第十三章 Hidden pieces of Heart
『まさかあの龍ちゃんが記憶喪失だなんてね。びっくりびっくり』
「一難さってまた一難てか。休まる気がしねぇな」
首領執務室を後にした中也とルナは廊下を歩いていた。中也は重い溜息を吐き出し、ルナは顎に指を当てながら『うーん、でもさ…』と呟く。
『あの頃の龍ちゃんなら問題行動に手を焼きそうだけど、実際どんな感じだったっけ?四年前って。私あんまり覚えてないんだよね』
「……まあ、荒れてたのは確かだな」
ルナの問いに少し間を置いてそう答えた中也は隣を歩くルナを横目で見る。ルナはそんな視線には気付かずに前を向きながら記憶を辿るかのように頭を捻っていた。
敵味方関係なく歯向かう者は容赦なく牙を剥いていた四年前の芥川。その行動には目に余るものもあった。マフィアの狂犬。そう呼ばれていたのはあの頃の印象が強い。それは誰の目から見てもそう思えたからだ。それでも、ルナがそれを覚えていないのは、単に覚えていないのではなく、興味がなかったからだろう。今の芥川が四年前の芥川と違うように、ルナも今と四年前では大分違う。ルナに関してはそれがはっきりと判る程に。
『ん?何?』
視線に気付いたルナが中也を見やるも中也は何でもねぇ、と首を横に振る。
「んで?これからどうする。俺は執務室に戻って溜まってる書類に目を通すが」
『特に任務もないし、ちょっと樋口ちゃんの様子を見てくるよ』
「嗚呼、彼奴無断欠勤してるらしいからな。大丈夫かよ」
『あはは、流石樋口ちゃんだよね。行き倒れてるかも』
本当にありそうな事に「笑い事じゃねぇな」と苦笑いを浮かべた中也にルナは『たしかに』と乾いた笑いを溢した。
***
『おーい、樋口ちゃーん。おーい。生きてるー?』
樋口の自宅。
そこに訪れたルナは呼び出しベルを連打しながら扉に向かって叫ぶ。しかし、いくら押しても叫んでもその場は静まりかえり、中から出てくる気配はない。ルナは仕方ないと溜息を吐いてポケットから針金を取り出した。
、、、、。
『樋口ちゃーん。生きてるかーい?』
ズカズカと無遠慮に部屋に侵入したルナは樋口がいるであろう寝室に向かう。ベッドの上に小山が出来ているのを発見し、ルナは皺ができた布団を引っ剥がす。
『ありゃま、死んでる』
そこに生気を失った樋口が倒れていた。辛うじて生きているが、頬はやつれ、目には光はない。
『おーい樋口ちゃん。大丈夫?』
ルナはそんな樋口の肩を掴み上下に揺らしながら声を掛ける。虚な瞳がルナに向き、乾いた唇からはか細い声が発せられる。
「あ…ぁあ、ルナ、さん…旅行から帰ってこられたのですね…おかえり、なさい」
『大丈夫?お土産あるよ?あげようか?』
「ありがとう、ございます…。こんな生きてる希望も持てない私なんかに、お土産なんて、」
これは重症かもしれない。いつもの樋口じゃない事は確かだし、その原因があるとすれば一つしかない。
『龍ちゃんと何かあったの?』
何となく予想はつくが、ルナは敢えてそう尋ねてベッドの端に腰掛ける。その問いに樋口はげっそりと顔を俯かせ、布団を頭に被った。嗚咽を零しながら「芥川、先輩に…」と口籠った樋口はついには涙を流して叫んだ。
「“貴様など知らぬ”、って云われたんですぅぅ!うわぁぁぁああん!!」
ベッドの上で泣き喚く樋口。予想的中に思わずやっぱりかぁと声が出てしまった。
「芥川先輩に忘れられたら私生きていく希望も価値もありません!!広津さんも銀も覚えてるのに何で私を忘れるんですか先輩ぃぃ」
『そりゃ仕方ないよ。四年前迄の記憶しかないんだから』
フォローの言葉などなくバサリと吐いたルナに樋口は更に大声を上げて泣く。そんな樋口に流石のルナも戸惑い、嗚咽を零す背中をぽんぽんと撫でてやる。
『大丈夫だよ樋口ちゃん!記憶喪失なら思い出させればいいんだしさ!』
「ぞ、ぞうでしょうがぁ?」
『樋口ちゃん鼻水出てる』
穴という穴から液体を流している樋口にルナはにこりと笑い、ティッシュを渡した。それを受け取った樋口が鼻をかみながら掠れ声で呟く。
「で、でもどうやっで記憶を戻しだらいいのでじょう…」
『うーん。抑龍ちゃん自分が記憶喪失だって認めてないらしいし、単純にショックを与えればいいんじゃない。頭をかち割るとか?』
「ぞんな事じたら記憶を取り戻すどころか死んじゃいまずよ!!」
『あはは、冗談冗談。まあ、幸い全部忘れた訳じゃないんだし、龍ちゃんだって記憶に違和感をもてば直ぐに元通りになるでしょ多分』
「多分…。でも、どうやるんですか?」
『たとえば四年前とは違うものを見せたりすればいいんじゃない?それこそほら、樋口ちゃんが適任じゃん!龍ちゃんの記憶にある筈の樋口ちゃんの面影を見つけさせるんだよ!うん!それがいい!そうすれば記憶が戻る!』
立ち上がってビシッと樋口を指さしたルナは自信満々にそう宣言した。そんなルナを見て樋口は一度黙考しながら俯いたが、決心したように袖で顔を拭い俯かせていた顔を挙げた。目は腫れ上がっていたけれど、その瞳はいつもの樋口だ。
「此処でくよくよしてても仕方ないですもんね。ありがとうございますルナさん!私、絶対に芥川先輩の記憶を取り戻してみせます!」
頭に被った布団から抜け出しいつもの調子に戻った樋口にルナは微笑む。そして、拳を振り上げて声を上げた。
『応援してるよ樋口ちゃん!』
えいえいおー!とその場で叫ぶ女子二人は果たして芥川の記憶を取り戻す事ができるのだろうか。