第十二章 願いは鏡花水月の如し
電車に揺られる事、数時間––––––。
緑溢れる土地から見慣れた景色に戻っていくのに少し名残惜しさがある。あれからルナに特に変わった様子は無かった。鏡の国でアリスと云う少女に直接逢ったのはルナだけで、それ以来ルナはその話をしない。隠している訳ではないと思うから、中也も特に訊かなかった。
「昼飯どうする?今食うか、それとも戻ってから買うか?」
『うーん…、今食べる』
「了解」
窓枠に頬杖をついてルナは青い景色を眺める。隣では中也が丁度通りかかったワゴンサービスにお弁当を二つ頼んでいた。ルナは目を閉じて、今回の旅行で起こった事を思い返す。
アリスは最後の最後まで後悔をしなかっただろうか。あの選択が本当に正しかったのかルナには判らない。けれど、“ありがとう”と聴こえたアリスの声に、複雑な気分だったのも確かだ。まるで、アリスの人生を終わらせる事でアリスを救ったかのような、そんな慣れない感覚に戸惑った。結局は命を奪った事に変わりはないし、抑マフィアである自分が無垢な少女に感謝される事なんて……。
『わっ!冷たッ!』
突然、頬に感じた冷たさにルナは飛び上がる。隣を見れば缶ジュースを持った中也がしたり顔で笑っていた。
「何辛気臭ぇ面してんだよ。ほら、弁当。あと、シュークリームな」
ぽんっと手に置かれたそれを見てルナは目を瞬かせた後、頬を緩ませる。中也にお礼を云って『いただきます』と手を合わせた。そして、ぱくりとシュークリームを齧る。
「………普通、弁当から食わねえか?」
『何で?』
きょとんと首を傾げたルナはどうやら相変わらずのようだ。
***
横浜に着いた二人は一度中也の自宅に帰り、荷物を置いた後、直ぐに拠点に帰って来た。
「中也さん、ルナさん。おかえりなさい。どうでしたか旅行。楽しめました?」
「まあ、色々あったがな…。おら、これ土産だ。皆で食べてくれ」
丁度エントランスにいた黒蜥蜴に出会した為、土産を配る。中也が選んだ名物のお菓子。とても美味しそうで皆、おお!と簡単な声を漏らしている。ルナもルナで買った土産を鞄から取り出し、広津、立原、銀に其々土産を渡す。
「…ルナさん。何すか?コレ」
『何って絆創膏。たっちーのトレードマークでしょ?』
見慣れた紙箱に入ったそれ。どう見ても薬局で売っている絆創膏と同じで立原は戸惑う。周りを見れば皆ルナからの土産を微妙な顔をして見ている。だが、広津と銀だけは違った。広津の手にあるのは腹巻きだが、流石はマフィアの古株。全く動じずにルナに礼を云っている。銀の手にあるのは女物の櫛でやっとそれなりに土産らしい物。立原はもう一度自分の手にある絆創膏を見た。うん、本当に何処にでも売っている物だ。
「(ルナさん、マジで他人の好みとか興味ねーんだな。主に男の……)」
中也を抜きにして、ルナに誰かが喜ぶ物を選ぼうという意思は皆無だ。ただ思いついた物をその場で即買いしただけの土産。皆が微妙な顔をするのも判る。まだ、同性に対しては配慮があるらしい事はせめてもの救いかもしれない。
周りが苦い顔をしているなんて露知らず、荷物を漁るルナの視界に入口から入ってきた人物が映る。芥川だった。黒外套を揺らして歩いてくる彼に丁度手にした土産を持って近づいた。
『龍ちゃんいい処に!はい、これ旅行のお土産』
ずいっと芥川に買ってきた土産を差し出す。ニコニコと笑顔で受け取るのを待っているルナの方に芥川はゆっくりと振り返った。
刹那、ルナの横を物凄い速さで黒布が走る。
ルナは首を横に倒してそれを避けたが、頬を微かに斬られ血が滲んだ。その場に張り詰めた空気が漂う。
『………何の心算?』
「首領専属護衛ともあろうお方がこの様な時に旅行などと、腑抜けておられるのか。それにその緩んだ顔…貴女らしくもない」
殺気を含んだ声でそう云った芥川にルナは眉を顰める。ただならぬ雰囲気の二人に気付いたのか「何やってんだ手前等」と二人の間に中也が入るが、芥川はそんな中也を睨んだ後、踵を返して去って行った。
様子の可笑しい芥川に中也は「何だ彼奴?」と怪訝な顔をしてルナを見やる。そしてルナの頬に滲んだ血に気づき、思い切り顔を顰めて去っていった芥川の背中を睨み付けた。
「その頬、今やられたのか?」
『うん、吃驚した。避けてなかったら首が飛んでたねありゃ』
「手前に攻撃するたァ如何いう心算だあの野郎」
『お土産が気に食わなかったのかな?』
手に持っていた芥川への土産を掲げてみせるルナに中也は否定できなかった。微妙な顔でルナが買った土産に視線を落とす。
「まあ……。旅行土産にご利益があるかも判らねぇ病気平癒の札を貰っても、な」
『そうかな?龍ちゃんは絶対これだって思ったのに。そんなに変だった?……ねぇ、皆は私のお土産どう…』
ルナが土産を配った皆の方に振り返った時、全員が思い切り顔を明後日の方向に逸らした。その挙動不審な行動にルナは首を傾げる。そして、視線を立原に固定する。
『ねー、たっちーは如何?』
何で俺に振るんだよ!と思いながらも、余計な事を云えば後々面倒な事になる為、立原は無理矢理口角を上げて親指をグッと立てる。
「勿論最高の土産っすよ!流石ルナさんセンスの塊だぜ!」
『だよね〜。よかった温泉饅頭にしとかなくて』
「(あ、そっちが良かった……)」
とは云えずに立原は貰った絆創膏を握り締める。
札を鞄の中に仕舞って代わりに取り出した土産にルナは当たりを見渡す。芥川がいると云う事は彼女の姿もある筈なのだが…。
『ねぇ、樋口ちゃんは?』
そう聞いて辺りを見渡したルナにその場にいた殆どが何とも云えない顔をして俯いた。
誰も何も云わず沈黙が続くのを不思議に思いルナと中也は首を傾げたが、咳払いした広津が前に出た。
「–––––––––実は…、貴方方が不在の間、少し厄介な事が起きましてな」
深刻な表情でそう云った広津の言葉に中也とルナはお互い目を合わせる。自分達が旅行中、如何やら組織内で問題が起きたよう。
『何があったの?』
そう問うたルナにその場の全員が口を継ぐんだ。
暗い雰囲気が漂うエントランス。
帰ってきて早々、何だか不穏な予感––––––––––––。
第十二章【完】_____Next、第十三章へ
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