第十一章 罪を以って裁きを制す
––––––––––––約束の刻限。
それを過ぎた今、拠点内は警報が鳴り響いていた。人質として捕らえていた探偵社の幻像の異能力者が逃げ出したのだ。如何やら黒蜥蜴に任せた、“彼に間諜になって貰う”と云う勧誘話は失敗に終わったらしい。
「正面口を固めろ!誰も入れるな!」
黒服の構成員達が銃を武装して拠点内を駆ける。その様を異能で姿を隠しながら見送る影が一つ。ゆっくりと静かに、暗殺者のように或る部屋に辿り着いた谷崎はその扉を音も無く開ける。
暗い室内。下の喧騒から隔絶されたように静まり返ったその場所で谷崎は覚悟を決めた。自分の手でこの戦いを終わらせる、と。
谷崎はナイフを手にゆっくりと寝台に目を向ける。そして、瞠目し、固まった。
部屋の中心に置かれた寝台。
そこに眠る森鴎外の傍に腕を組んで腰掛けている人影。暗い部屋の中でさえ彼女の白銀の毛先が光った。
『探偵さんはウイルス異能者を捕まえられなかったみたいだね』
ゆっくりとオッドアイの瞳が開かれる。
『最初から
谷崎はごくりと固唾を飲み込んだ。小刻みに体が震える。圧倒的な力の差を彼女を前にして理解した。彼女の殺気が恐ろしい程に谷崎の殺気を呑み込んでいく。
ルナは脚と腕を組んだまま動かない。そのまま楽しく会話するような口調で続ける。
『皆、過保護でね。こんな状況なのに安静にしてろなんて私に云うの。困っちゃうでしょ?ほら、今だって鼠が
ルナがそう云い終えた瞬間、谷崎の胸を鋭い刃が貫いた。カハッと口から血を吐き出し、谷崎が床に倒れる。そんな彼に向けられる憐憫な眼差し。
「赦せ、童。その男が死ねば、私が忌む昔のマフィアに逆戻りするでのう」
倒れた谷崎が姿を消す。しかし、暗殺者でない彼は殺気を消す事は出来ない。紅葉はすぅ、と吐息を吐き出すように《金色夜叉》と呟いた。
空間を埋め尽くす斬撃が放たれる。谷崎に逃げ場はない。彼は此処で死ぬだろう。壁に追いやられた谷崎が最後に最愛の妹の名を呼んだ。
ルナはその様子を寝台に腰掛けたまま見据える。しかし、スッと視線を天井に向けた。
白い刃が金色夜叉の攻撃を受け止める。
「鏡花」
紅葉が驚きに、少女の名を呼んだ。
「この建物は昔の庭。裏口も潜入経路も頭に入っている」
谷崎を救出に来た鏡花が真っ直ぐな瞳で云った。悲しげに瞳を揺らす紅葉を見て、そして、ルナに視線をやった鏡花は額に冷や汗を垂らす。
その時、遅れてやって来た黒服達が部屋に入ってくる。紅葉が一瞬、其方に視線を遣った瞬間に鏡花は谷崎の襟根っこを掴んで壁を破壊し、脱出した。
短機関銃を打つ部下を紅葉は鋭い声で静止する。
「鏡花に中るではないか」
寂しげな紅葉の声が去っていく鏡花を見送った。ルナはそんな紅葉の背中を見詰め、ゆっくりと立ち上がる。
『首領を地下三階の避難室に移動させて。護衛は私一人でする。全ての構成員は探偵社との闘いに備えなさい』
ルナの指示に黒服の構成員は緊迫した面持ちで直様動き出す。運ばれていく首領の後を追うように部屋を出ていくルナの後ろ姿に紅葉は声を掛けた。
「ルナ、お主本当にそんな怪我で闘る心算かえ?傷口が開いておるぞ」
『大丈夫だよ、姐さん。心配しないで』
振り返らずにそう云ったルナに紅葉は何も云う事が出来ず静かに瞳を閉じた。
***
––––––––––––ウイルス発症まで、あと十七時間。
「一階が突破されたァ?首領を死守しろ!俺も直ぐ行く!」
中也は通信機から聞こえた部下の声に声を張り上げた。通信を切り、走りながら舌打ちを溢す。
「(くっそ!探偵社の奴等、強行突破しやがるとはな。疾く行かねぇと。これ以上ルナに任せる訳にはいかねぇ)」
あれから一度もルナと逢ってないし、連絡も繋がらない。首領が眠る地下避難室を一人で護衛していると部下から聞いた。また一人で無茶する気なのか。
不安と心配が募る中、中也は走る。しかし、そんな中也の前に立ちはだかる一つの影。
「やあ、素敵帽子君。僕の推理では君が混じると勝率が下がるので、僕が君の足止め役をさせて貰うよ」
探偵社、唯一の一般人江戸川乱歩。中也は訝しげな目で乱歩を見据えた。
「オイオイ…正気か?慥かにアンタは探偵社の主軸だが戦闘能力は無ぇ筈だぞ」
「でも君、前太宰に負けたんでしょ?」
その言葉に中也の怒りが爆発した。黒々とした殺気が大気を震わす。
「重力に潰されてみるか?」
「名探偵に不可能はない」
中也の威力が乗った拳が乱歩の鳩尾目掛けて繰り出される。鉄壁する砕けるその拳を、乱歩は一冊の本で受け止めた。中也が目を見開いて、拳を引っ込める。だが、拳はその本に吸い込まれ、抜く事はできない。ニヤリと乱歩が楽しそうに嗤った。
「推理小説は好きかい?登場人物は千人。その半分が殺人鬼。異能のない小説世界でお互いしななきゃまた逢おう」
中也と乱歩が小説世界に吸い込まれていく。脱出するのに数日は掛かるだろう殺戮小説。その場に残ったのはその一冊だけだった。