第十一章 罪を以って裁きを制す






道路を高速で走る一台の救急車。


その後ろを弾丸のような速さで走る巨大な影が迫った。恐ろしい程の殺気に車の中にいた探偵社の全員の身の毛がよだつ。


「来たっ!」


鏡花が叫んだその瞬間–––––––––––。



車の屋根が水平に切断され、吹き飛んだ。開けた天井を全員が見遣り息を呑む。血のような赤い瞳を光らせ牙を剥く巨大な白銀の獣。その頭の上に立って此方を無表情に見据えるオッドアイの瞳。


時が一瞬止まったかのようだった。圧倒的な死を前にその場にいた探偵社の全員が動けなかった。しかし、最初に声を出したのは江戸川乱歩。


「全員!社長を守れ!!!」


乱歩の叫びに全員が動き出す。


「《月下獣!》」
「《夜叉白雪!》」
「《独歩吟客!》」


夜叉が白銀の獣目掛けて刃を振り下ろす。それを後ろに飛び抜いて避けた獣に高速の斬撃を喰らわせていく。


ルナはイヴから離れて懐から短刀を抜いた。そして、迫ってきたもう一つの刃を受け止める。カキンッと金属と金属の擦れ合う音が響いた。


『へぇ、貴女が私の相手なの?鏡花ちゃん』

「…ッ、攻撃を止めて。私達は貴女と交渉したいだけ」

『それが出来ないって分かってるから、攻撃したんでしょ?』


ルナが短刀を持つ左手に力を込めた。鏡花は歯を食いしばりながら必死に刃を受け止める。



菊池ルナを前に交渉する猶予さえない。



それを鏡花は探偵社の中で誰よりも理解していた。だからこそ、乱歩に情報を与えてこの策を考えたのだ。交渉の話を持ち出す時間を作る為には、ルナの攻撃を武力を持って止めなくてはならない、と。


『イヴ、それを押さえてて』


ルナの声に鏡花はハッと視線を横にずらす。夜叉白雪が白銀の獣の足元で踠いていた。夜叉の腹に巨大な爪が食い込んでいる。


「白雪!…ッ、」


鏡花がしまった、と思った瞬間には遅かった。鏡花の刃を受け流し、ルナは社長が乗る車目掛けて駆け出す。ルナの足を止めようと前に立ちはだかるように腕と脚を虎化した敦が飛び出した。


「お願いだ!ルナちゃん!話を聞いてくれ!」


押さえようと伸びてきた手を避けて、敦の首にルナの刃が迫る。


「(疾過ぎるッ!首を、刎ねられッ___」


死が近くに迫ったのが見えた。首を反らして避けても次に来る攻撃を躱しきれない。そう思った瞬間、何処からか鉄線銃のワイヤーが飛んできた。国木田の異能だ。それが短刀の切先に触れた事で敦の首に刃が届くのを免れる。


「敦!体勢を立て直せ!!」


国木田が叫ぶのとルナが短刀を離して左の袖から暗器を取り出すのがほぼ同時だった。それを見ていた鏡花がふとある事に気付き、敦と交戦するルナを観察する。



体制を立て直した敦がルナの持つ暗器目掛けて足を振り上げた。それがルナの手首に上手く当り、暗器が彼女の手から離れて地面を転がる。今ルナの両手に武器はない。その一瞬の隙を逃すものかと国木田はルナに近づく。


体格差は此方が有利。体術ならば押さえ込める。女子供には手加減はする。だが、マフィア首領の専属護衛である彼女に手加減など出来るわけがない。そんな事をすればこっちが殺られる。国木田は福沢に習った体術を繰り出す。大男さえ投げ飛ばす事が出来る体術。敦もルナを押さえる為、間合いに入る。


国木田がルナの左腕を掴み、投げようとしたその瞬間、



––––––––––––血飛沫が上がった。



国木田が手を押さえてその場に膝をつく。同じくルナを取り押さえようとした敦も顔から流れる血を押さえて、ルナを見た。国木田が掴んだルナの左腕、そして、敦を蹴り上げた右足の靴から鋭利な刃が鋭く光る。隠し武器だ。


「なんて、奴だ。まるで歩く武器庫だな」


血が滴る手を押さえて国木田はルナを見る。毛先が白銀に染まった水浅葱色。それに見覚えがあった。数日前、街でその姿を見かけたからだ。強盗の男を転ばせた少女。あの時、両目はアメジスト色だった。だが、今はオッドアイの瞳。その瞳を見ればあの時気付けたかもしれない。この少女はただ者じゃないと。


血を流す二人にルナは腰から抜いた拳銃を向けるが、二人の前に立った金髪の少年。ルナは引き金に指を置いたままそれを引かずに視線を右に向けた。


左手で持った銃を盾にして短刀を受け止める。そこには鏡花がいた。ルナを射抜くような瞳で、口を開いた。


「やっぱり、左手で受け止めた。貴女、今右腕が使えないのでしょう?」

『……』

「それに攻撃に中ってもいないのに、貴女から……、凄い血の匂いがする」


地面にポタポタと滴る血。ルナの腹のあたりからじわりじわりと黒い服を赤黒く染めて、ルナの血が溢れるように出てきた。完治していない傷が開いたのだ。


いつもより動きも鈍かった。まだ探偵社から死人が一人も出ていない事が何より証拠。ルナは今まともに闘える躰ではない。


『何時から気付いてたの?』

「貴女が暗器を左手で出した時。短刀を持っていたのに態々それを離して、同じ手で別の武器を持った。両利きの貴女なら短刀を離さず、右手を使ってもっと早く暗器を取り出してた。それをしていなかったから、違和感を感じた」

