第十一章 罪を以って裁きを制す
ルナはゆっくりと閉じていた目を開いた。
ウイルス発症まで、あと十四時間を切った今、拠点内は比較的静かだ。檸檬花道のお陰で探偵社は一時撤退した。けれど、殺伐とした空気は未だに拠点内に残っている。それも当然だろう。タイムリミットが着々と迫ってる中、探偵社社長の居場所は不明。為す術もない。
ルナは携帯を取り出す。まるで心配するように何度も掛かってきた中也からの連絡にルナは一度も出なかった。出てしまったら、揺れてしまうから。けれど、それも三時間前から途絶えている。何かあったのだろうか。探偵社の中で中也を足止め出来る人物と云ったら、あの名探偵くらいだろうか。
ルナは携帯をポケットに仕舞い、自身の傷口を見る。血が止まり、再び再生を始めていた。それを空虚な瞳で見据える。
その時、カタンっと音が聞こえた。
ルナは振り返り、寄りかかっていた扉の解錠番号を入力する。開いた扉。ルナはゆっくりと部屋に足を踏み入れる。
「やあ、ルナちゃん。目を覚ましたのだね」
『それはこっちの台詞なんだけど、首領』
寝台から起き上がり、いつもの服装で立っている森がそこにいた。顔色が悪く、その額には汗が滲んでいる。
『もう歳なんだから、寝てた方がいいんじゃないですか?』
「はは、まだ中年だよ」
『……。』
「如何やら私が眠っている間、大変だったみたいだね。君も私の命令がない中、よく頑張った」
森は手を後ろで組み、ゆっくりと足を進め、扉の前に立つルナの目の前で立ち止まる。
「私は今から旧き友に逢いに行ってくるよ。一刻も疾く、この闘いを終わらさなくてはならないからね」
その言葉の意味をルナは理解した。そして、森を見上げる。彼の瞳はとても冷静で、一切の揺らぎがない。その口調もいつもと変わらず静かだった。彼の最適解はとっくに決まっている。森は自らこの闘いに終止符を打つ心算なのだ。自分の命が犠牲になるかもしれないと、判っていて。
無意識にルナは拳を握り締めていた。森から視線を離し、俯く。
『貴方を護るのが、私の仕事。貴方を死なせない為に、私がいるの』
「…そうだね」
森の専属護衛をして、もう何年も経った。その命を脅かす者は数知れず。しかし、ルナはそれら全てから森を護り抜いてきた。それこそ、己の命を削っても。森を護る事がルナの仕事。ルナのすべき事。
『……けど』
けれど、それは…、森の
その誓いは今でもルナの胸にある。
ルナはゆっくりとした動作で片膝をつき、頭を垂れて森に跪いた。まるで唯一絶対の君主に敬意を払うように。
『貴方は、私に
静かでいて、強い心がこもった声。
『貴方が示す道が、私の進む道。それは貴方が私を見つけたあの瞬間から何も変わらない。……だから私は、何があろうとも』
ルナは一度言葉を止め、真っ直ぐな瞳で森を見上げる。
『–––––––––貴方の
揺れることのない凛とした声でルナは云った。最敬礼で跪く彼女を見詰め、森は頬を緩めて笑みを溢した。その森の瞳には、優しさや喜び、そしてどこか寂しさを感じさせ、憂いすらも帯びた色んな感情が綯い交ぜになったようなものだった。それらの感情を全て噛み締めて森が口を開く。
「君は私の右腕として、ずっと私に仕えてきた。君を拾ったあの時から常に君を傍に置き、幾多もの非道な命令を出した。そうしてきた事に、私は後悔などした事はないよ」
森は言葉を一つ一つを選ぶように囁く。ルナは跪いたままそんな森の言葉を、想いを洩らさず耳に残していく。
「だが、ただ一つ赦されるならば……。部下として、道具としてではなく、」
––––––––––––君を、本当の娘のように。
一つ息を吐き出し、言葉を飲み込んだ。在りし日の光景が幾つも幾つも森の脳裏を駆けた。それは全てが、闇と血に濡れたものではない。幼いオッドアイの瞳を前に己が目を細め、柔らかく微笑んでいる光景が過ったのを最後に、森はゆっくりと目を閉じる。
そして、開いた。その森の瞳には先程の感情は何もなかった。そこにあったのはマフィア首領足り得る瞳。森はそれを真っ直ぐルナに向ける。
「たとえ私の命が消えようとも、組織と、この街を守りなさい」
組織を、部下を、そしてこの愛すべき街を守る為に森は選んだ道をルナに示した。
『–––––––––仰せのままに、首領』