第十二章 願いは鏡花水月の如し





『ねぇ、中也。泊まるお宿ってご飯は美味しいかな?デザートにはシュークリームでる?』


餡蜜、団子、煎餅、鯛焼き…、挙げたらキリがないくらい食べながら色々な場所を巡った後、二人は今日泊まる旅館へと足を向けていた。


「シュークリームは知らねぇが、飯は美味えんじゃねぇか。まあ、温泉は期待出来るぜ」

『温泉!へへ、楽しみ。一緒に入ろうね』

「嗚呼」


予約した場所はこの地で有名な旅館。特に客室に貸切の露天風呂があり、何時でも入浴できるようになっている。しかし、中也がこの旅館を選んだのはもう一つ訳があった。


「いらっしゃいませ。ようこそおいで下さいました」


趣のある旅館に着けば、着物を着た仲居が綺麗なお辞儀をして出迎える。


「予約した中原だ。部屋に入る前に例の湯に入りたいんだが」


中也がそう云うと仲居は笑顔で頷いて此方にどうぞと案内してくれる。ルナは例の湯って何だと首を傾げた。


「お先に浴衣をお選び下さい」


ずらりと並べられた浴衣。様々な模様があしらわれた浴衣はどれも素敵で迷ってしまいそうだ。中也はその中から男用の適当な物を取り、ルナに視線をやった。


「手前はどれがいい?」

『うーん、別にどれでもいい。中也が選んで』

「あ?俺が選んじまっていいのかよ」

『うん。中也が着て欲しいの着る』

「ッ、そ、そうか。じゃあ」


その言葉と笑顔に心臓を射抜かれた中也は自分の浴衣より選ぶのに迷いながら最も目を惹かれた一つを手に取りルナに渡す。白と薄桃色で小さな花が散りばめられている浴衣。中也が自分の為に選んでくれた上品でいてどこか可愛らしい浴衣。適当でいいのに真剣に選んでくれた事が嬉しくてルナはそれを受け取り『ありがと』と、はにかんだ。


浴衣を選び終えた二人は荷物だけ仲居に渡した。そのままこの旅館一の浴場へと向う途中でルナは今から向かう温泉に愚痴を溢す。


『えー、混浴じゃないの!?一緒に入れないじゃん』

「仕方ねぇだろ。取り敢えず浸かるだけ浸かっとけ。一緒には後で部屋の入りゃいい」

『じゃあ、別にそこに入らなくてもいい。部屋の入ろうよ』


男女別の温泉と云う事は当然一緒には入れない訳だ。折角二人っきりで来ていると云うのに一時でも別々になるなんてとルナは眉を下げる。


「先ずそっちに入ってからな」

『如何してそこまで入りたいの?中也そんなに温泉好きだっけ?』

「好きだからって訳じゃねぇよ。その温泉が薬湯だからだ。それも怪我や病気によく効くとかで評判らしいぜ」


中也が云った言葉にルナは目を丸くして歩みを止める。急に止まったルナに中也は振り返った。


『若しかして、私の為に?』

「まぁな」


もう痕すら残っていない自身の腹に手を当てる。滅多に大きな怪我をしないルナにとって重傷とも云えるあの傷。腹を貫いた時の感触は治った今でも思い出せるが、傷跡が残らないと何事もなかったかのようにも感じられる。それでも、中也はずっと気にしていてくれたのだ。


「手前はもう治ったって云ってたが、色々あって疲れも溜まってんだろ?いい機会じゃねぇか。ここの薬湯は疲労にも効くって話だ。折角だからゆっくり浸かれよ」

『中也』


じーん、と心が温まる。この旅行を計画してくれた時から屹度色んな事を考えていてくれたのだろう。ルナは嬉しさで涙が出そうになりながら中也の腕に飛び付いた。


『中也好きぃ!大好きぃ〜!!』

「あー、はいはい」


ぎゅ〜と力一杯中也の腕に抱き付き、愛を叫ぶルナを引き摺りながら中也はその場から逃げるように歩みを進める。遠目からそんな二人を見ていた仲居達がくすくすと微笑ましげに笑っていた。




***





温泉の暖簾の前で中也は絶句した。



そんな中也の隣でルナも大きな目を瞬かせながら沈黙する。そんな二人の目の前には同じような表情をした者が二人。


「げぇ、何で君達が此処にいるんだい?」


顔を歪めて中也の前に立つ長身の男。そして、そんな男の後ろに顔を青褪めて立っている白髪の少年。


「そ、そりゃ、こっちの台詞だろうが……。嘘だろ!?つか、マジ何で手前がいンだよ!糞太宰!!」


指を震わせながら目の前に立つ男を指す中也。まさしくそこにいたのはあの太宰だ。そして、白髪の方は彼の後輩の中島敦。此処は横浜ではない。なのに何故武装探偵社である彼等が此処にいるのか。しかし、恐らくそれを思っているのは相手も同じだろう。


「オイまさか…新手の厭がらせじゃねぇだろうなァ。流石に度が過ぎンだろ」

「そんな訳ないだろ。私は中也なんかに厭がらせをする程暇じゃないのだよ。今回は偶々さ」

「ほ、本当にこんな偶然あるんですね」

「巫山戯んなよ!?ンな偶然あってたまるか!悪夢だろ!マジで最悪だ…」

『…大丈夫?中也』


頭を抱えてふらつきそうな中也にルナは憐れみの視線を向ける。それも仕方ない。まさかのまさか、旅行先で最も嫌悪する相手に出逢ったのなら誰でもこうなるだろう。


「で、君達こそ何故此処にいる?暇なのかい?マフィアの癖に。庶民の楽しみの場を邪魔しないでくれ給えよ」

「休暇だ休暇!邪魔なのは手前だろうが!どうせ仕事サボって来てんだろ社会不適合者!」

『ねぇ、中也。もうほっといて入ろうよ』



太宰に吠える中也の服を引っ張って無表情に云うルナ。中也は太宰を睨み付けながら舌打ちを溢して、ルナに振り返り、「先に入ってろ」と女湯の方へルナの背中を押した。


ルナは暖簾を手で上げながら振り返る。まだ云い争っている中也と太宰。そんな二人の間であわあわと焦りながら仲裁しようとしている敦を見遣った後、大きく溜息を吐いて暖簾を潜ったのだった。






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