬あるの?』
立ち上がって倉庫のような場所を漁り出した梶井の背中に問うルナ。その瞳は何だかワクワクと興奮が聞こえてきそうだ。
「あったあった。これぞ!昔、一度試作で作った惚れ薬!しかも被験体により実験済み!その効果もさることながら安心安全に好きなあの人を振り向かせられる!」
『おぉ!』
高々と惚れ薬なる怪しげな薬を天高く掲げた梶井にルナは感嘆の声をあげながらパチパチと拍手を起こす。
『流石檸檬くん!やっぱりモテない変人科学者は一味違うね!』
「え…、それ褒めてます?貶してます?」
梶井の手からそれを受け取りルナはマジマジとその液体を見る。こんな液体にそんな効果があるとは俄に信じがたいが、マフィア一の科学者である梶井が云うのだから間違いはないだろ。
「使い方は簡単ですよ。直接でも飲み物に混ぜてもいいから惚れさせたい相手に飲ませるだけ。薬が喉を通って数秒後、一番初めに目に映した異性に惚れる」
『成程。これなら手っ取り早く出来そうだね。ありがと!檸檬君!』
ルナはそう云いながら手を振って早々に扉に駆けていく。
「あ、ルナさん。これその薬の詳しい説明書……、てもう行っちゃったよ。まぁ大丈夫か。それよりあの人、惚れ薬なんて誰に使うのかな」
既に恋人である中也に使うとは考えにくい。そうなれば誰だ?と疑問に思いながらも梶井は少し温くなったお茶を啜った。
***
人差し指程度の小瓶に入ったそれを光に翳す。透明な液体のそれを見つめてルナはにやりと笑みを溢した。
『よし!これさえ使えば樋口ちゃんの覚悟も無駄にせず尚且つ龍ちゃんの心は樋口ちゃんのものとなり二人まとめてハッピーエンド!』
私ったら恋のキューピットじゃん、とウキウキ感を隠せないルナは変な踊りをしながら廊下をスキップしていく。そして、徐に携帯を取り出して芥川に電話をかけようとした。だが通話ボタンを押そうとした指をふと止める。
『あー、そっか龍ちゃんは今の私が厭なんだもんね。大人しく云う事は聞いてくれないか』
そうポツリと呟いたルナは腕を組んで良い案がないか黙考する。一番の問題はどうやってこの薬を芥川に飲ませるかだ。記憶が無い所為で芥川は今のルナを警戒している。そんな芥川にこの薬を飲めと云っても飲みやしないだろう。
『うーん…昔みたいに接すれば少しは……あ!』
またもや何かを思いついたルナが手を叩く。思い立ったら即行動。小走りでルナは自分の部屋、最上階を目指した。
辿り着いた扉の前。ルナの部屋は首領執務室の奥にある。ここでも大きな音を立てて無遠慮に扉を開いたルナ。この部屋でこんな事が出来るのはマフィア内でも彼女だけだろう。
『首領!私が昔着てた服ってある?』
急にやって来たルナに森は書類を書いていた手を止めてルナを見やる。森は一瞬キョトンと目を瞬かせたが、直ぐにルナの云った事に人差し指を立てた。
「勿論だとも!捨てる訳ないよ!いや〜あの頃はまだ幼くて可愛かったよねぇ」
『わぁ、だと思った。流石変態ロリコン』
にっこり笑顔で嫌悪感を発するルナをお構いなしに森は大きな棚から懐かしいそれを取り出す。仕舞った場所を迷う事なく取り出した森は矢張り流石である。
『一寸これ借りるね。って私のだけど』
「勿論良いが、何に使うのかね?着るには流石に少し小さいんじゃないかい?」
『一寸ね。まぁ大きさは大丈夫でしょ』
森の手からそれを受け取ったルナは自室へと入り、懐かしいその服に袖を通した。
***
『んーやっぱり少しきついかな』
廊下を歩きながらルナは自身が着ている服に触れる。その黒い布のようなその服は昔ルナが着ていたものだ。あれから何年も経っているから、着やすかったそれは少し窮屈さを感じる。あの頃は服の方が大きく、肩が晒されている格好になっていたが、今着てみると胸の辺りがきつく、背が伸びた為丈が短い。
『でもまぁ、これで少しは龍ちゃんの警戒心も解れるでしょ』
マフラーを巻き直し準備を整えたルナは拠点内を歩き回りながら芥川を探す。途中で黒服の構成員達の謎の視線を感じたが、特に気にせずルナは歩き回った。
そして、漸く見つけた背中。ルナは懐に隠し持っている惚れ薬の存在を確認して、芥川に声を掛ける。
『おーい龍ちゃん。一寸いい?』
歩みを止めた芥川が徐に振り返る。その表情は無だったが、ルナが駆け寄りその姿を視界に捉えた時、芥川が固まった。
『昨日はごめんね。記憶がないのに無理矢理思い出させようとして。困惑したよね』
「……否、僕とて無礼を働きました。首領専属護衛である貴女に刃を向けた事非礼を詫びましょう」
後ろで腕を組んで頭を下げた芥川にルナはぱちくりと目を瞬かせる。昨日はあんなに嫌悪感丸出しだった芥川が素直に謝罪をしている。どんな心情の変化だと疑問に思いながらもこれはチャンスだとルナは思った。
『いいよいいよ、私も悪かったし。それでね、お詫びと云ったら何だけどこれから一緒にお茶でも如何?』
「……お茶?」
『そう。龍ちゃんが好きな無花果のお菓子もあるよ。お茶飲みながらゆっくりお話しでもしてさ。ね?』
「……。」
予想していた通り不審な目で此方を観察してくる芥川にルナはポーカーフェイスの笑顔を貼り付ける。暫く沈黙が続いたが、意外にも折れたのは芥川でゆっくりと頷いた。
「承知した。貴女と茶を共にするのは些か不安だが、僕とてマフィアの一員。首領専属護衛直々に招待された茶会ならば心して参じよう」
『……あのさ、ただお茶を飲むだけだからね?そんな試練とかじゃないんだからさ』
何か変な勘違いをしてそうな芥川にルナは複雑な顔をする。何故自分とお茶をするだけで不安を感じるのか疑問に思いながらルナは芥川を連れて準備しておいた茶会場へと足を向けた。