『流石だね、鏡花ちゃん。教えた事をちゃんと出来てる。敵をよく観察するのも暗殺者の基本だからね』


ルナは感心するようににこりと一度笑う。けれど、直ぐに無表情に戻りオッドアイの瞳を光らせた。


『でも、そろそろ決着つけたいかな。首領の命が掛かってるの。だから、退いてくれる?』


鏡花は冷や汗を垂らす。こんな怪我をしているのにルナの顔には苦痛の表情が全くない。化け物だと鏡花は思った。そして、同時に思った。本当に交渉なんて出来るのだろうかと。


「ねぇ、君」


その時、冷静な声がその場に響いた。ルナを除く全員の視線がそちらに向く。それに遅れてルナがゆっくりと視線を向けた。


その声の主は乱歩だ。車の前に立って真っ直ぐルナを見据えている。


「武器を下ろしてくれ。マフィアと、君と交渉がしたい」

『交渉する必要はない。探偵社社長を殺せば、首領が助かる。なら、私のやる事は決まっている』

「本当にそうかい?」


鋭利なオッドアイの瞳と深緑の瞳が対峙する。何方も冷静で、引く心算はない。


「君は太宰からのメッセージを見た筈だ」

『……』


乱歩のその言葉でルナの脳裏に携帯に送られてきた太宰からのメッセージが過ぎる。ルナと乱歩を除く全員は二人が何の話をしているのか判らなかったが、これが交渉成立に繋がると信じて口を噤んでいる。


太宰からのメッセージはこうだ。


〝 魔人の捕縛に協力して欲しい。

森さんを助けたいならば、

–––––––––––私の指示に従え。〟


それはルナが目を覚ました時に見たものだった。まるであの頃のようなその文面。太宰がマフィアにいた頃、彼は首領の次にルナに命令を下す事が出来る唯一の人物だった。森がそうルナに命令した。しかしそれは太宰がマフィアを脱退した瞬間からとうに切れている。故に今ルナに従う道理などない。


『(…けど、魔人を捕らえる事が出来るのは、太宰だけ)』


ならば、此処で探偵社の社長を殺す事は最適解ではない。探偵社社長を殺せば首領は助かるが、魔人を捕らえる事は難しいだろう。それに黒幕の偉いはポートマフィアと探偵社を潰し合わせる事だ。


そんな事は判っている。


だが、矢張りここは首領を確実に救える方を取る。


此処で探偵社の社長を、邪魔する者を全員殺して、首領を助けた後で黒幕にこの世のなりよりも恐ろしい制裁を下す。



けれど魔神を捕らえる為には、矢張り太宰の力が必要なのかもしれない。


……如何する。


どんなに考えても最適解が見つからず、ルナの脳内を色んな打開策が巡っては消えていく。


命令がない今、自分はどう動くのが正解なのかルナには判断できなかった。ルナの判断、行動を決めるのはルナ自身ではなく森。それが昔からルナに染み付いている。


だからこそ、こう云う時如何したらいいか判らない。いつも首領は指示を出す。たとえ首領に危険が迫っても彼が倒れる事はなかった。その前にルナが未然に防いでいたから。けれど、今は違う。


「僕達が…」


乱歩の声にルナは思考の渦から一度抜けた。真剣な眼差しをルナに向けたまま乱歩は続ける。


「僕達がウイルス異能者を捕まえる。そうすれば、“共喰い”は避けられ、皆助かる」

『この短時間で出来る訳がない。その間にタイムリミットが来たら如何する?48時間ていうのも敵の偽情報かもしない。首領を助けるには今殺るしかない』

「それも偽情報かもしれないぞ。黒幕の目的はポートマフィアと探偵社を潰し合わせる事だ。もし時間内に君が社長を殺し、ウイルスを解除したらポートマフィアは何の被害もなく共喰いを止められるだろう。だが、それじゃあ黒幕が僕達を闘わせた意味がなくなる。奴がその対策をしてないと云い切れるか?黒幕の罠は狡猾だ。奴の罠を掻い潜り、ウイルス異能者を捕まえなければ、黒幕の攻撃は止まらないぞ」


両者の間に鋭い空気が張り詰めた。乱歩はルナを説得する為の最後の言葉を発す。それは戦いの間で気付いた決定的なもの。


「君もそれが判っていたから、僕等を一瞬で殺さなかったんだろう?」


深緑の瞳がルナを見透かすように告げた。


『アンタはウイルス異能者を捕まえられるの?』

「嗚呼、僕なら出来るさ。時間をくれ」

『……それは、誰かを犠牲にしたとしても?』


ルナのその言葉に乱歩の瞳が一瞬揺らいだ。探偵社の全員が今まで見た事もない乱歩の真剣な姿に固唾を飲み込み、乱歩とルナを静かに見据える。ルナは一度視線を地面に落として、そっと口を開く。


『いいだろう』


その言葉に全員の視線がルナに向いた。鏡花の短刀を受け止めていた拳銃をゆっくりと下ろして、ルナがそれを腰に仕舞う。


『五時間待ってあげる。それでもウイルス異能者を捕まえられなかったら、人質を殺す』

「…判った」


乱歩の合図に探偵社の社員は硬い表情で車の中へと入っていく。車に乗り込む直前、敦が此方に振り返った。何も云わずに、敦は動かないルナを数秒見据えた後、硬い表情のまま車に乗った。そして、車はそのまま真っ直ぐ走り出す。



ルナは腕を組んで去って行く車を見据えた。そんなルナにイヴがそっと何かを訴える。



『…いいの、イヴ。首領の命令がない今だからこそ、私は自分で選ばなきゃいけないから』



ルナが自分で思考し、選び、行動する。慣れないそれに戸惑いながらもルナはぎゅっと首に巻かれているマフラーを握りしめた。











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