第十二章 願いは鏡花水月の如し
『わあ〜!中也見て見て!すっごい緑!』
風に飛ばされそうな白の鍔広帽子を手で押さえながら燥ぐルナは、木々の緑溢れる景色に感嘆の声を漏らした。頬を撫でる風は澄み、自然豊かな香りが鼻を擽ぐる。
「おい、ルナ。ちゃんと座ってろ。餓鬼か手前は」
隣の席で兎のように飛び跳ねながら窓の外を眺めるルナに注意して、中也は手に持っていた雑誌の頁を捲る。
二人は今、列車に乗っていた。
海の青に囲まれた横浜の地を離れ、緑豊かな地へ。大きく聳え立つ建物はなく、小さな木造の建物がポツポツと並ぶ長閑な景色。
何故二人がこんな場所に訪れたか。その目的は任務ではない。ただの旅行だ。いつも多忙な二人が今回長期休暇を首領から賜った。
《共喰い事件》から数週間。特にルナには休みなど一切なかった。首領専属護衛として当然と云えば当然だ。首領の命が最も危険に晒されたその事件。黒幕を捕縛して解決したとは云え、殺伐とした雰囲気はそう簡単に抜けないものだ。
そして、数週間を経て漸く、ルナと中也は仕事から解放された。立場上中々休み自体とれない取れない二人にとって、一週間の長期休暇なんて滅多にない。そこで中也がルナに「二人だけで旅行に行かねえか?」と誘った。ルナはきらきらと瞳を輝かせながら嬉しそうに頷いたのが2日前の話。
『ねぇ、中也見た?周り緑ばっかり!横浜と全然違うね』
「まあ、田舎だからな。それより手前、ンな燥いで躰は平気か?」
『もっちろん完治しましたとも!傷痕一つ残ってない新品な私でーす!』
「テンション高ぇなオイ」
窓に身を乗り出していたルナが座り直し『だって旅行楽しみだったんだもん!中也とお泊まり〜』と、狭い座席で足をバタつかさた。そんなルナを横目で見やる。頬が緩んだ笑顔。それを見て中也はふっと笑みを溢した。
『そうだ、中也。駅で買ったお弁当まだ残ってないの?』
「ねぇよ。発車する前に食っちまったろうが」
『じゃあ、シュークリーム食べちゃお』
「あ?ンなもんあるわけ…」
足元から取り出したトランクを開けるルナ。パカリと開いたその中から冷気が漏れ、びっしりと並んだシュークリーム達が顔を覗かせた。
「……。」
唖然とする中也。あまりにもルナが平然とそれを出すものだから思考が一瞬彼方まで飛んでいった。よくよく考えてみる。確かにルナの荷物がやけに多いと思っていた。大きめの鞄とトランク。女には沢山必要なもんがあるんだろう、と特に中也は突っ込まなかったのだが…。
普通旅行にシュークリームを持参するか?トランクにこれでもかといっぱいに詰め込んで。しかも、それが入っているのはトランク型の冷蔵庫。準備は万全らしい。隣に座っているこっち迄ヒンヤリする。
『ん?何?』
言葉を失っている中也にルナはシュークリームを頬張りながら首を傾げる。
「いや…………美味えか?」
『うん!とっても!』
「そうか…。あまり食い過ぎんなよ」
もう特に突っ込む事はせずに中也は再び雑誌に視線を落としたのだった。
***
それから、数十分後。
食べ過ぎるなと云った筈だがトランクの中に入っていたシュークリームをルナが全て食べ終える頃に、丁度目的地の駅に着いた。
二人は荷物を持って列車から降りる。横浜とは違い、年季を感じるその駅にはどこか趣があった。鞄を両手に持ったルナが看板に書かれている記事を見ながら中也に視線をやった。
『ねぇ、この後何するの?』
「そりゃあ、観光地巡りとかだろ。宿のチェックインにはまだ時間あるからな。おい、鞄貸せ」
中也はルナから鞄を受け取りコインロッカーにそれを仕舞った。
「何処か行きてぇ場所あるか?」
観光地の案内看板を見ていたルナに中也がそう問うたが、ルナは少し考えた後隣に立つ中也を見上げた。
『何か食べたい』
「おまっ、あんだけ食ってまだ食うのかよ」
『だめ?』
うるうると上目遣いで見上げてくるルナ。此奴態とやってやがるな、と思いながらも中也に断る選択肢はない。ルナが食べたいなら、食べさせてやるだけだ。
「おら、行くぞ。好きなだけ食わせてやる」
ニッと笑って自身の手を差し出した中也にルナは満面の笑みを浮ばせてその手に指を絡ませて握った。ぴとっとルナが中也の腕にくっついて寄り添い合いながら歩く。仕事着を脱ぎ捨て、私服に身を包んだ二人が普通の街で普通に旅行を楽しむ。誰も彼等がマフィアだとは思わないだろう。それくらい今の二人は何処から如何見ても、普通の恋人同士だった。
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